13.印の魔法使い
それでも被害は驚くほど少ない。煙と埃が舞う中、さらにイルマは駆け出す。男の杖についた期限切れの印は一度気付けばそうそう見失うことはない。さらに方程式を解いて男に目印を放つ。いくつも、執拗に。
「イルマ、無茶はだめだ」
後ろでアーヴィンが叫ぶ。
「わかってるわ。知らせをよろしく!」
そう叫び、足元に魔法を放つ。一時的に重力を無効化するものだ。同時に地面を強く蹴る。
体が空へ向かって飛び上がる。舞い上がるというような優雅なものではない。ナイフのように真っ直ぐ上へ向かった。ちょうどよい場所に到達したところで再び杖を振るう。イルマの体が難なく建物の屋根に着地した。
男は爆発と同時に飛び上がり、先を行っている。
イルマは焦らず自分の周りに結界を準備する。
同時に複数の作業をすることには慣れている。慣れさせられた。
宮廷魔法使いの訓練はかなり厳しいものだ。そして、イルマが一番得意とするものでもある。難しいことは考えず、ただ目の前の敵に向かう。常に一番の成績を収めていた。
だが、相手がどれほどのものかわからない。イルマよりもかなり年上のように見えた。実戦経験が高ければ侮れない相手となる。能力がわからない魔法使いに挑むときには慎重にならねば痛い目を見た。
男はすぐにイルマが追っていることに気付く。
フェンデルワースの建物は、斜めに尖った屋根を持つものと、平らなものとがちょうど半々ぐらいだった。足元に先ほどの魔法の効果があるから苦労はしていないが、距離を縮めるためにさらに新しい式を追加する。ぐんと、体が引っ張られるような感じがした。早さが増す。
イルマの役割は、応援が駆けつけるまで彼を見失わず、また周囲に被害を出さないことだ。
そう胸のうちで再確認しているところへ、前方に魔力が集中した。
先ほどから魔力の世界もこまめに視るようにしている。男が解いている方程式の形があまりにもよく知るもので、慌ててこちらも対応できる式を引っ張り出した。解き終わり、相手の発動に合わせて魔法を展開する。
夜空の星よりもひときわ明るい火の玉が、イルマめがけて飛んできた。
だがそれは次々イルマが作り出した結界に飲まれて行く。向こうもそうなることがわかっていたのだろう。だが懲りずに同じことを繰り返した。――範囲を広げて。
イルマは防戦一方になる。イルマの対象は男一人だ。しかし相手にとっては攻撃範囲はフェンデルワース全体だ。こちらの気をあちこちへ向けさせ、注意を拡散したいのだろう。
しかしそれも想定内だ。
必死に防戦していると、思われるのがいい。
火の玉を投げつけることに必死であれと願いながら別の新しい方程式を解き出す。相手の攻撃への対処はすでに自動で行われていた。昔アーヴィンが試していた方程式を応用したものだ。単調な攻撃には簡単に対応できる。火に反応して対応する基礎を作ってイルマの背後に展開していた。
今度はこちらからだと舌で唇をぺろりと舐める。
準備はすぐに終わった。
イルマは追い続ければよい。だが、できれば、広くて見晴らしがいい、援護する魔法使いが介入しやすい場所に導くことができればなおよい。
少し行ったところに広場があった。そちらへ誘導したい。
「
男の周囲に魔法を放つ。
彼の左肩で光が弾ける。当然ながら防御の結界に阻まれ男は無傷だ。しかし、衝撃までは抑えきれずに横へ飛ばされる。
だが敵もなかなかにしぶとい。すぐに立ち直りまた走り出す。
印は期限切れを知らせるだけのものだ。何年放置していたのかなどはわからない。
これだけ必死に逃げるのだから、かなりの年月なのだろう。そんな男がこのフェンデルワースで何をしていたのか。
気を抜くなと己にささやきかけ、光と衝撃の手は緩めない。わざと左右に振り、しかも命中させたくてやっているが命中させられないといった風に演出した。
光は応援の魔法使いに現在地を気付かせやすくするためでもある。
――そこまで考えて、拙いと思った。
最初に明るい火の玉を使ったのは男の方だ。火の、周囲を燃やすという特質ばかりに目が行っていた。
ああ。やはり自分は見習いだ。愚か者めとののしる。
なぜ不正魔法使いが一人だなんて思っていたのだろう。これは、罠だ。
そう覚悟したとき、隣の少し高い建物からアーヴィンの声が聞こえた。
「この先に結界が張られている! そこまで行かせるな!」
やはり、と唇を噛み、追うことをやめて捕らえるための方程式を解き始めた。だが、男もこちらの変化に気付いてさらに足を速める。
魔力の世界へ切り替えると、前方に大きな結界が見える。ただ、イルマにはそれがこのフェンデルワースに張られた町全体を守るものか、男が何かたくらむためか、または自分が逃げ込むために特別に張った結界かは見分けがつかなかった。
そういった視ることはアーヴィンの方が格段上だ。
「
男の足元へ網状の魔力の塊を投げつける。その直前に男の前方へ囮を五つ。おかげで彼は足をもつれさせ、真っ逆さまに落ちて行く。
三階建ての建物から、あんな風に無防備に落ちれば頭を打って死んでしまうだろう。すぐさま彼の周りに防御の結界を三重に張る。
そのまま自分も宙へ躍り出た。
速度を緩めることなく着地する直前に衝撃を吸収する魔法を張る。
もがく男の手には杖がなかった。少し先に、離れた場所にある。
チャンスだ。
今なら反撃もない。
素早く捕縛の魔法を彼へ向けて解き放つ。だがそこで信じられないことが起こった。
杖が自ら男の手に飛んだ。
しまったと思ったときには遅い。
イルマがこの場へ駆けつけたときには、その方程式は完成していたのだろう。杖が手から離れているのも、油断させるためだ。相手の方が何倍も上手だったのだ。
杖を手に入れ、男はイルマへ攻撃を仕掛ける。
こちらは捕縛の魔法のために完全に無防備だった。来るべき衝撃に備えてぐっと目をつむり両腕で頭を守る。
だが、――それはなかった。
代わりに男のうめき声が聞こえる。
すぐに目を開くと、男の傍らによく知る人物が立っていた。
榛色の髪の毛が、夜風に揺られている。
生成色の外套が夜の中で浮き立つように見えた。
「
足下で気を失っている男を見下ろしていたホレスが、弾けるように顔を上げた。駆け寄ろうと足を一歩前へ踏み出す。
だがそれ以上に素早くホレスがこちらへ近づいた。
どうしてここにと尋ねる前に、少しだけかがんでイルマを抱きしめた。
まるでサミュエルのような自然な抱擁に、固まる。
あまりこんなことはしない人なので、驚いてしまった。
「よかった。怪我はないようですね」
ほっと深く息を吐きながら言う。
「えと、はい。大丈夫です」
最後も、ホレスが守ってくれたのだろう。こちらの戸惑いに気付いていないのか、彼はイルマを放そうとしない。
「帰りが遅いと思っていたところに火柱が上がったので」
宿はあの場所からそう遠くない。この短時間で駆けつけることも可能だっただろう。
少し広めの道には、両脇に二階か三階建ての住宅が並んでいる。騒ぎを聞きつけて窓がいくつか開かれていた。
細い路地からアーヴィンが現れる。ホレスの肩越しに彼と目があった。
勢いよく飛び出してきた彼は、イルマの姿を見つけると一度足を止めた。途中の、倒れている男に目をやり、ゆっくりと歩き出す。
「二人とも怪我はないようですね」
その足音に気付いてホレスはようやくイルマを開放して振り返った。
遠くから杖の先に明かりを灯した魔法使いが数人やってくる。
「ここの処理は私がしておきましょう。二人はもう戻りなさい」
「いえ、最後まで」
「彼らに引き渡して少し書類を書かねばならなりません。走り回って疲れたでしょう。レケン君。彼女をお願いできますか?」
アーヴィンは黙ったまま頷く。
「でも……」
「こういった処理には私の方が慣れていますから。もちろん、手柄を奪う気はありませんよ」
そんなことはどうでもいいのだが、結局イルマも頷いてアーヴィンと宿へ向かった。
なんだか変な気分だ。
アーヴィンとも、その後は一言も話さずに宿屋の前で別れを告げる。
捕らえた魔法使いが脱走したとの知らせが入ったのは、イルマたちが次の町へ転移の陣を使った後だった。
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