第9章:分岐 ― 身体が制度を選び始める世界へ ―
特区創設準備会合は、東京から新幹線で2時間離れた中山間地域――
過疎化が進む旧町役場の一室で行われた。
名称:身体的文化多様性特区構想(仮称)準備会
集まったのは20名足らず。
医師、栄養士、社会学者
地元の農家と発酵職人
東南アジア系の移民コミュニティ代表
難病患者を家族に持つ市民
若手の地方議員
そして、梶原修造。
冒頭、梶原は言った。
「ここにいる皆さんの身体が、制度に最適化されてこなかったこと。
あるいは、されることを拒んできたこと。
その“逸脱の記憶”こそが、この特区の出発点です」
ある発酵職人の老婆が語った。
「うちの味噌、近所のスーパーじゃ“塩分過多”って言われるんだよ。
でも、年寄りがそれで倒れたことはない。むしろ元気で山登ってる」
ある移民女性が言う。
「子どもが給食のあと、いつもお腹を壊してたんです。
でも私の作ったスパイススープでは平気だった。
それで、制度って誰の身体でできてるんだろうって思った」
議論は、制度の再設計へと向かっていた。
食事制度は「栄養素」ではなく「感覚的適合性」で分類する
医療制度には“身体の個別性”を反映するカルテ設計が必要
家族制度も、“食と身体感覚”を共有する単位として再定義すべき
それは、制度が“身体に奉仕する”方向への構造転換だった。
最後に議題となったのは、最もセンシティブな提案だった。
《遺伝的混血推進を前提とする社会実験地区》
移民受け入れと身体特性の遺伝的多様化――
いわば、“文明の呪いにかけられたDNA”を、
混ざり合うことで“解呪”しようとする政策構想の核だった。
意見は割れた。
「優生思想と取られないか?」
「出産や婚姻に国家が関与するのは踏み込みすぎでは?」
「だが、今まで制度は黙って身体を選別してきたじゃないか。
これは、その逆を制度が認める初めての試みだ」
梶原は言った。
「混血は目的ではありません。
“固定化された身体と制度の関係性を流動化するためのプロセス”です。
血をまぜることが重要なのではない。
制度を選ぶ身体の側に、複数の選択肢を戻すことが本質なのです」
その言葉に、多くが沈黙した。
だが、否定の声は出なかった。
会合の結びに、ひとりの若い女性が言った。
「私は、アレルギー体質で、どの“正しい食事”も合わなかった。
でも、移民の友人の家庭料理は平気だった。
“うちの文化、合う人には合うのよ”って言われて――泣きそうになった」
「だから私は、“合う食事”を制度にしてくれる国に住みたいと思ったんです」
会合の最後に採択された。
身体的文化多様性特区、設立準備正式決定
目的:制度と身体の関係性を再構築する自治実験拠点
方法:多文化・多食・多身体モデルを制度側から受け入れるプロトコル設計
梶原は帰路の車内で、ひとつのノートを開いた。
その表紙には、かつて病院で目覚めた夜に書いた言葉があった。
「制度とは、身体を最適化するためのOSである。
だが最適化とは、排除の言い換えでもあった。
今こそ、OSのバージョンを身体に合わせて切り替えるときだ。」
列車の窓に映る自分の目は、ようやく真っすぐだった。
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