32.魔原石の正体

 サミュエルの魔法――本人命名:恋人たちの沈黙のヴェール――は、確かにすごかった。ホレスが張り巡らしているであろう、いくつもの結界を難なくすり抜け、一番大きな天幕に苦もなく近づけた。普段ならここで、いかにこの結界が女性の寝所へ潜り込むのに役立ったかと話し続けるところだが、今日はそんなわけにはいかない。


「動かないで!」


 途中で拾った剣をホレスの首筋へ突きつける。魔法と剣、どちらが早いか、それは意見が分かれるところなのだが、魔法使いが方程式を解くその瞬間を見逃さなければ勝機はある。


 剣も、防御の結界を突き抜けられるよう、魔法がかかっていた。


師匠せんせい、話を聞いてもらいたいだけです。でも方程式を解く素振りが見えたら、容赦はしません」


 イルマは己の腕と剣の長さを十分に考慮した距離から、ホレスの首筋を狙っていた。腕が疲れたり、ほんの少し前に傾くだけで頸動脈を傷つける。


 ホレスを止めるための手段を考えたとき、魔法では到底敵わないと結論が出た。たとえイルマが杖を持っていたとしても、あの方程式を解く早さには追いつけない。それは、彼が努力してきた結果であり、彼が魔法に没頭してきた年月の結果でもあった。また、人数でも圧倒的に不利だ。そうなった場合、取る行動は一つ。頭を押さえる。あくまで一時的に。時間が経てば形勢は逆転するだろう。不意打ちでホレスの注意を引き、話をする機会を得るのが精一杯だった。


 第一段階は成功した。


「聞こう」


 目で周りの人間たちに合図し、武装を解かせた。

 ホッと息をつきそうになり、それを飲み込む。まだだ。気を抜いてはいけない。


「魔原石の移動はやめてください」


「イルマ……」


「いえ、わかっています。師匠せんせいが何を思い、行動に移したか、理解はできなくともわかってはいるつもりです。それでも、魔原石を動かすのは危険なんです」


 ホレスの周りの魔力の動きに細心の注意を払いながら、問題の魔原石へ目をやる。

 天幕は、イルマがここまでに使っていたような小さなものでなく、何十人もが生活できそうなほどの大規模なものだ。


 その中心に透明な石が地面から顔を出している。


 拘束されていたときから強大なプレッシャーを感じていた。学校で触れた魔原石よりもずっと活発で活動的な魔力が詰まっている。


「古王国の人々は、師匠せんせいと同じように魔力を手に入れるために魔原石を作りました。でも、考えてみてください。どうやってこれだけの魔力を集めたか。王都の、魔力の豊富な貴族が何十何百といても、あれ一つに到底足りない。それほどの魔力がどこにあったか」


「魔力を集める方法を知っていたのだろう」


 イルマの剣などないもののように、平然とホレスは振る舞う。声に怯えの色など微塵も見られない。


「そのような話を聞いたことはありますか? 古き歌や、古文書に、魔原石が放つような強力な魔力を溜める魔法を、ウェトゥム・テッラ〈古王国〉の人々が知っていたと」


「秘術中の秘術だったのだろう。今は失われた。それだけのことだ」


「違います師匠せんせい。彼らは強大な魔力を持つものを知っていたのです」

 ホレスの眉がぴくりと動く。平然として見える彼の心に興味が宿った。


「魔原石は、あの力の源は――竜です」

 途端に、弾けるように笑う。こちらが切っ先で彼の喉を傷つけないよう気を遣わなくてはいけないほど、声を上げて笑う。


「イルマ。竜などというものは、お伽噺の産物だ」

「いいえ、師匠せんせいは貴族ではないから、それも六貴族ではないから知らないだけです」


 笑いはぴたりと止み、彼の顔に嫌悪の表情が浮かぶ。貴族はホレスにとって憎むべき相手でしかないのだろう。イルマも貴族だ。憎むべきウェトゥム・テッラ〈古王国〉の血を濃く引く六貴族だ。それをあらためて思い出したのかもしれない。

 彼に触れられた唇を噛む。


「竜の話、私は兄から聞きました。兄は母から。お話として受け継がれています。でも、そういえば父は知らなかった。学校の友人も、師匠せんせいも、方程式の研究をしていて文献や歌、古くからの言い伝えに詳しいアーヴィンでさえ知らなかった」


 彼の名を呼んだとき、胸がずきりと痛んだ。その苦しさを吐息の中に紛れ込ませる。ここに来る前、心の中で遙か地中の彼へ言葉を投げかけた。見ていてくれと。


「それは、魔原石から魔力を取り出し力を手に入れた、ウェトゥム・テッラ〈古王国〉の人々の所行を隠すため」


 周囲の男たちはオキデス帝国特有の肌も髪や瞳の色も濃い色をした者が多かった。だが、中にはレグヌス王国の魔法使いもいる。杖を持って、イルマの話に眉をひそめている。


「それでも、絶対に忘れないように六貴族にだけは伝わっているんです。だって、ウェトゥム・テッラ〈古王国〉が滅びたのは、その魔原石を作る目の儀式のせいだったんですから」


「目の儀式?」


「はい。地下の遺跡に記録の間がありました」


 イルマの推測がかなり混じっているが、それをあたかも事実のように話す。たまにはこんなはったりも必要だ。


「目の儀式は、竜を捕らえ、我々が力の目と呼ぶ魔力の詰まった目を魔原石に変える儀式です。ウェトゥム・テッラ〈古王国〉ではそこから魔力を取り出し、魔力のない人々に移し替えていたんです。ですが、最後に失敗しました。何が原因かはわからないけれど、記録の間は未完で、その魔原石も他の三つの魔原石のように完全な姿にはなっていません」


 ここで後ろを振り返る。剣がぶれないように、だが脅威が薄れないように気をつけながら男たちを見る。天幕の中には三十人ほどがいた。


「魔法学校があんな風に小高い場所にあるのはなぜだと思う?」


 フェンデルワースはどちらかと言えばなだらかな土地だ。そこに突然丘があり、その上に魔法学校が建てられていた。魔原石はその地下深くにある。入学の儀を執り行うとき、初めて丸く掘られた学校の地下へ降りて行くのだ。あれは竜を封じている。


「魔原石の、竜の目を移動しようとその周りを掘り起こすことにしたのよね? でも、地面があまりに固くてそれが叶わなかった。おかしいと思わない? ここは砂地。沙漠よ。こんな表面が固いなんて。でもね、それは仕方ないの。掘削の道具がぶつかったのは竜の鱗。竜の表皮は硬く、どんな鋭利な剣でも貫けないと言われてる」


 ざわりと彼らの間に動揺が広がった。

 うち捨てられた、先の曲がった工具。彼らもまたおかしいと感じていたのだろう。


師匠せんせい。ニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉がこんなに魔力のない土地になっていったのも、この竜がまだ生きているからだと言えませんか? どちらかと言えば魔原石のある土地は魔力に溢れている。それなのにここは、草木も育たぬ不毛の土地」


 長い間国が研究し続け、そして原因がわからなかった仕組み。砂嵐を越えてようやくたどり着いた魔原石。


「竜は生きています。下手に刺激して目を覚ましたら、これだけ広範囲の魔力を吸い取ってきたんです。力は十分回復している。捕らえられていた怒りに、レグヌスどころか陸続きのオキデス帝国だってどうなるかわからない。だって、竜は力の目を手に入れる代わりに、理性の両目を手放した、魔力の塊、感情の塊のようなものなんですから」


 重い沈黙が降りる。


 ここで作業していた者たちにも思い当たることがあるのか、不安そうにちらちらとお互いを見やる。


師匠せんせい!」

 イルマの呼びかけにホレスはふっと口元を緩めた。


 その瞬間、また地面が揺れる。


 とっさにバランスを取るが、剣がホレスの首を傷つけないように必要以上の距離を取った。


 彼はそれを見逃さない。


 右手を伸ばしイルマの手首をひねる。そのまま杖を器用に脇へ挟むと、もう一方の手で喉を掴み、地面に押し付けられた。そのまま馬乗りになり体の自由を奪われる。剣を持つ手が地面に叩きつけられ、その容赦ない痛みに柄を放してしまう。


「ぐぅっ」


 衝撃と、己の失敗にうめき声が漏れた。


「サミュエル出て来い! 近くにいるのはわかっている。私は魔力に敏感だぞ。お前が方程式を解き私を攻撃するのが早いか、それともお前の愛しい妹の首がへし折れるのが早いか。試してみるか?」


 本当にすぐ側で空気が揺れる。


 周囲に動揺が走り、苦渋の表情でサミュエルが立っていた。


「素直ないい子だ。その結界は本当に素晴らしいな。後で方程式を調べてみよう。……杖もなしでと思ったが、そうか、お前は家宝を魔具コルにしたのか」


「諸事情により」


「ふうん……杖の補佐なしであれだけ上手く魔法を使い、またそれを周りに悟らせなかったとは。私はお前を侮っていたようだ」


 ホレスは慎重に杖を握り直し、立ち上がる。サミュエルの側の男が指輪を奪おうとするが、ホレスがそれ止め、落ちていた剣を拾った。


 隙を見て身を起こそうとするイルマの胸を、足で踏み阻む。


「本当に惜しい男だ。ぜひ一緒に連れて行きたいと思うが、その眼では無理だな。第一お前は貴族だ。しかも六貴族インプロブ家の次期当主。私の考えなど一生わからぬだろう」


 そういって剣を構えた。


 男たちが無理矢理サミュエルを跪かせる。兄の顔が、仰向けに倒れたままのイルマのすぐ近くにある。


「手に入らないのならお前は危険だ。さよなら、サミュエル・インプロブ」


「兄さん!!」


 イルマの絶叫とホレスの怒号が同時に起こった。


 剣を振り上げた格好のまま、ホレスは魔原石の方へ吹き飛ばされる。


 胸の上の重圧が突然消えて、激しく咳き込んだ。


「なに……」

「魔法を使いたくないのは、人を傷つける魔法があるから。……でも、魔法を使わないで大切な人が死ぬのをこれ以上は見たくない」


 肘を突いて、体を起こしかけたまま呆然とそこに立つ人を見る。


「アーヴィン?」

「だから大丈夫だって言ったろ? 一見わからない抜け道がそこかしこにあったんだから。僕は暗闇でも移動できる」


 飄々とした笑顔で笑う彼に、イルマは泣きたいのか一緒に笑いたいのかわからなくて、ひどく間抜けな表情をさらす。


「貴様はっ!」


 怒りに顔を赤くしたホレスが起き上がり、彼の周りに魔力が集まっていく。


「僕はイルマを、ついでにサミュエル先輩を回収しに来ただけですよ。あなたたちの相手はそれだ」


 真っ直ぐと杖を向けた先、ホレスのさらにその後ろ。


 透明な魔原石。だがそれが見あたらない。


 ――地面が揺れる。


 そして、再び魔原石が現れる。


「う、うあああああ!」


 一瞬消えた魔原石。それは瞼が下ろされた、竜の目だった。


「自分たちのしたことです。後始末はよろしく」


 アーヴィンが準備していたのだろう、二人を連れてその場から消え去る。かなり高度な転移の方程式だ。それをこともなげに操る。


 一人が恐怖におののいた叫びを上げると、次々に伝染した。彼らの声が響き渡る頃には、三人の姿は天幕から消え失せていた。


 そして、大地が動き出す。

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