10.子守唄

 街の明かりが空の瞬きを消してしまう。沙漠へ、ニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉へ行けば降ってきそうな星空というものに出会えるのだろうか? いくつかの都市へ行きはしたものの、未だにそのような情景に出会えていない。地上の明かりは天へと届く。そして天を霞ませてしまう。


 外套選びに熱心でないアーヴィンの代わりに、イルマは次々店の奥から品物を持ってこさせた。ずらりと並んだ中から、かなり時間をかけて選んだのは、イルマと同じ真っ白で、青い刺繍糸で暑さ除けの文様がかなり大きく描かれているものだった。内側にはポケットがいくつかあり、イルマのあげた冷却石もそこに入れれば快適だろう。


 機能的であればいいと渋るアーヴィンをなだめすかして、最後は財布を握るのはイルマだと脅してお買い上げだ。


 既製品の中から、値段や機能を比べてお値打ちな物を探す楽しみは、このフェンデルワースで覚えた。貴族らしくないと散々横で言われたが、貴族らしさを出したら、預かった金では到底足りないのだ。


「ねえねえ、夜こうやって歩いてるとさ、思い出さない?」

 二人は店じまいを始めた市場の中を、ふらふらとさまよっていた。先を行くのはイルマなので、彼女が好き勝手歩くのを、アーヴィンが放って帰るわけにもいかず仕方なしについてきているだけとも言う。


「みんなで抜け出して、学校の丘から布敷いて滑り下りたときのこと!」

「ああ、あれは君が無理矢理――」

「でも、すっごく楽しんでたじゃない。アーヴィン、絶対魔法使わないって言うから私と一緒の布に乗って、裏手の林の中を思い切りスピード出して!」

「生きた心地がしなかったよ」

「私がいっちばん早く下りたのよね」

「あとで教頭先生にこっぴどく怒られた」

「もう! なんで楽しかったことを忘れて怒られたとか、そーゆうのばっかり思い出すの?」

 突然足を止めて振り返り、彼の鼻先に指を突きつける。


「せっかく覚えるなら面白かったことを覚えておくべきよ」

「……努力はしたいが、君といると怒られたことの方が印象的でね」

「後ろ向き過ぎるわ」


 そう言いながらも気分はよい。やっぱり買い物はいい。預かったお金は余っているし、二、三着長衣カフタンを買ってもよかったんじゃないかと思うのだが、それはアーヴィンが許さなかった。


 自分の金でやってくれと言われたので、今度自分のお金でアーヴィンへ長衣カフタンをプレゼントしよう。何色が似合うかと考えているだけで楽しくなる。

 もちろん、アーヴィンが言った意味は十分理解している。

 その上でわざと取り違えて押し付けてしまえばいい。アーヴィンに似合う色は、兄には似合わないから、いらないと言われてしまえば捨てるしかなくなるのだ。それにはアーヴィンが耐えられないだろう。イルマの勝ちだ。


「ねえ、明後日にはニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉よ? どきどきしない?」

「してるよ」

「そんなすました顔で、全然説得力ないわ」

 イルマは笑いながら先を歩く。白の外套が街の灯りを受けて光の軌跡を描く。


   瞼を閉じて 睡りの泉に身を浸せ

   丸い月が 天を回る 

   無数の月が 世界を回る 

   天を貫く 四本の柱 

   円い柱が 空へと伸びる

   強い力は 螺旋を描き 

   後を追うのは 陽昇る軌跡 

   世界を箱に 閉じ込めて 

   月の睡りを 誘い出す

   二つの渦は 力の道筋

   世界を巡る 力は大地へ根を下ろす

   瞼を閉じて 睡りの泉に身を浸せ

   渦は力を天よりくだす


 歌に合わせてくるくる回る。

 大通りではなく割合細い道を行くので、人には出会わず迷惑はかけていないが、後ろをついてくるアーヴィンはいつ転ぶんじゃないかとひやひやする。


「それは?」

 初め何を指しているかわからず首を傾げると、どこの歌? と重ねて問われる。


「さあ? よく知らないけど、子守歌よ」

「子守歌? どこが?」

「どこって……」

「僕の知ってる他の子守歌とは随分違うし、また方程式が山盛り隠されていそうな歌だ」


 言われてみればその通りだ。

 古くから伝わる歌は、重要な魔法が隠されていることが多い。そうやってウェトゥム・テッラ〈古王国〉の魔法を伝えていたと聞く。

 だから方程式の研究者は、まず古い歌を参考にした。


「初めて聞いた歌だ」

「小さな頃から、兄さんが歌って聞かせてくれたのよ」

「音の調べは、子守歌の旋律に類似する点が多いね。でも、歌詞がいまいち。それに、円い柱だの、螺旋だ、箱だと、図形を表すものがたくさんある」

「アーヴィンが知らないっていうのが、珍しいわよね。兄さんは、母さんが歌ってくれたって言ってたけれど」

「インプロブ家に伝わる秘密の歌とかね」

「秘密にしすぎでしょう。アーヴィンに指摘されるまで、私、方程式が入っていそうって全然気付かなかったし」

「……ニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉から帰ったら、少し調べてもいい?」

「ええ。もちろん!」

 彼の研究者魂に火がついたようだ。


 それにしても、と辺りを見回す。歌いながら好きなように歩いてきてしまった。懐かしい風景だ。


「マナの店で食べたスープ、美味しかったなあ」

 ふと思い出して、つぶやいた。よく学校を抜け出して食べに行ったのだ。


「確かに、それには同意する」

「でしょでしょ。あれは絶品だった。まだやってるのかなあ?」

「やっているよ」

 彼の答えに足を止める。くるりと踵を返し、すぐ後ろにいたアーヴィンに詰め寄る。


「まさか、食べに行ったの!?」

「僕は、ここに住んでるからね」

「ずっっっるーいっ!!」

「ずるくない」

「ずるいわよ。絶対。ずるい。ひどいわ、私を差し置いて。本日二度目の裏切りよ」

「君だって在学中は毎週通っていたじゃないか」

「でもここ一年ご無沙汰だもの。よし、行こう!」

 目的を得た彼女は素早い。杖を振り上げて突撃体勢だ。

「今から? 夕飯は食べただろう?」

「スープが入る余地くらいあるっ!」


 言い出したらきかないイルマを放っておくわけにも行かず、アーヴィンは横へ並ぶ。


「最近あの辺りは治安がよくない」

 だからやめておいた方がいいんじゃないかと言いかける彼を尻目に、方程式を完成させて防御の結界を張った。フルテク蔦に対したときに使っていたあれだ。


「上手くなったね」

 彼はぐるりと周りを見回す。


「昔アーヴィンに粗い汚いだの散々言われたからね。二重にしておこうかな?」


 結界が二人を包み込む。


 魔法使いは国の学校に入り、ほとんどが国の機関に組み込まれる。だが全員ではない。地方の貴族が己の息子を魔法使いに仕立て上げ、己の領地を治めるために利用することもある。力のある、それこそ六貴族が魔法使いを召し抱えることもあった。国はそれを禁じていない。ただ、国外へ魔法使いが出ることは、かなり厳しく制限されている。魔法使いの力の仕組みを外へ漏らさないためだ。


 そしてたまに、道を踏み外す者もいた。魔法を使って正攻法ではなく金を儲ける者がいる。魔法使いの犯罪者は始末が悪かった。魔法使いに魔法使いが狙われる。

 路地をいくつも曲がり、二人はよく知った道を行った。

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