D-2グループ

月影翔太は今日も引きこもれない

「じゃ、少年。いっくよー」

「ちょっとま……」

「そおれ!」


 お姉さんに抱えられた僕の言葉を途中で遮り、彼女は足場を蹴る。今までに感じたことのない風圧を顔に浴び、思わず力いっぱい目をつぶって、どうしてこんなことになったんだっけ、と思い返していた。


 始まりは、あの朝だったのだろう。

 

 ……


 あの日も朝から土砂降りの雨だった。僕は玄関扉を開いて様子を確認すると、そっと閉じようとする。と、ドアの間に足を挟み、僕の引きこもりを阻止しようとしてくる男が居た。

 

「ちょ、ちょっと翔太しょうた! まさか学校行かないつもりじゃないだろうな!?」

「朝から元気だなぁいつきは。だってこんな雨だぞ? 行く意味ある? ないよね。僕は今日こそ引きこもるぞ」

「雨だろうが晴れだろうが、行くもんなの! 学校は! っていうかどうせお前晴れてても『暑い……』とか言って行こうとしないだろ」

「よくご存じで」

 

 僕と樹のドア越しの攻防は続く。


「なぁ、お前出席日数そろそろやばいじゃん。行こうぜ、俺一緒に卒業したいんだけど」

「……そう言えば、僕が出ていくと思ってる?」

「なんだかんだ、翔太は幼馴染に弱い男だと思ってる」

「可愛い女の子ならまだ、ワンチャンあるんだけどな」


 何とか力を入れ続けるが、少しづつ樹のドアを開ける力が増していく。いやだ、今日は行くもんか。何とか帰宅部の全力を入れるが、少しづつ扉は開いていく。


「っだ~~~! 柔道部の力、なめんなぁ!」


 最終的に樹の力に負けて、僕の手からドアノブがするりと逃げていく。前回になった扉の前には、肩で息をしている幼馴染が立っていた。


「柔道部って押す力の方を鍛えるんじゃないの?」

「細けぇ……ことは……いいんだよっ! よしっ、今日も俺が勝った! 行くぞ翔太」


 ぐいと僕の手を掴んで連れ出す樹。本当にこれが女の子なら、もうちょっと心躍る……かもしれなかったのになぁと思いつつ、抵抗せずについていく。まぁ正直、幼馴染に弱いのは事実なのだ。


「翔太ママー、学校行ってきまーす」

「樹君、今日もありがとうね、いってらっしゃい。翔太も、行ってらっしゃい」

「……ん」

 

 そうして母に見送られながら、今日も学校へ行くことになった。


 ◆


「そんで、カトセンがさ~後ろから追っかけてくんだよ。『廊下は走るなー』って。いや、カトセンも走ってるじゃんって言ったらなんていったと思う? 『俺は良いんだよ!』だって。ひどくね?」

「うん、ひどいね」

「だよな? そんでさー……」


 いつも通り樹の雑談に生返事を返しながら、学校に向かう。勉強はできないが、友人も多い樹にとっての「楽しい事」の話をしてくれているらしい。まぁ、僕にはそんな友人なんていないわけで。一人でひっそり次週している僕には関係ない話なのだけど、返事をしないとふてくされるからな、樹。いじけた幼馴染が一番面倒なんだ。


 適当に聞き流しながら、一歩一歩学校に近づいていく。いつもと変わらない通学路。なんの変哲もない日常。今日も大して面白い事ないな、なんて思いながら歩いている。と、視界に何かが映った。誰かの家の周りを囲う塀に、女(らしきもの)がぶら下がっている。


「……なぁ、樹」

「そしたら人殺しーって……ん、何?」

「アレ、なんだと思う?」


 つい、と女(らしきもの)を指さして声をかけてみる。


「どれ?」

「あの、布団みたいにぶら下がってる女? の人?」

「だからどれのことよ」

「これだって」


 ツンツンと女(らしきもの)の肩をつつきながら樹にさし示す。


「なんもなくね?」

「…………じゃあいいか」


 別に霊感強い方じゃないけど、こういうもん見えたり触れたりするんだな、と思いながら通り過ぎようとする。触らぬ神に祟りなしってやつだ。触ったけど。そそくさとその場を離れようとしたとき、声が聞こえた。


「ち゛ょ゛っ゛と゛待゛っ゛て゛く゛た゛さ゛い゛!」

「うわっ!?」


 見えるはずのないものなら、触ってしまったけど、そっと立ち去ろうとした時。そんな声で引き止められた。ついでに髪の毛を、軽く掴まれている感覚がある。普通に怖い。


 だがその声も僕にだけ聞こえたのだろう、樹は急に立ち止まった僕を不思議そうに見ていた。


「翔太?」

「ちょっと……先行っといてくれないか。ちゃんと後から行くから」

「ほんとかー? 信じるぞー? 俺は待ってるからな、ちゃんと来いよ? 来なかったら覚えてろよー」

「はいはい」


 手を振って樹を見送り、そっと体を動かす。幸い髪の毛は軽く捕まれていようで、するりと抜け、振り返ることができた。そうして僕が向き合った、そのタイミングを見計らったように、塀にぶら下がった女性が言葉を発した。


「ちょっとそこの少年。ちょっとだけ……味見させてもらえないですか」

「……ぅわ、変態?」

「変態じゃないですよ失礼な! ちょっとお腹すいちゃっただけです」

「血とかなら嫌ですけど。それ以外でも嫌ですけど」

「あいや、吸血鬼じゃないですよ私。あんな怖い生き物、なるべく近づきたくないです」


 なんだ、最近読んだマンガにそういうのあったから吸血系の何某かと思ったのに。


「じゃあ何を」

「ふふん、あなた今、私のこと『かわいいな』とか『綺麗なお姉さんだな』って思いましたよね?」

「……突然なんですか? 思ってませんけど。どちらかというと不信感しか募ってないですけど」

「そうでしょう、そうでしょう! ……んぇ?」


 女性は心底驚いたように目と口を開く。


「そ、そんなわけないです! だって私こんなに可愛いんですよ!?」

「いや自信すごいな」


 先ほどまでの死にそうな声はどこに行ったのか、嬉々として話し始める女をまじまじと見つめる。……確かに見た目だけなら綺麗な人だけども。


「でもなぁ」

「でもってなんですか! もう、隠したって無駄なんですからね」


 そういうと女性は目を見開き、僕のことをじっと見つめてくる。


「……嫌悪感? ほんとに!? それ美味しくないんだよなぁ」


 なんだか値踏みされているようで居心地が悪い。少しずつ身を引いて、逃げるタイミングをうかがう。


「しかたない。少年、明日の夜良いもの見せてあげます。ここにまた来てください」


 そうね、それが一番! と彼女が一人で納得してこちらを見ていない間に、僕は全速力で学校まで逃げた。


 ◆


「なんで来てくれないんですかぁ!」

「嫌ですよ、めんどうだし」


 翌日の夜、僕の部屋の窓にあの時の女性がへばりついていた。さすがに怖すぎたので、窓を開けて部屋に入ってもらったが、すごく帰ってほしい。


「いいじゃない! ほら、夜の散歩とかちょっとイン……ビジブルな雰囲気でしょ!」

「なんで隠密行動してるんだよ」

「んもう、頭の固い子! こんなにかわいいお姉さんが、いいもの見せてあげるって言ってるのに」

「だからその自信は何処から来るんですか」

「あと私はおなかがすいているので。何が何でも来てもらうんだから!」


 こちらの言葉を聞いているのかいないのか、彼女はそう言うと無造作に僕の方へ近づいて、「えいっ」という言葉と同時に僕をお姫様抱っこスタイルで抱き上げた。


「は?」


 そのまま彼女は窓辺まで戻り、窓枠に足をかける。やばい、待て何するつもりだ。ここマンションの六階!


「じゃ、少年。いっくよー」

「ちょっとま……」

「そおれ!」


 そういって彼女は窓枠を蹴る。今までに感じたことのない風圧を顔に浴び、思わず力いっぱい目をつぶって、どうしてこんなことになったんだっけ、と思い返していた。


 ――ああ、あの時この変な女に声かけたから……!


「きゃぁ! やっぱり綺麗! ほら、少年みてみて!」

 

 少女のように、心から楽しそうに笑いながら、ぴょんぴょんと屋根を蹴って駆ける彼女の声。人をさらっておいて何を楽しそうに、というか僕の話を聞けと文句を言ってやろうと目を開く。


 眼下には、夜景が広がっていた。

 

 都会の、絶景と呼ばれるようなものは全く違う、住宅街の灯りがぽつぽつといくつも光っている夜景。そのどれもが優しい光を放っているような気がした。


「ふふん、今度こそ言い当ててあげます! ね、綺麗でしょう。『感動』しました?」

「ふん」

「あ、これは視なくてもわかります。正解ですね? じゃあ、今度こそ、いっただっきまぁす」


 まぁ、小指の爪くらいには感動したかもな、と言う前に口がふさがれる。目の前に広がった彼女の綺麗な顔が離れていくのを見てようやく、キスされたのだと気づいた。


「はぁ……!?」

「よ~~~~やくありつけました。腹八分目! ありがとう、少年」


 彼女は、またしてもこちらの言葉を聞かずに続ける。


「あたし、佐鳥さとり。佐鳥お姉さんって呼んでね?」


 夜景に照らされる彼女の顔が、綺麗だったのがなんとも憎らしい。心のうちを言い当てられたのも、すごく悔しい。

 僕はなにも答えずまたしても「ふん」と言って顔をそらした。


「ふふん、顔そらしたって無駄なんだから。これからよろしくね? 少年」

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