B-2グループ
あなたと出会わなければ……
初めて見た時、息が止まるかと思った。
日本人離れした……というよりは人間離れしたという表現の方が正しい整いすぎている顔立ちは、思わず触れてしまいたくなる様な魔力を秘めていた。
雪の様に白い肌も、世界を冷たく見やる氷の様なアイスブルーの瞳も、神が造形したと言いたくなる整った顔立ちも、それらを包み込む限りなく色素が薄い透き通る様な金色の髪も。
昔、私が両親に欲しいと
可愛いとか、美しいとか。そういう感情を抱くよりも前に欲しいと思った。
絹糸の様に流れ落ちている髪を触ったらどの様な感触がするだろうか。
綺麗なドレスを着せて、可愛らしいアクセサリーを付けて、着飾った姿を見てみたい。
今、着ているような……どこにでもあるセーラー服では無く、彼女だけの服をオーダーメイドの服を……。
「
「は、はい! お母様!」
「何を放心しているのですか! 一条家の人間としての自覚を持ちなさいと、いつも言っているでしょう!?」
「っ! 申し訳ございません。お母様」
「まったく。ただでさえ汚らしいドブネズミが家に入り込んでいるというのに、貴女まで面倒を起こさないで頂戴!」
八畳しかない狭い和室の中でお母様のヒステリックな叫び声はよく響き、お母様の正面に座っているお父様の肩がピクッと震えた。
しかし、お父様の隣に座っている少女は少しも変化を見せない。
それが余計に彼女を人ではない物にしている様でもあった。
「まぁまぁ。落ち着いてくれ。佳奈子」
「これのどこに落ち着ける要素があるのです!? こんなみすぼらしい娘を一条家に入れて!」
「ハァ……」
「あなた!」
あぁ、と私は目を伏せた。
怒りに任せて暴走しているお母様は気づいていないが、お父様の雰囲気が変わったのだ。
酷く冷たい目でお母様を見やるその目は、まるで使えなくなった道具を見ている様な物で、少女とよく似た目をしていた。
「黙れ、と。僕は言ったんだけど、聞こえなかったのかな」
「っ!」
「一条、一条と騒がしいが、君は所詮この一条家に嫁入りしてきただけの人間。部外者だ」
「し、しかし、私は由希子を」
「男を生めなかった女が何か意見出来ると思っているのか?」
お父様の冷たい目と言葉で、お母様は完全に言葉を失ってしまい、膝の上で両手を強く握りしめて震える。
怒りか、悲しみか……憎しみか。
「まぁ良い。僕はそこまで血筋という物に興味は無いからね。由希子で優秀な男を引き込む事が出来れば、まぁ、お爺様達も納得するだろうさ」
お父様は指でテーブルを叩きながら、酷く怖い顔をして笑みを深めた。
どこを見ているのか分からないが、あまり良くない事を考えているのだろうという事は良く分かる。
そんなお父様を見ていると、私は思わず右後ろにある扉から外へと飛び出したくなるのだ。
しかし、この場から逃げる事は出来ない。
私が一条家の人間である限りは。
「しかし、由希子が良い男を捕まえられなければ……先ほどの話は無しだ。お前たちは一条家から出ていけ」
「そ、そんな! それでは一条家の血は」
「君ごときが心配する必要はないが、
「っ!」
お父様の言葉に、お母様の顔が怒りに染まる。
だが、お父様に冷たい視線を向けられ、お母様は再び顔を伏せてしまった。
「話は以上だ。由希子。佐奈は来月からお前と同じ学校に通う。準備を手伝ってあげなさい」
「……はい」
私はお父様の怖さに俯いたまま返事をしてしまった。
しかし、お父様は特に何かを仰る事もなく、そのまま部屋を出て行ってしまう。
続いてお母様もよろよろと立ち上がって部屋を出て行った。
残されたのは私と、佐奈という名前の少女だけ。
「あ、あの」
「……なに?」
「その、えと。ま、まずは自己紹介をしましょうか。私は一条由紀子と申します」
「佐奈」
「え、と……はい」
淡々と何の感情も見せないまま呟かれた名前に、私はただ頷く事しか出来なかった。
心の底から私に興味がないのだと全身で示している。
しかし、それでも折れたくはなかった。
私は、彼女と仲良くなりたいのだ。
「さ、佐奈ちゃんは!」
「佐奈で良い」
「あ、はい。その佐奈は、何年生になるんでしょうか」
「知らない」
「知らないって」
「私はずっと家に居たから、何年生とか、知らない」
「え……なんで」
「学校なんて知らなかったから。勉強とかは家でやってたし」
「そ、そうなんですね」
「だから……」
不意に、私から外れていた視線が私の方に向いて……佐奈ちゃんと視線がぶつかった。
瞬間、胸が締め付けられる様な息苦しい感覚に襲われる。
「これからよろしくね。お姉ちゃん?」
薄く口元を引き上げて笑う佐奈ちゃんに私は意識がのみ込まれるような感覚を受けた。
まるで悪魔と出会ってしまった修道女の様に。
**
事件です。
事件が起きました!
聖城学園始まって以来の事件と言っても過言では無いと思います!
事件の名は一条佐奈さんという……今年から聖城学園高等部に入学された一年生の方なのですが。
入学式の時から、その透き通る様な美しくも愛らしい容姿で見た者を一瞬で魅了し、あの一条由希子様の妹君という事で二重に驚かれた奇跡の方でございます。
外部生だというのに内部生の中にも自然と入り込み、誰よりも目立つのが好きな花園家の麗華様すら数日で彼女を『友人』として認めてしまう程で……これはまさに奇跡という様な出来事でした。
しかも一条佐奈様は、その透き通る様な儚げな容姿からは考えられないほど運動神経も良く、体育の授業でバスケットボールを行った時には、信じられないほど機敏な動きでコートの中を走り回り、颯爽と点を取ってしまう程でした。
しかもしかも! お一人で点数が取れてしまう程に素晴らしい方だというのに、チームのスポーツだからと、チームメイトにボールを渡し、対戦相手にも気を遣う完璧具合なのです。
なんて素晴らしい方なのでしょう!
ちなみに、私はこの試合で佐奈様のチームメイトであったが、生まれて初めてゴールにボールを入れるという経験をさせて貰いました。
その時の彼女の微笑む顔はまさに天使で……私はこの方と同じ教室で良かったと神様に感謝した物です。
と、話が逸れましたが、佐奈様はとにかく素晴らしい御方なのです。
そんな佐奈様が、まさか誰も居ない庭園の中でご自身のお姉様である一条由希子様と不穏な雰囲気でお話をされているとは……!
まさか、まさかでございます!
「佐奈。その、先生からお話がありました。何か私に言わなければいけない事があるのでは無いですか?」
「ありませんよ。何も」
お二人が現れた事で咄嗟に私は色とりどりの花が咲き乱れる背の高い花々の影に隠れたのですが、ここからでも十分にお二人の様子を伺う事が出来ました。
覗き見など淑女のする事ではありませんが、何故か険悪な雰囲気で居る二人の前に出る勇気はなく、私はこのまま息を潜める事にします。
「貴女が、その……空き教室でいかがわしい事をしていたと聞きました」
「いかがわしい事? 何ですか? ソレは」
「そ、それは……! 私の口からはとても」
「言えないですか? 言えないのなら、何も無かったのではないですか?」
「それは……! 私は確かに」
「先生から聞きましたか? どの様な事を? お聞きしたいですね。お姉様の口から」
「……っ」
「本当に初心なお姉様。良いですよ。私が教えてあげましょうか。ひとつ、ひとつ……順番に」
「や、やめ……っ」
佐奈様は、普段のお姿からは信じられない様な妖しい笑みを浮かべると、一条由希子様に近づいて腕を握り、抱き寄せます。
そして耳元に唇を寄せながら、囁くような……それでいて私が隠れている所までハッキリと聞こえる様なよく通る声で、背筋が震える様なお言葉を紡いでおりました。
「最初は、想いを確かめ合うのです。良いですか? 手で触れあって、相手のぬくもりを感じる。そして指でそっと頬に触れて……」
「や、やめて」
「唇を触れ合わせるのは、もう少し、あと。お姉様。まだです……まだ触れ合う時間が足りません」
「……さなっ」
な、何をされているのでしょうか?
お二人の体が重なり合い、よく見えませんが、見てはいけない物を見ている様な気がします!
「この学園はまるで宝石箱ですね。大事に大事に隔離された宝石箱。何も知らないまま、いつか売りに出される日を待つ宝石が詰まった宝石箱。お姉様はどの様な相手に買われるのかしら」
「佐奈!」
一条由希子様が叫んだ瞬間、幻の様な時間が終わり、お二人は最初にお話していた時の様に少し離れた場所から見つめ合っていました。
今のは……夢?
「佐奈……! 貴女は、いつもこんな事をしているのですか!?」
「そう怒らないで下さい。この様な物。お遊びみたいなモノですよ」
「これが、お遊び……!?」
「そうですよ。お姉様。いつかお姉様も外の世界で、獣に食べられてしまいますから。それに比べれば、ただのお遊びですわ」
「あ、貴女は……! 貴女は、もう」
「違いますよ」
一条由希子様がご自分の体を抱きしめながら放った言葉に、佐奈様は見た事がない程冷たい瞳で一条由希子様を見やりました。
直接視線を向けられていない私ですら、思わず逃げ出したくなってしまう様な、冷たい瞳。
「私はあの男に管理されてますから。穢れは一切無いんですよ。家に行く度に確認されてますしね」
「な、なぜ……?」
「私はあの男に買われましたから」
「でも、貴女は私の妹ですよ!?」
「血は繋がってませんよ。貴女も貴女のお母様も信じた様ですが。私にあの男の血は一切入ってません」
「そ、それでも!」
「何か変えられるとでも? ただ買われるのを待つ宝石に出来る事なんて何もありませんよ。何も、ね」
そして、佐奈様はそのままどこかへ行ってしまわれた。
一条由希子様も、佐奈様が去ってからしばらくして、庭園を去って行った。
残された私は、花びらを制服に付けながら、一人庭園で呟くのだった。
「大事件ですわ」
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