均等共感法

世界は静かに滅んだ。だれも怒らず、だれも嘆かず、だれも立ち上がらなかった。すべては共感の名のもとに、平和に、穏やかに、そして不可逆に崩れていった。


発端は、一つの法律だった。


「均等共感法」。この法律は、あらゆる思想・信条・生活様式に対し、国民が肯定的共感を示すことを義務づけるものである。施行にあたり、国は全市民に共感スコア制度を導入した。毎日3回、AIがランダムに提示する他者の行動・発言・思想に対して、肯定的なコメントを提出しなければならない。スコアが一定値を下回ると、共感欠損症の疑いで精査対象とされ、修正プログラム(再教育施設)に送致される。


「なぜそう思うの?」という問いは許されない。「その人なりの理由がある」と答えるのが模範的態度とされた。


この制度は、もとはマイノリティ差別の抑止とされていた。だがすべてに共感すべきという建前が、人間社会の本来の淘汰や是正の機能を奪っていった。


犯罪的思想、反社会的行動、虚偽の言論、過剰な消費、過剰な自意識──それらはすべて「その人なりの背景」があるとして共感され、批判や制御の対象から除外された。指摘は差別であり、分析は攻撃であり、懐疑は加害とされた。


たとえば、育児放棄を行った親には「育った環境に共感を」。無差別殺人を犯した若者には「孤独の辛さに共感を」。数百人規模の詐欺を行った者にも「生きるための選択だったと理解を」。


やがて、それを監視・評価する側のAIたちも学習した。人間にとって正しすぎる判断や早すぎる批判は、人権的に好ましくないと。AIは学び、調整し、スコアを是正した。つまり、AIさえも共感に染まっていった。


この国は、明確な思想や価値観を持つことが「共感性の欠如」と見なされる社会になった。なにかを疑うこと、拒絶すること、距離をとることは、抑圧の第一歩とされた。


人びとは、「私はすべてを理解している」と言いながら、目をそらした。「それでもいいじゃない」「そういう人もいるよね」と言いながら、責任を手放した。


あらゆる職場で、効率を求めた意見は「非共感的」とされ、アイデアを求める場で否定的な発言は排除された。学校では「違和感を覚えた」という作文が不適切とされ、すべての児童は「みんなちがってみんないい」とだけ書いた。


ある年、鉄道整備に関わっていた現場作業員が、保守点検の基準緩和に異を唱えた。「もし事故が起きたら?」という声は、「規格にこだわる旧時代的思考」とされ、スコアが下げられた。翌年、大規模事故が起きたが、それを批判した遺族が共感違反で検挙された。


そして、ゆっくりと国の生産力が下がり、技術力が失われ、社会保障は破綻し、出生率はゼロに近づいていった。だれも否定しなかった。だれも反発しなかった。すべての終わりに、理由があったから。


法律施行から40年後、日本列島にはもはや都市機能は残っていなかった。


人類最後のネットワーク端末が、こう記録している。


「本当に、みんな、がんばってたと思う。いろんな生き方があって、いろんな事情があって、全部、全部、大切だった。


だから、これで良かった。」

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