第二章 魔法都市フェンデルワース
7.魔法都市フェンデルワース
主要都市には直通の魔方陣がある。
国が管理しており、気軽に使用できるものではなかった。それを今回初めて使わせてもらい、王都レグヌスセスから南の魔法都市フェンデルワースまで一気に飛ぶ。大興奮のイルマに、大人二人は苦笑するしかなかった。
沙漠用に真っ白な外套を纏い、ぴょんぴょんと元気に飛び跳ねる彼女は、転移の塔を出ると大きく深呼吸する。
「この潮の匂い! 懐かしい空気!」
フェンデルワースからは海が近く、風向きによっては風が磯の香りを運んできた。王都から来た学生たちはそれを嫌っていたが、約一年ぶりにこの空気を嗅ぐと、心が弾んだ。
浮かれてくるくる回ってみると、垂らしたままの髪の毛がふわりと浮かび、外套の裾が広がる。そこには熱除けの文様が青い糸で織り込まれていた。
「イルマ! 行くぞ」
旅行気分の彼女のフードをサミュエルが掴んで引っ張る。杖を振り上げ文句を言いつつも、大人しく従った。遊んでいる場合ではないのは確かだ。
街の中心の高台には、フェンデルワース魔法学校が見える。他は平地なのに、学校だけが高い場所にある。一般教養や魔法を学ぶ学校棟の他に、王都にもあった薬草園や生徒たちが寝起きする寄宿舎まで、すべてがあの中にある。
十三歳から十五歳までの三年間を過ごした場所は、懐かしく楽しい思い出でいっぱいだ。
もちろん王都が彼女の故郷だったが、充実した時を過ごしたこのフェンデルワースは第二の故郷と言えた。
町並みのひとつひとつがイルマの記憶を刺激する。
緑色の魔原石、クリュソスプラを抱える都市ということで、この街の建物には緑色がよく使われた。白い壁に緑色の屋根や窓枠、玄関の扉。誰から言い始めたわけではないが、街全体が統一感を持った雰囲気に包まれている。北に魔法学校。中央に庁舎があり、南には市場があった。目的地である研究所もどちらかというと南に位置する。街中を通り、彼らはそこへ向かった。
すれ違う人々が、ちらりちらりとホレスに目をやる。もちろん彼の容姿も目を引くが、それ以上に左胸につけた銀色の紋章が輝いている。宮廷魔法使いの証だ。
イルマやサミュエルは見習いであり、同じ形ではあるが
「なんだか、一年見ないうちに雰囲気が変わった気がするわ」
「そうか? 相変わらずだと思うけどな」
王都に負けず劣らずの活気。特に市場へ行けば人と商品で溢れかえり、レグヌス王国でも一番の賑わいだ。魔法に関わる商品は、フェンデルワースで揃わぬものはないと言われていた。王都からもわざわざ買い付けに訪れる魔法使いが引きも切らない。
「君の気持ちが変わったのでしょう。最近は随分と学生気分が抜けてきましたからね」
「そうですかぁ?」
顔をしかめるサミュエルに肘鉄を食らわせ、イルマは
フェンデルワース魔法研究所は、国はもちろん個人貴族からもかなりの融資を得ている場所だ。魔法研究所としては国で一番の規模となる。設備も充実している。
だが、新卒の魔法使いは滅多なことではここに来ない。特に貴族の子息令嬢が多いフェンデルワース魔法学校からは皆無に等しかった。というのも、派手な魔法のやりとりはなく、魔力を引き出す方程式を一日中作っては解き、また作り直して解くの繰り返しで、若い魔法使いたちには魅力を感じることができないのだ。
しかも、前線を退き、王都で職もない魔法使いや、宮廷の派閥争いに敗れて逃げ出してきた魔法使いの行き着く先でもあった。
「レケン君を、ですか?」
「ええ。こちらが王都からの指示書です。うちの見習いの実習に付き合わせるのは忍びないのですが、お互い旧知のようですし」
緑化研究室の室長であるダモンは、腹の突き出た大柄な男だった。これなら沙漠で二、三日漂流しても困らないわね、とサミュエルにこっそり言ったところ、お尻をつねられた。だが、兄も顔を伏せて笑っている。身長差があるので笑いを押し殺している顔が丸見えだ。
「人選までは命令されておりませんので、一応彼に訊いてみてからにしようと思います。残念ですが断られてしまった場合は、どなたかご紹介ください」
「まあ、彼もニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉を一度見てみたいとは言っていましたから、お断りすることはないと思いますが……、実際方程式を作っていただけで実地的なことはまだ何も学んでおりませんよ?」
「構いません。こちらも見習いの、みの字すら抜け出せておりませんから」
自分のことを言われてるのだと気付くのに少々時間がかかる。頬を膨らませて兄を見ると、それ見たことかと笑われた。
三人のそんなやりとりを見て警戒を解いたのか、ダモンも頬を緩める。
「それでは、本人に訊いてみてください。ただ、今日は彼は休みなんです。先週まで情報整理で連日出勤でしてね、今週は交代で休んでいるんですよ」
「じゃあ、私探して来ます」
イルマは手を挙げ腰に巻いた鞄から手紙を取り出す。
一瞬目を閉じて追尾の方程式を解いた。手紙はアーヴィン・レケンとやりとりしたものだ。彼の魔力がほんの少しだがついている。それを追うのだ。
「
発動の呪文とともに、手紙が輪郭を蕩かせ、角張った面影が消えると小さな小鳥が現れた。先日見かけたアーラドリに似せて作ってある。鳥は部屋の壁をすり抜けて飛び立った。
「では宿へ。場所は後で知らせます」
「今日出発しないんですか?」
「彼だって準備があるでしょう? 説明がてら夕食を摂りましょう。寄り道せずに来るように」
わかりましたと答えてイルマは駆け出した。
その後ろ姿を見て、ダモンはため息をつく。
「見事な魔法ですね。さすがは宮廷魔法使い様だ。方程式を組み立てて解くまでが本当に短い」
「まだ見習いですよ」
すかさずサミュエルが突っ込むが、ホレスは頷く。
「とても優秀な弟子です。今の見習いの中では一番でしょうね」
「それは、
サミュエルの問いにホレスはにこりと笑った。
「当然でしょう。だからみんな扱いに困っているんですよ」
中途半端ならば、落としてしまえる。だが、誰よりも抜きん出ているがために、資質の面で彼女を排除することができない。
「過保護もいいですが、そろそろ守り方を変えなければ、彼女は潰されますよ」
少しのミスも許されない。そんな道を歩み出しているのだ。
「わかってます」
少しだけ不満そうな表情のままサミュエルは手の平をホレスに向ける。それ以上は言ってくれるなということだ。
見事なまでに真っ直ぐな彼女に、誰もが危うさを感じずにはいられない。
「ならよろしい。それでは失礼します」
呆気にとられるダモンに代わる代わる頭を下げて、二人は研究所をあとにした。
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