闇落ち勇者は転生聖女の腕の中

 大広間を吹き荒ぶ生温い風にさらわれないよう、聖杖を石畳の隙間にねじ込んでそれに縋りつく。

 風に煽られる銀の髪をそのままに真正面を見据えれば、暗黒に包まれた魔王に向かっていく男性の姿があった。

 

「っ! 危ないっ!」

 

 聖剣を振り上げる勇者に絡みつこうとした闇の触手をわたくしの聖魔法で作った壁で弾く。

 だけど闇の触手はまだうねうねと大量に湧いてくる。

 

「くっ! きりがないなっ!」

 

 勇者様の揮う聖剣で切っても触手は消えていくけど、切った先から湧き出て前に進めない。


 魔王まであと少しなのに。


 触手の海の向こう側、闇に包まれた巨大な肉塊。

 生々しい肉色の表面に沢山の血管のような筋が幾筋も浮かび上がって脈打つソレは、おぞましいことこの上ない。


 だがそれこそが。

 魔王。


 この世を闇に包み込まんと、人を害する魔を生み出す存在もの

 倒さなければ……人々に安寧はない。


 だからこそ、ソレを討伐するためにわたくしたちは選ばれた。

 聖剣を使うことができる勇者エリックを筆頭に。

 聖杖に選ばれた聖女のわたくしセラスティア。

 誰よりも優れた剣技を持つといわれている剣士イーサン。

 誰よりも魔法を巧みに操るといわれている魔法使いスレイン。


 わたくしたちは倒さねばならない。

 ……例え、どんな犠牲を払ったとしても。


「……古代神殿跡地で見つけた極大神聖魔法を使います! だからっ……どうかっ!」

 

 わたくしの呼びかけに、仲間が、勇者様が振り返る。

 一瞬目を見開いたのはスレイン。だけど、直ぐにいつもの無表情に戻った。

 それでも……一瞬だけ交差した黒い瞳には許容の光が宿っていた。

 

「っ! わかった! 俺達が時間を稼ぐ! スレイン! 魔法で俺の援護を頼む!

 イーサンはセラの詠唱が終わるまで魔を一歩も近づけさせるなっ!」

 

 勇者様がスレインとイーサンに指示を飛ばす。

 イーサンの背に守られながら、わたくしは一つため息を吐いた。

 

「……ごめんなさい」

 

「……構わん。お前と勇者は……残るだろう……」

 

 イーサンの低い声がわたくしだけに届く。

 その言葉に……苦く嗤って、わたくしは詠唱を開始する。

 

 わたくしの詠唱と共に、聖なる力でできた円環が浮かび上がった。

 円環の内側には光輝く沢山の槍。

 その切先はひたりと地上へと向けられる。


 その先にいるのは……。

 

 一つ目を瞑って覚悟を決める。


 あぁ、ごめんなさい。


「"神々しい投槍セレスティアルジャベリン"」


 瞬間、光が満ちた。


 煌々とした光が降り注ぐ。

 それはまさに神の怒り。

 

 を裁く光。

 に断罪を下す槍。


 あぁ。

 だからこそ……。


「っ!? ……あぁ! やったっ! やったぞっ! 魔王を倒した! さすがだなセラ!」

 

 極大神聖魔法が起こした光の爆発が去った広間に、勇者様の歓声が響く。

 彼の視線の先には、聖なる槍が何本も何本も突き刺さっている肉塊。

 それは既に動きを止め、槍の刺さった部分から崩れ始めていた。

 それを……どこか遠くの出来事のように感じながら、勇者様の歓喜の声を聞く。

 魔王の最期の欠片が、全て消え去った後、勇者様はわたくしたちの方へ振り返った。

 

「やった! みんなやったぞ! 魔王を倒したんだっ! これでもう魔の者に脅かされる事はない! やったなぁ! 俺たち成し遂げたんだ! セラ! イーサン! スレイン! 俺たちは平和を……セラ?」

 

 振り向いた勇者様と目が合った……ような気がした。

 あぁ、ほんとうにごめんなさい。

 既に足元でこと切れているイーサンも、向こうで倒れ伏しているスレインも。

 ほんとうに……ごめんなさい。

 でも……貴方様が無事なことが……嬉しい。

 

「セラ?! セラっ!? イーサン!? ……スレインまで!? 何故?! なぜだっ! なぜ皆にまで?!」

 

 わたくしの背中から胸を突き抜けた勢いのまま地面を穿つ聖なる光の槍。

 聖女の証として与えられた真っ白な法衣は、わたくしのを吸って紅く染まっていた。

 

「セラ?! なぜっ?! あの魔法は魔の者だけに効果があるんじゃなかったのかっ?!」

 

 驚き慌てる勇者様のお声がだんだん遠くなっていく。

 あぁ、それにしても。

 勇者様には本当に一本も聖なる槍が刺さっていない。

 本当に清廉潔白なお方。だからこそ、わたくし達はあなた様を信じてここまでこれたのです。


 この世界に平和をもたらしてくださりありがとうございます。


 あぁ、そんな悲しいお顔をなさらないでください。

 貴方様は確かにやり遂げたのだから。

 

「セラっ!? セラ!? 死ぬな! やっとっ! やっと魔王を倒したのにっ! 何故っ?! 何故こんな事にっ?!」

 

 槍が刺さったままのわたくしの身体を抱え上げて、勇者様が慟哭する。

 もうお顔が見えない。何も見えない。

 抜けるようなプラチナブロンドに、空色の瞳。いつだって貴方様は輝いていた。

 惹きつけられずにはいられなかった。

 

 だからこその結果。

 自分でも覚悟していた。


「愛して……おりました。エリックさ……ま……」


 たった一つのを胸に、聖女セラスティアはその生涯に幕を下ろす。

 

 ……獣のような咆哮を、耳にしたような気が……した。

 

⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


「て、よくよく考えても、極悪な魔法だったよねー」

 

 最悪な目覚めの中むくりと体を起こせば、今ではすっかり見慣れたこげ茶色の髪が視界に入った。


 ……あの頃は、綺麗な銀髪だったんだけどなぁ。


 そんな詮無い事を思いながら、寝台から身体を起こす。


 洗面台の前に立ってみれば、鏡に映るのは……前世聖女と呼ばれ、恋に溺れて自業自得で命を落とした女の顔が、不機嫌そうにこちらを睨みつけていた。

 ただし、目の色は緑眼からヘーゼルに、キラキラした銀髪はありふれたこげ茶色になってはいるが。

 

「てか、あの魔法を考えついた人間がそもそもヤバいよねぇ~。少しでも罪を、悪意を、欲を抱いたことのあるモノはすべからく裁くとかさぁ。酷い魔法だよまったく……」

 

 ブツブツ文句を言いながら洗面台の隅に描かれた魔法陣に触れて魔力を通せば、蛇口から水が出てくる。

 これは数百年前に実在した、勇者パーティの一員だった魔法使いによって開発されたものだと言われていて、今ではどんなところにでも使われているものだ。

 

 だけど……この魔法陣の開発に至るまでに彼が犯した罪が、彼の命を奪った。

 魔法使いスレインは魔法の研究と称して実験を繰り返し、そのために動物たちの命を奪っていた……恐らく実験には人も使っていたのだろう。それが彼の罪。

 

 剣士イーサンは……彼は自らの復讐心に苦しんでいた。彼が幼い頃彼の村を襲った盗賊を憎んでいた。

 だから、盗賊などの討伐では過剰なほどに手を下していた。

 討伐を依頼した相手がイーサンに対して怖気を感じるほど過剰に。

 

 そして聖女は……恋をした。魔王討伐と呼ばれる大義を成す為、聖女として清らかな存在でいなければならなかったのに……。

 勇者エリックに……恋をした。


 だから、勇者以外の人間は、聖なる光の槍に貫かれてしまったのだ。その罪ゆえに。


「ていうか、ゆーしゃさまはどんだけ清廉潔白な存在だったんだーって話よねぇ。まだ若かったのに、性欲とかなかったのかねぇ?」

 

 蛇口から流れる水を手のひらで受けながらぼんやりと呟く。

 今のわたしはいたって平凡な存在だ。とある国の片隅でひっそり暮らす町娘。

 だからちょっぴり下世話なことを考えたって問題ないのだ。


 ……なぁんてことを考えていたからだろうか。


 トントンと来訪者を告げるノックの音が響いて、思わず激しく動揺してしまった。

 わたしの手に弾かれピシャリと跳ねた水が鏡に歪な模様を穿ち、鏡の中にいる女の頬を滑り落ちていく。

 

「……こ、こんな朝早くだれ? はいはーい! 今行きまーす!」

 

 ばさりとワンピースを頭からかぶって、なんとなく前世と同じように腰まで伸ばしてる長い髪を緩く結びながら、玄関へと向かう。

 その扉の向こうにいる人が誰かなんて、微塵も想像しないまま。

 

「はーい。どちらさまですか?」

 

 玄関を開けた先にいたのは冒険者風の格好をした男性だった。

 埃に汚れた旅人向けの頑丈なブーツ。冒険者が好んで履くズボンと、やっぱり砂埃に汚れたマント。

 そして……。


「……え?」


 思わず戸惑いの声が出てしまう。

 だって……黒目黒髪に変わっていたとしても、その顔は忘れない。忘れられない。

 

「……やっと……みぃつけた」


 ――――セラスティア

 

 にんまりと嗤う目の前の男の顔はどこか恐ろしく、ぞくぞくと背中に震えが走る。


「あ……の……」


 動揺のあまり震える声をなんとか絞り出しているうちに、男の手が伸びてきた。……わたしの喉元に。


「え? んぐっ!」


 無理やりにでもどこか優しく押し倒され、深く口づけられた。

 まるでわたしの存在を隅から隅まで確認するように、相手の熱い舌がわたしの口内で暴れ回る。

 相手の大きな手がわたしの耳を覆ったことで、ぴたりとくっ付いた二人の口の中で奏でられる水音がわたしの脳内に響き渡った。


 唐突に始まった蹂躙口付けは唐突に終わりを告げる。

 見上げた先にあるのは、妙にぬめり赤みを帯びた相手の唇だった。


「……これでもう、あの魔法で二人な」


 濡れた唇を自分の親指で拭いながら、どこか愉しそうに男が呟いた。


「なん……で?」


「なんで? なんでかって? ははっ! それをお前が言うのか? 俺に聞くのか? それは俺がお前に聞きたいよ! その為にこの……っ! なぁ? なんでだ? なんでなんだよっ! お前は知ってた! 理解わかってた! お前だけでなく、イーサンもスレインも理解わかってた! なのになんで!? なんで俺だけ知らなかったんだ? 知ってたら……!!」


 さっきまでわたしに触れていた唇に歯がめり込んで、今にも食い破りそうだ。

 それを止めたくて、そっと手を伸ばす。触れた指先に感じたのは、確かにの温もりだった。

 

「……例えあなたが知っていても……はあの魔法を使ったわ。アレが魔王を確実に滅ぼすと……理解わかっていたから。それに……あなただけは生き残れると信じて……いいえ、違う。あなたに……生きて欲しかったの……エリック様」


 わたしの言葉にぐしゃりと顔を歪めた目の前の男は……確かに勇者エリックだった。

 

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