02.ニーナ
「またこの話か……。」
アルドリック様が呟くたびに、私は亡き辺境伯夫人――エルミナ様への申し訳なさで胸が締めつけられる。
しかし、どうしようもない事情があった。
――教えることが、もうない……。
アルドリック様は驚異的な記憶力を持っていた。
三歳の頃から、退屈しないよう私の知識を少しずつ教えてきたが、彼の吸収力は私の想像を遥かに超えていた。
飲み込みの早さに驚きつつも、当時の私は教えることが楽しく、つい夢中になってしまった。
だが、私の知識には限りがあった。
私は魔導具技師として生きてきたが、専門分野以外の知識は偏っている。
さらに、辺境伯当主グレゴール様からは「アルドリック様に魔法を教えるな」と厳命されていた。
結果として、算術や言語、基礎的な学問にしか触れさせられなかった。
アルドリック様は五歳になる頃には書庫の算術書をすべて解き、異種族の言語や古代語まで習得してしまった。
その頃から、私の教えられることはなくなり、同じ話を繰り返すことが増えた。
そんなある日、彼はこう言った。
「ねえ、ニーナに洗脳魔法ってかかってる?」
――五歳にして、この察しの良さ……。
私がただ同じ話を繰り返していることに気付いている。
その鋭い眼差しは、まるで私の心を見透かしているようだった。
――
「――どうして私を選んだのですか、エルミナ様……。」
独り言のように呟く。
過去の過ちを悔いるたび、亡き主人に責任を押し付ける自分が嫌になる。
エルミナ様からの頼みで、私はアルドリック様の教育係になった。
幼い彼を抱きしめ、優しい笑みを浮かべていたあの方の姿が今でも焼き付いている。
「ニーナ、あなたなら大丈夫」と微笑む声が、時折耳の奥に蘇る。
だが、本当に私で大丈夫なのだろうか――?
――
努力はした。
宗教学、植物学、経済学、戦術学――あらゆる分野を学び直し、アルドリック様に教えようとした。
けれど、専門外の知識では深みが足らず、彼には簡単に見抜かれてしまった。
「これはつまらない」と言わんばかりの退屈そうな顔。どれも興味を持ってはもらえなかった。
もちろん、アルドリック様にも苦手なことはあった。
体を動かすと、なぜか手と手、足と足がぶつかることが多い。
考えた動きに身体がついていかないのかもしれない。飽きっぽい性格もあり、簡単な剣術さえも続かなかった。
結局、繰り返し教えるよう命じられていた「洗脳魔法の歴史」だけが、アルドリック様に教えられる唯一の教材になってしまった。
――
最近のアルドリック様は、どこか無気力に見える。
心配になり、どうすればよいか考えてみるものの、案は浮かばない。
「……物語に少し変化をつけてみようかしら。」
そう呟いてみたものの、彼が興味を示すとは思えなかった。
それでも、何もしないよりはマシだと思い、少しずつ物語を改変することにした。
ほんの些細な変化でも、彼が退屈から抜け出すきっかけになるかもしれない。
――
アルドリック様が眠りについたあと、私は余った時間を使って魔導具の専門書を書き始めた。
これはエルミナ様から生前に頼まれていた仕事でもある。
机に向かい、魔力紙に魔力を込めた指で文字を一つひとつ書き記していく。
数時間かけて、生活用品用の魔導具――ランプの設計思想をまとめた。
50ページにも満たない薄い本だが、第一作としては満足のいく仕上がりになった。
アルドリック様はまだスヤスヤと眠っている。
彼の穏やかな寝顔を確認し、仕上げた本をランプの隣にそっと置いた。
「……あなたが目を輝かせる日が、また来ますように。」
そう願いながら、私は静かに寝室へと向かった。
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