35.魔力を得た代償

 アーヴィンの強固な防御の魔法に阻まれて、イルマの体に致命的なダメージはなかった。だが、途切れた集中力は、発動後の修正を続行不可能にさせる。


 なにより、体が動かない。


「アー、ヴィン」

「黙って!」


 彼の周りに魔力が集まり、それがイルマへ流れ込む。


「なに、が?」

「ホレスだ」


 生きていたのか。

 最初に思ったのはそれだ。


「痛みは? 息はできる?」

「うん。すごい、楽になった。本当に、変数の方程式ってすごいのね」

「僕が、すごいんだ」


 見上げる顔が怒っている。

 痛みに怯えながら、ゆっくりと体を起こす。彼が肩を貸してくれたので、素直に体重を預けて立ち上がった。


 防御の魔法のおかげだろう。衝撃に一瞬からだが麻痺しただけで、頭も打っていないしおかしなところはなかった。


 イルマの様子を見て手を放すと、彼は落ちた杖を拾って渡してくれる。


 二人は無言でホレスを見た。彼もまた方程式を解いたところだ。


 竜は、イルマとアーヴィンの魔法で地に落ちている。第三の目テルティウム・オクルスだけを開いてその大きな体を横たえていた。


 そして、その力の目から螺旋のように魔力が空へ登っている。イルマの作った半球状の結界にそれがどんどん吸い取られていく。


 ちょうど中央に、力が濃密に渦まく場所があった。ホレスはその真下にいる。

 杖を頭上に掲げた。杖の先が紫色に輝く。


 そして、雷のようにホレスの上に降り注いだ。


師匠せんせい!!」


 イルマが走り出すと、アーヴィンも後を追った。最後の一歩を踏み出そうとしたところを、強く腕を引かれる。


 なぜ、と振り返る。


 だが、アーヴィンの険しい表情に口をつぐんでホレスを見た。

 魔力を一身に受けた彼は、大地に伏していたが、ゆっくりと立ち上がった。


 二人の姿をみとめると、口の端をつり上げて笑う。


「見ろ! 魔力だ。力だ。力を手に入れた!」

 両手を広げ、二人へ全身に巡る竜の力を見せつけるように体を開く。


「これほどの魔力を見たことがあるか? ないだろう? 王都の、六貴族であっても、これほど力に溢れた人間はいない!」


 だが、賞賛のまなざしがあって然るべき二人の瞳に、その色が見あたらないとホレスは不快感をあらわに眉をひそめる。


「どうした? 素晴らしいと素直に共感すればよいものを」


 イルマは、恐ろしさに身を震わす。アーヴィンが彼女の肩を後ろから抱く。

 その仕草に、ホレスは今度は顔をしかめた。端正な、美しい顔が醜悪な色に染まる。


「どうした、お前の自慢の師匠せんせいが、これだけの力を手に入れたんだ。なぜそんな顔をする」


 アーヴィンでなくともわかるその変化に、なぜホレスは気付かないのかと戦慄を覚えた。泣きそうになるのを堪えていると、アーヴィンが彼女を後ろへやり、ホレスとの間に立ち塞がった。


「本当に、魔力を己のものにしたとお思いですか?」

 静かな彼の言葉に、ホレスは不審そうな表情で目の前へ右腕を伸ばす。杖の魔石が光っている。


「そうだ。もう、魔力の消費に気持ちを傾けずとも、どれだけ大量の魔力を使う方程式であろうとも、好きなだけ、そしてより強力に振るうことができる! こうやってなっ!」

 魔力が濃密な塊となって宙に集まる。


「自分をよく見てみることです。今二つの魔力が体の中でせめぎ合っています。本来の魔力と、竜の魔力。人が、あの竜に勝てるはずがない」


「ふん。何を……フィーニス !」


 ホレスの叫びのような解放の言葉と、彼の体に劇的な変化が起こるのがほぼ同時だった。


 突然胸を押さえて苦しみ出す。四肢を折り、地面に這いつくばる。


師匠せんせい!」


 駆け寄ろうとするイルマ。

 だが、伸ばされた彼の手の甲に、あの竜と同じ鱗と、長く伸びた爪が見えて恐怖に後ずさる。


「さきほどイルマが講釈してくれたでしょう? ウェトゥム・テッラ〈古王国〉の人々は、一度無くした魔力を手に入れようと目の儀式をした。つまり、受け入れる側にもともと魔力はなかった。人体に自然と宿る、形を作る上での魔力以外はね。だからこそ、上手く行っていた。イルマが連れ去られたあと、遺跡をもう一度よく見ました。ウェトゥム・テッラ〈古王国〉最後の王は、あなたと同じように魔力に取り憑かれていた。先の王よりも、魔力がかなり少なかった彼は、さらに魔力を手に入れようとあの儀式を行ったのです。そして、あなたと同じように、失敗した」


 記録の間が完成されていなかったので、後半は推測に過ぎない。だが、目の前のホレスを見ればそれが正しいと確信できる。

「魔力が少ないとはいえ、あなたよりは遙かに多かったでしょう。直系なわけですから。反発も強かった。竜の力に対抗できてしまえるほど。だが、勝つことはできない。そして、ウェトゥム・テッラ〈古王国〉は滅び、ニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉ができた。儀式は完了せず、竜は力を取り戻すための眠りについた」


 淡々と語るアーヴィンの言葉を、ホレスはどこまで聞いていただろうか。体がみるみるうちに鱗に覆われていく。すでに喉はびっしりと砂色をした固い表皮に覆われていた。


師匠せんせいが……」

「もう一度、さっきの方程式を」

「えっ!?」

「彼から竜の魔力を取り出すんだ」


 確かに、それはできると思う。


「でも、取り出した魔力はどうするの? 竜に返すわけにはいかないでしょう?」


 イルマの指摘に彼もそうだと顔を歪めた。

 アーヴィンの話で、あの壁画にあった竜の側に立つ人の意味もわかった気がする。彼らは目の儀式で竜を眠らせ、第三の目テルティウム・オクルスからある一定量の魔力を取り出す。そうすると、竜は安定し、目は魔原石となるわけだ。そして取り出された魔力を人が受ける。だがそれは、あくまで魔力をまったく持っていない人間でなくてはならない。そうでなくては、反発が生まれて儀式が終わらない。


 滅びがやってくる。

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