17.ニクス

 宿は三階建てで、イルマの部屋は一番東の端にあった。窓の外には宿の中庭が見える。宿の主人の趣味だとかで、小さな畑が作られていた。そこで採れた野菜が、朝食に並んでいた。


 ベッドの上に寝転んで、そうだと跳ね起きる。

 フェンデルワースでアーヴィンにもらった物を、まだ見ていなかった。ゆっくり開ける暇がなかったのだ。


 鞄の中から紙袋を引っ張り出すと、両手に載るくらいの木箱が、赤い包装紙に包まれて転がり出る。丁寧に紙をはがして蓋を開けると、中から水晶が出て来た。


 丸い銀の枠に、親指ほどの大きさがある透明の水晶がはめ込まれている。銀の土台には、旅の安全を祈る文様が彫られていた。一般的な旅の無事を願って送られるペンダントだ。茶色の皮の紐がつけられている。

 早速結ぶと、備え付けの姿見の前でいろんな角度を試してみる。旅の間、肌身離さずつけていれば災厄から旅人を護ると言われているのだ。

 アーヴィンの気遣いが嬉しくて、先ほどの自分の強引さがまた、悔やまれる。


 猫の様子を見たいと言い訳して、お礼を言いに行こう。

 そう決めて部屋を出たが、二つ先の彼の部屋をノックしても、出て来ない。部屋に戻って何気なく窓の外に目をやると、庭の隅でかがんでいる彼を見つけた。身を乗り出して声をかけようと思ったが、途中でやめる。まさか、と思い階段を駆け下りて彼の後ろへそっと忍び寄る。


 アーヴィンは何か必死で魔法を使っていた。


 彼が魔法を使う。その事態にイルマは眉をひそめる。距離があるので何をしているのか、わからなかった。だが、すぐそれはやんだ。彼の腕から真っ白な子猫が顔を出して、にゃんと鳴く。


「アーヴィン!」


 声をかけると、こちらが反対に驚くくらい、彼は動揺した。

 一度尻餅をついて、慌てて立ち上がる。


「イルマ? 何をしてるんだ」

「それはこっちの台詞よ。窓から見えたから来たの。庭の隅でかがんでるんだもん、まさか猫ちゃんのお墓を掘ってるのかと思ったわ。でもよかった、とっても元気そう」


 彼の腕からふわふわの毛玉をかっさらうと、その頭をゆっくり撫でる。


「あ、ああ。ほとんど怪我もなかったみたいだから、もう放そうかと思って……」

「えーっ! そんなの無責任よ。拾ってきたんだから最後まで面倒みないと」


 顎の下を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めた。瞳は茶色い。


「だけど、ここはフェンデルワースじゃないし」

「帰りも転移陣でひとっ飛びよ。一人暮らしなんでしょ? いいじゃない。おうちに帰ったらお出迎えしてくれるかもよ?」

「猫は犬と違って物を引っ掻くから……」

「そんなときこそ魔法を使えばいいでしょ。自分でするのが嫌なら私がやってあげるわよ? もちろん、方程式を組むのはあなたね」


 最後にひと撫ですると、アーヴィンの腕に子猫を渡す。


「飼い方がわからないなら私が指導するわ」

「君が?」

「ええ。昔から、拾ってくるのが得意だったの」

「それは、……心強い」


 猫の食べ物をもらうために二人は揃って厨房へ向かった。




 夕食の席は和やかに始まった。

「もっっのすごく可愛いんです!」


 今はアーヴィンの部屋で寝ている子猫について熱く語る。その過程で騒ぎを起こしたことがばれてしまったが、おとがめはなかった。サミュエルがフォローを入れてくれたのが大きい。


「それで、レケン君が飼うんですか?」

「成り行きで」

「嫌ならいいのよ! 私が引き取るわ」

「……嫌じゃないよ」


 食事に呼ばれるまで、彼は部屋を荒らされないための魔法方程式を机の上でこねくり回し、イルマは名前を考えた。


「ニクスにしたんです」

「確か、雪と言う意味だったね」

「そうです。野良とは思えないほどきれいな白だったから」

「私も後で見せてもらいましょう」

 ホレスの言葉に飼い主であるアーヴィンより先にイルマが頷く。

「ぜひ! 撫でてあげてください」

 いつも穏やかなホレスだが、今日はさらに機嫌がよい。


師匠せんせいもご友人にお会いできたんですか?」

 サミュエルも思ったのだろう、そう聞くとホレスはにっこり笑って頷いた。


「皆元気そうだったよ」

 久しぶりに楽しい時を過ごせたに違いない。


「そう、それで申し訳ないんだが、少し用事ができてしまってね。二人はついてきなさい。レケン君は明日からティルムで二、三日待っていてもらえませんか」


 ――来た。


「……飛び入りのお仕事ですか?」

「そうなんです。街の庁舎に連絡が入ってまして。もし時間をもてあますようでしたら、壁の見学ができるように手配しましょうか? 私の友人に案内を頼むこともできます」

 アーヴィンは少し考えた風だったが首を振る。


「沙漠に行かないのなら、大人しく部屋で方程式を練っています」

 師匠せんせいは、お願いしますと頷く。

 さすがだと、イルマは内心ほっとする。イルマではこうは上手くいかない。些細な嘘も、ことごとくアーヴィンに見破られる。


「二、三日なら、その頃には方程式も完成しているだろうし、帰って来たら頼むね」

「ええ。喜んで」


 突然こちらへ話を振られて、そう答えるのが精一杯だった。正直そんなに早く帰って来られるとは思わない。初めから、三日経ったところで他の人間がアーヴィンをフェンデルワースへ送り返すようになっている。彼の部屋へ魔法をかけることができなくなってしまうが、それは仕方がない。彼が自らの禁を破り、自分で魔法を使うことを祈るばかりだ。

 夕食後、ニクスとひとしきり遊んで早めに眠った。


 明日からのことを思うと、なんだかどきどきして、眠りが浅い。

 その浅い眠りの中で、自分の側に気配を感じた。それを現実だと認識するや否や、意識が急速に浮上する。

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