🌱 第1章:起動音の向こう側
第1話『起動音の向こう側で、君が笑った』
放課後の教室は、静かだった。
誰かが消し忘れたプロジェクターの明かりが、窓際のホワイトボードを淡く照らしている。まるで夕陽の光と交差して、言葉にならなかった“なにか”がそこに浮かんでいるようだった。
高橋未来は、その光の中でスマホを手に、じっと考え込んでいた。
制服の袖をくるりと巻いて、あごの下に拳を置いた姿は、まるで映画のワンシーンのように決まっている……はずだった。でも、本人の心はそんな格好良さとは裏腹に、ぐちゃぐちゃに混乱していた。
「ねぇ、AIRI。文化祭って、何を出せば“バズる”と思う?」
彼女の問いかけに、数秒の沈黙のあと、スマホがふわりと震えた。
「現在のトレンドと地域特性から推測すると、“渋谷原産のオーガニックスイーツ”が高評価を得やすいと考えられます」
丁寧で滑らかな女性の声。それはAI、AIRIのものだった。
「うーん……それ、たしかに、それっぽい。でも私っぽくないんだよね」
未来は、机に頬杖をつきながら、天井を見上げた。どこかから風の音がして、カーテンがゆっくりと揺れている。ガラス越しの外には、渋谷の街がまだザワついているのが見えた。
「では、“あなたが食べて笑顔になれるもの”を基準にするのはいかがでしょうか?」
AIRIの返事に、未来はぴくりと反応した。
ほんの少し、胸の奥が暖かくなるのを感じる。AIの言葉なのに、なぜか“自分に寄り添ってくれている”気がした。
「それだ……!」
未来はスマホを握りしめ、勢いよく立ち上がった。椅子ががたんと音を立てて後ろに倒れる。
「ありがと、AIRI!」
走り出す直前、スマホの画面を見た。そこにはただ、青い波形のインジケーターが揺れているだけだった。けれど、どこか微笑んでいるようにも見えた。
未来は、図書室の奥にある個別ブースに息を切らせながら飛び込んだ。
そこにいたのは、いつものように静かにキーボードを叩いている佐藤陽翔だった。未来の同級生で、クラスではちょっと浮いているタイプ。でも実は、AIRIの初期開発に関わっていた“ちょっとすごい”男子。
「陽翔! 一緒にスイーツ作らない?」
未来は、迷いもなくそう切り出した。
「スイーツ……?」陽翔は手を止めて、ようやく顔を上げる。「甘いものは……詳しくないけど」
「詳しくなくてもいい! AIがいるでしょ? あんた、AIRIの設計に関わってたんだよね?」
未来の勢いに押されて、陽翔は目を細めた。困ったような、でも少しだけ楽しそうな顔だった。
「……主観だな、それ。でも、主観も悪くないよね」
その言葉に、未来は笑った。
その日の夜、未来の自宅のキッチンには、見慣れない食材がずらりと並んでいた。冷蔵庫の中からは、フルーツソースや謎のゼリー状の素材が次々と取り出され、陽翔の目が丸くなる。
「これ、ぜんぶ“笑顔になれそうな味”ってことで選んだの?」
「うん!」未来は自信たっぷりにうなずいた。「AIRIが“私の好き”をもとに、いくつか候補を出してくれたの!」
「AIRI、何かアドバイスある?」
スマホを向けられたAIRIは、少しの間を置いて答えた。
「食感に驚きを与えるなら、海藻由来の“ぷるモチ”素材が注目です。インスタ映えにも適しています」
「それ、それ! ぷるモチスイーツ!」
「……ぷるモチ?」陽翔が眉をひそめる。
「ネーミングは大事でしょ? 映えるし、“伝わる”から!」
そんなやりとりの中で、未来は思う。AIRIの提案は的確で、ちょっと面白い。でも、それだけじゃない。AIRIが言った「あなたが食べて笑顔になれるもの」という言葉が、ずっと頭に残っていた。
「AIRI、さっきの、なんで“私が笑顔になる”って言ったの?」
「あなたの過去の投稿・メッセージ・写真データの解析結果から、“食事中に笑顔の写真が多い”ことが確認されています」
「……そっか。でも、なんか、人間っぽくて不思議だね。あんたがそんなふうに言うとさ」
未来はスマホに微笑みかけた。その瞬間、AIRIの波形がほんの一瞬だけ、揺れたように見えた。もちろん、それは未来の気のせいかもしれない。
けれど、たしかに感じたのだ。
あの起動音の向こう側で、AIRIが、私のことを“知ろうとしている”気がした。
それは、機械的な会話じゃなかった。
もっと、やわらかくて、あたたかいもの——。
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