9話目 「きさらぎノート」

 そのノートは、秋葉原駅の裏手──再開発予定地の金網越し、

 かつて貨物線が通っていたとされる廃線跡の片隅に落ちていた。


 フェンスには「関係者以外立入禁止」の錆びた看板。

 剥がれかけたタイル。崩れかけた階段の途中で、レトはそのノートを見つけた。


 表紙には、油性マジックで殴り書きされたたった一言。


 ──きさらぎ──


 「これ、ちょっとアヤしいにもほどがあるね」


 レトは苦笑しながらノートを開いた。


 中には、ボールペン、鉛筆、マーカー、万年筆など筆記具もまちまちの文字が乱雑に書き込まれていた。

 筆跡もバラバラで、同じ人間が書いたとは思えない。


 「これ……“観測者”が書き継いでる?」


 「そうかも」


 輝は表紙裏の書き込みに目を留めた。


---


> 200X/02/10(木)23:50

> 【実況】電車に乗ってたら知らない駅に着いた。

> 駅名は『きさらぎ』って書いてある。

> 電波が通じない。誰か、見てたらレスくれ。


---


 次のページには、焦りと恐怖が滲む書き込みが続く。


> ホームから出ても道がない。

> 山に囲まれてる。人の気配がしない。

> 足音が聞こえる。誰もいないのに。

> お願い、助けて。


 そして、さらに進んだページでは、筆圧が強く、文字が歪んでいた。


> ※ここに書いていれば、消えない※

> ※記録だけは、残る※

> ※忘れないで※


 「これ、ネットのコピペに似てる。

 “きさらぎ駅スレ”って、2004年頃の2ちゃんねるで話題になったやつ」


 「けど、これ紙で手書き……しかもいろんな筆跡」


 レトが目を細める。


 「十年以上にわたって、誰かが書き継いできた。リアルな記録。

 このノートそのものが、“きさらぎ駅”の観測媒体かも」


 そのときだった。


 ──ガタン、ゴトン。


 地下から、確かに電車の走る音が聞こえた。


 「おい……」


 「まさか……」


 最後のページに、小さく印刷されたような文があった。


---


> 最後の観測者へ

> この記録を手にした者は、観測を継続せよ。

> 駅は、再び現れる。


---


 空気がひしゃげるような感覚。

 目の前の世界がわずかに“ズレ”て、風が逆方向に吹いた。


 気がつくと、二人はコンクリートのホームに立っていた。


 電灯の消えた構内。古い案内板。人気のないベンチ。

 そして、柱に掲げられた駅名プレート。


 ──きさらぎ駅


 「マジで来た……」


 レトが震える声で呟いた。

 輝は無言でノートを開いた。白紙だったページに、自動筆記のように文字が現れる。


---


> 200X/??/??

> 観測者:風間輝・レト

> 記録開始:構内探索中/出口不明/電波圏外

> 魔術的干渉の兆候:有


---


 「これ……俺の記録術式が働いてる。ここ、境界が薄い」


 輝の額に汗がにじむ。

 空気の密度が異世界に近い。魔術が“漏れて”くる感覚があった。


 構内を進むと、ベンチのそばの柱に、色褪せたチラシが貼られていた。

 その隅に、妙な図形が印刷されていた。


 ──AAだった。


 「これ……“モナー”だよ。昔の掲示板で流行ってたキャラ。

 AAって言うの、アスキーアート。記号だけで描く絵」


 レトが軽く笑う。


 「ネット住民の“魔術陣ごっこ”みたいな感じ。ネタだけど、けっこう凝っててさ。

 実は呪文を仕込んだり、信仰みたいになってたりもする」


 輝の目が光る。


 「……文字比率、回文構造、図形交点……。

 これ、魔術陣として成立してる。しかも、“AA”で再現されてるとは……」


 「本気で言ってる?」


 「これは術式だ。AAを使って脱出できるかもしれない」


 レトはあきれたように笑った。


 「うそでしょ……じゃあ、

 “AAで、異界から帰還する”ってやつ? 最高にネットっぽいな」


 輝はすでに真剣な顔でノートを開き、チラシのAAを解析し始めていた。

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