安藤マヒルは昼行燈?

昼行燈ひるあんどん』とは、ぼんやりとして役に立たないもののこと。昼間に明かりが点いていたって、見えやしないし役に立たない。

 しばしば、今ひとつやる気のなさそうな人を『昼行灯』とからかうこともある。

 

 しかし、見えない中で彼らは光っている。我々よりも、ずっと懸命に。

 

*****


 文化祭まで残り3週間を切ったこの頃、放課後の空気にも緊張感がでてくる。吹奏楽部は今流行りのJPOPのサビを繰り返しているし、美術部はアイデアがまとまらず落書きに精を出す。


 いわば、修羅場。

 すぐそこまで迫り来る納期、低クオリティのままでは終われない焦り、妥協点を見定めてしまううちに一周まわって楽しくなってしまうトランス状態。次第に居ても立っても居られなくなり、学校全体が踊り出す。

 

 しかし、1年B組の教室は違った。盛り上がることもなく、吹奏楽のメロディは虚しく通り過ぎ、僕らの間には沈黙が続いていた。

 いや、正確に言えばちょっと違う。


「すぅ……すぅ……」


 頭を抱える僕の前で、白髪の美少年が寝息を立てる。目は静かに閉じられ、長いまつ毛が秋風に揺れる。そして、華奢な背中がゆっくりと上下していた。

 彼が、安藤あんどうマヒル。さも当然の権利かのように、放課後の机に突っ伏して寝ていた。


 僕は、このクラスメイトに手を焼いている。


「ねえ、安藤」

「……」

「文化祭まで、3週間切ったよ」

「……むにゃ……」

「他のクラスは今日飾り付けの買い出しだって。多分、うちが1番遅れてるよ」

「……」

「シフトどころか、何やるかすら決まってないでしょ? ヤバいって」

「……すやぁ」


 僕が何と言おうと安藤はずっと寝たまま。今日も今日とて起きる素振りすら見せない。


「こりゃ、今日もダメか」


 黒板の上、丸時計を見て呟いた。

 ただいま午後5時15分。あと15分で学校を出たいけど、それまで安藤は起きないだろう。


 諦めをつけて、荷物をまとめ始めた。先週から、ずっとこれを繰り返している。


 安藤あんどうマヒルは『昼行燈ひるあんどん』。日中はずっとぼーっとして過ごしているし、受け答えもぽわぽわしてる。授業はずっと眠っているし、体育は見学。だけど、誰も咎めることは無い。


 安藤マヒルは体が弱いらしい。遺伝性の病気なのだとか。色素の薄い髪と肌も、大きな赤い目もそのせいだと先生から教えてもらった。


 彼とクラス催事委員をしろ、と言われた時に。

 白羽の矢が立ったのは、趣味に没頭するため帰宅部になった僕。そして何にも所属していない安藤。

 

「むにゃ……」


 しかし、そんな組み合わせで上手くいくはずもなく。安藤は全然起きないし、僕は私用で帰らざるを得ない。全然打ち合わせができないまま、文化祭までは2週間ちょっと。


「本当にどうしよう」


 嘆きながら、眠り姫を見やる。顔の前で組まれた手指はか細い。乱れることなく呼吸をする様は、さながら白雪姫。性別が逆だけど、そう言い表した方がしっくりくるのだ。そのくらい、可愛い。


「……ごくっ」

 

 気付けば安藤の顔に魅入られ、生唾を飲んでいた。頭の中から文化祭は消え、目の前の美少年を観察することだけに脳のリソースが割かれた。


 なんだよこいつ、ムカつくほど顔が良い。肌のキメも細かい。細身で骨格も整ってる。本当に、『姫』の素質がある。この僕が嫉妬すら覚えるほど、完成してる。ノーメイクなの? 本当に?

 一瞬頭をよぎった疑問が、水面に落ちる水滴のように広がって反響する。ぐらり、と理性が揺らいだ。


「あ、安藤。僕そろそろ行くよー?」


 僕は負けた、自分自身に。

 ゆすり起こすふりをしながら安藤の顔に接近する。

 同性だし、問題ないよね。誰も聞いていない言い訳をしつつ、顔を寄せた。

 安藤の白い肌はどこまでも白く、艶やかだった。急激に解像度が上がる情報。僕の脳は歓喜と興奮のドーパミンに溢れていく。

 

 やばい、顔面綺麗すぎ。まつ毛まじで長い。近寄っても毛穴全然見えないんだけど。何この子。唇もぷっくりと潤っているし、歯もめっちゃ白くて……。


「ん?」


 安藤の口元に、僕は違和感を覚えた。グッと近寄らないと気が付かないような、些細すぎるひっかかり。でも、一度欲望に負けた僕を止める者は居ない。

 呼吸の度に少しだけ開く口を、注意深く観察する。


「……すぅ」


 起きる気配はなく、さらに肉薄した。すぐ目の前、安藤の吐息がかかるほどの距離まで。

 そして……。


「キョウジ……くん?」

 

 安藤の口が動いた、よりによって目の前で。

 驚いた僕は荷物を引っ掴んで、飛び上がる。


「よ、良かった起きたんだね! じゃあ、また明日!!」


 僕は脇目も振らず、教室から逃げ出た。そして、昇降口を目指して疾走する。


 今見たものは現実じゃないと、必死に思い込みながら。


*****

 

 午後6時ともなると帰り道の街灯がポツポツ点き始める。昼と夜の隙間、生じる薄暗がり。訪れる非日常感が、段々と僕を高ぶらせた。

 薄ぼんやりと影が伸びる帰り道を、僕はコソコソ歩いた。気持ち早歩きで。


 そして、いつもの公園の入口で立ち止まる。公園はもぬけの殻。遊具は寂しげに影を落とす一方、公衆トイレの電灯はらんらんと光る。

 

 念には念を、僕は辺りを見回す。

 

「右、よし。左、よし。……後ろ!よし」


 がばりと振り返って、背後も確かめる。周囲に、人の気配は無かった。いつもの通り公園には僕以外誰もいない。


 思わず頬が緩んだ。

 よかった。今日も存分、趣味に没頭できる! 僕は、全力でトイレの個室に駆け込んだ。


 さて。男子高校生、無人の公園、夜の公衆トイレ、秘密の趣味。不埒な言葉の取り合わせだけど、一切風紀の乱れはない。やましい気持ちもあんまり無い。僕の趣味はただ、『人を選ぶ』。それだけのことだ。

 着替えを終えて個室を出ると、姿見の前へ。道具を広げて、鏡に映る自分の顔に迫る。そして、頬を塗り、唇を彩り、目を描く。極めつけにカツラを被って、僕はする。


 鏡の前には、美少女が立っていた。


「今日も美しい……! こんな短時間で仕上げられるなんて、僕の才能が怖い!」


 一つ結いの女子高生は上気しきって、息を荒らげる。自ら作り上げた作品の出来栄えに、作品が自分自身である事実に。


 僕の趣味とは、『変装』である。女を装う『女装』ではなく、僕以外の美しい何者かに生まれ変わることこそ、至上の悦楽。そして、僕には技術がある。ならばくままに、わい尽くすのが道理じゃないか。


 しかし鏡中の美少女には、少し陰りがある。自分よりも美しいものを見たから霞んで見えるのか、完璧な美が揺らぐことへの焦りからか。はたまたその両方か。


「……安藤」 


 その名を口にして、顔をしかめる。

 今日も散々な日だった。文化祭の出し物はまるで決まっていないし、原因の安藤は顔が整いすぎてて気が狂いそうだ。

 第一、何者なんだ。今のところミステリアスなイケメンってことしか僕は知らない。安藤の口元を見た時、犬歯が僕の小指くらい長かった。あれも病気の一部……なんだろうか。病気が酷いなら、手伝ってもらうのも忍びない。


 しかし、安藤の助力を切ってしまえば僕は完全な孤立無援。使えるものは何も無い。


「せめてコレで、客寄せが出来ればなあ」


 艶やかな頬を膨らませてみた。

 文化祭は熾烈な売上競争。目を引き、注目を集める非日常感も文化祭には必要。だから僕は趣味と実益を兼ねて『男女装カフェ』を考えてみた。

 しかし、カフェをするならクラスメイトの協力が必須。男女装なんてセンシティブな題材、帰宅部オタクホワイト男子高校生の提案を受け入れてくれるなんて到底思えない。


「……どうしよう」


 ああ、伏しがちに潤んだ目も愛らしいな僕。

 僕がこんな顔されたら絶対なびいてしまうのに。これを使って泣き落としなんかが出来たら。そんなことが出来たのなら。


「こんな所におひとりか。お嬢さん」


 タイル張りの壁に、低い声が響く。意識を引き戻された。

 

「だ、誰!?」


 声の方に目線を向けると、黒い人影があった。正確に言えば、黒いのは服。しかしあまりの黒さに、夜の闇との境界がわからない。

 ゆらりと揺れた影は徐々に大きくなった。革靴の音がカツカツと迫ってくる。近付いてきているんだ。


「ナイトウォーカー。またの名を吸血鬼だ」


 明滅する光を背に、彼はそう言った。黒い燕尾服を着て。


 思わず目を見張る。

 大きな赤い目は僕の首筋を捉え、白い髪と肌は蛍光灯を反射する。口からは、鋭い牙が伸びていた。

 彼は安藤マヒル、その人だったのだ。


 なるほど、吸血鬼だから日中はほとんど動けないと。……なんかペナルティ軽すぎない?


 いや、肝心なのはそこじゃない。彼は僕をと言った。僕が杓子キョウジだってことに、気が付いていないんだ。


 ……それなら。

 

「それで、吸血鬼さんは僕に何か用?」


 僕は安藤とほとんど話したことがない。だから、あえて名乗らずに様子を伺う。


「吸血鬼が女の元にやってきたのなら、為すことはただ一つ。だろう?」


 ニヤリ、と口角を上げて見せた。彼の口元から牙の先がこぼれる。


「へえ、随分な脅しだね。ハロウィンはまだ先だよ」

「声が震えているぞ。案ずるな、抵抗しなければ殺しはしない」


 動じることなく、彼は真っ直ぐに言う。

 話してみてわかった。安藤は本気だ。ここまでの会話中、僕の頸動脈以外を見ていない。本気で僕の血を吸う気なのだ。腹の底からゾクリと凍える。


 しかし、改めて見れば奴の顔。完成されている。僕と彼が一緒にやれば、クラスメイトの説得も夢じゃない。全員に、男女装の夢を見せることが出来る。そんな思惑が、確信になった。


「でもさぁ。吸うだけ吸ってさよならって虫が良すぎない?」

「何?」

「僕と取引しよう、吸血鬼さん」


 僕はブラウスの襟を緩め、首元を晒す。


「僕の血を吸ってもいい。ただし女装をしろ。君には才能がある」

「は? 女装!?」


 青白い安藤の顔が、照れか動揺か少し赤くなった。やはりいい、安藤の顔は。僕が見込んだ通りだ。昼行燈で終わらせるのはもったいない。


「君を、昼でも輝かせてやるよ」


 僕は言った。安藤の顔にかぶりつくほど迫って。

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