8.アーヴィン・レケン

 追尾の魔法は、魔法を使えない人間には見えない。つまり魔法使い以外には、イルマだけが前方の空を見上げているようにしか見えなかった。新品の真っ白な外套を羽織った美しい少女が走って行くのは目立つ。外套に負けないくらい白い頬を上気させて、杖が人にぶつからないように駆けて行く。


 途中、彼女が一年前までよく市場をうろついていた少女だと気付き、声をかけてくる者がいる。笑顔で挨拶を返し、人であふれかえった露店の隙間を縫うように進んだ。

 鳥が二度旋回する。そして店の中へ吸い込まれていった。


 露店もあれば、建物の中にも店がある。建物の中の店は、露店よりも少し高級な物を扱うところが多い。追尾の鳥が入っていったのは、宝石店だ。宝飾品というよりも、魔法に使う石を置いてある、魔法使い専用の店だ。イルマは疑問に思いながらも色硝子がはめ込んである扉を押した。カランと訪問を告げる音が鳴る。


 店内には低い棚が所狭しと並べられ、品物がきれいに飾り付けられていた。そのどれにも盗難を防ぐための魔法が施されている。鉱石は作り出すわけにもいかず、比較的高価な物が多いのだ。

 その商品棚の向こうで、鳥が彼の頭をつつき回していた。本当に痛いわけではないが、頭の周りをうろちょろされて、苛立たしげに手を振っている。


「アーヴィン!!」

 イルマは駆け寄りながら、魔法を解除した。ひらりと舞う手紙を掴み、彼の側に立つと、眉をひそめて目を大きく開く。


「私より背が高くなったらもう遊んであげないって言ったのに……」

 一年でいったいどれだけ伸びたのだろう。卒業したときにはイルマと身長は変わらなかったはずなのに、今は手の平分だけ彼が上にいる。


「う、裏切り者っ!」

「……なんでここに」


 あまり表情が変わらない彼の目が、イルマよりも大きく見開かれている。海の底のような、深い藍色の瞳が驚きに満ちていた。辛うじて肩につかないくらいの髪の毛は濃い茶色をしていた。肌の色も、ホレスと同じように少し濃い。彼の杖にはやはり彼の瞳と同じ藍色の石がはまっていた。こちらは去年と変わらずイルマと同じぐらいの高さだ。


「でも仕方ない。身長くらいは、譲ってあげてもいいわ」

「君は王都にいるはずだろう?」

「男の子だもんね。普通にしてたら伸びちゃうものね。不可抗力よ。兄さんもいつの間にかひょろひょろ伸びて、アーヴィンよりさらに一つ分高いし、あれよりはましだわ!」

「……すぐ終わるから先に外に出ていてくれないか」

「あら、遠慮しないで。ここで待ってるわよ?」

「お店の人に迷惑だから、外にいてくれ」

「えー、ちょっとお。もう!」


 無理矢理背中を押されて外へ放り出される。扉に手をかけると、硝子の向こうで怖い顔をしたアーヴィンが人差し指をこちらへ突きつけていた。

 そこにいろ、と言われている。


「何よー。……まあ、いっか。滅多に見られない驚いた顔が見られたし」

 手紙を丁寧に鞄にしまうと、杖を背にして彼を待つ。


 学校を卒業し、友人が各地へ散ってしまった。手紙はイルマの唯一の趣味と言ってもいい。暇があれば近況をやりとりした。そうすることで各地の状況がよくわかり、彼らの目を通して世間も見えてくる。研究所に入ったのはアーヴィン一人で、イルマは同じように彼に手紙を送った。はじめはまったく返事がなかったのだが、懲りずに送り続けると、何通かに一回の割合で帰って来るようになった。溜まっていく未返信の封書に罪悪感を抱いたのだろう。彼のそんなところも見越していた。実際、イルマの知らないことも多く、彼の手紙はなかなか楽しいものだった。


 カランと扉の開く音がして、彼が現れた。手に白い紙袋を持っている。


「全然待ってないわよ!」

 アーヴィンが何か言う前にイルマが宣言すると、彼は軽く首を振った。そして紙袋を差し出す。


「送る手間が省けた」

「え? なにこれ」

「この間冷却石をくれただろう?」

「ああ! 城に出入りしていた商人が売っていて、品物もよかったし、少し欠けが気になりはしたんだけど、値段もお手頃だったから」


 冷却石は、持っていると冷気を孕んだ風が運ばれて来る。石の大きさに比例してその範囲が決まる。手の平にすっぽり収まるくらいだったのでほんの気休め程度だ。ニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉にいつか行きたいと言っていたのでちょうどよいと、手紙と一緒に送ったのが一ヶ月ほど前だ。


「そのお礼」

「ええ!? いいのに。そんなんじゃなかったんだけどなあ」

 欠けていたので思い切り値切った。


「僕の気が済まないから」

「そう? じゃあ遠慮なく。ねえねえ、今開けていい?」

「後にしてくれ。君、落としそうだし」

「えー! そんなことしないわよ。まあ、宿でゆっくり楽しむか。それじゃあ行こうよ」

 先に立って歩き出すが、後ろからついてくる気配がせず振り返る。


「アーヴィン! 早く」

「イルマ……。相変わらず過ぎて何から言えばいいかわからないんだけど、とにかくなんで君がここにいて、僕を連れて行こうとするかだけ教えてくれないか?」

 いつもの諦めたような表情で言う。


 なんのかんのと理由をつけて彼をいろんなところに引っ張り出したとき、最後にたどり着く彼の顔だ。身長は伸びてもそういった仕草は前の通りでイルマは笑った。


「笑うところじゃないと思うんだけどね」

「ごめん。宿に私の師匠せんせいがいるからそちらから説明してもらった方がいいと思うんだけど、えとつまり、今度私ニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉に行くの」

 彼は息を飲む。


「それは、おめでとう」

「ありがとう。でね、アーヴィンも一緒に行くのよ」


 彼は大変思慮深い。在学中、イルマの嘘は何度も見破られた。少しの情報でたくさんのことを知る。彼の前に出て、嘘がばれないようにするには言葉数を減らすこと。

 だが、彼の青い瞳の前に立つと、どうもそわそわしてしまう。

 そして言葉に言葉を重ね、嘘に嘘を乗せてしまう。


「えっと、ニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉の緑化政策の査定なの。師匠せんせいと、兄さんも一緒だわ」

「サミュエルさんが?」

「あと、アーヴィンもね!」

「そこでなぜ僕が出てくる」


 もっともなご意見だ。本当に査定ならもっと実地調査に詳しい人間が案内すべきだ。


「うん、まあ。結局、査定と言っても私の実習がメインなわけ」

 イルマが歩き出すと今度はアーヴィンも後からついてきた。

 杖を振るって二人の周りに沈黙の結界を作る。アーヴィンが目を細める。


「アーヴィンには悪いけど、研究所の人はおまけなの」

 彼の表情を盗み見るが、よくわからない。


「実習にも色々と種類があるんだけれど、その中にレグヌス王国の各地を回るっていうのがあるの」

 これは本当だ。ニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉を見ることもたまにあるそうだ。だがごくたまにであり、定期的な調査のときに随行するだけだった。こんな風にこちらから実習を言い出すことはない。ダモンが戸惑っていたのはそこだ。しかし、目の前の彼はさすがにそこまで知らないだろう。


「それでね、実習のことを聞いたとき、真っ先にアーヴィンのことを思い出したの。で、私が師匠せんせいにどうかお伺いを立てたってわけ。誰か、研究所の人に随行してもらうという話だったから。手紙でニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉に行きたいけど、上がつかえててなかなか行けそうにないって言ってたでしょ?」

「ああ」


 返事に抑揚がない。疑われているのだろうか。

 だが、彼のことを思い出したのは事実だ。せっかくなら彼の望みも叶えられればと思った。


「これはチャンスよ」

 つい先日、同じようなやりとりをした。


「私が呼び込んだチャンスだけれど、それを掴むかどうかはあなた次第よ」

 それで断られるなら仕方ない。


「ホレス師匠せんせいから詳しくお話があると思うから、よく聞いて決めてね。あ、でも査定に行く、で師匠せんせいは話を止めるかもしれないから、そのときは私が色々喋ったのは内緒よ?」


 しばらく彼は黙り込んだ。イルマも気にしないように宿への道へ向かう。ホレスたちが泊まるような宿屋が密集している地区は決まっていた。途中でサミュエルから知らせが届いた。彼が好む蝶の形をした伝達魔法だ。イルマの手の平に当たると、泊まる宿の名前が浮かび上がって消えた。

 頭の中で素早く最短の道のりを計算すると、右に折れる。細い、街の人が使う道へ入って行く。


「君が絡むといつも大騒ぎだ」

「そう? でもみんな楽しいって言ってくれてたわよ」

 夜中に学校を抜け出したり、寄宿舎でパーティーを開いたり、あの頃はとても面白かった。


「いつの間にか人を巻き込んで」

「本当に嫌なら拒絶すればいいのよ。みんなの嫌だは面倒だってだけ。始まってしまえば楽しめる」

「確かにね」

 でしょう? とイルマは彼を見て笑った。そこにはいつものどこか諦めた笑みが浮かんでいる。


「まあ、君がべた褒めする師匠せんせいを見ないで帰る手はないね」

「そうよ! 紹介するわ。本当にすごくすごく素敵な方よ。優しくって、でもきちんと厳しく指導してくれる。最高の師匠せんせいだわ」

 イルマが瞳を輝かせると、その勢いに圧されたのか彼は肩を落とし首を左右へ振った。


「なによう」

「いや。行こう」

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