第7章:逆流 ― 制度の外から、社会が揺れ始める ―
《梶原修造 議会演説ダイジェスト》
24時間で視聴回数は280万回を超えていた。
「制度が壊してきた身体を、制度自身の手で修復する」
「稲作という“文明の神”に、初めて問いを立てなければならない」
「我々は、千年かけて“白米に適応した身体”を作ってきた。
だがその代償が、今も我々の内臓を蝕んでいる――」
論争の火種となるはずのその動画は、しかし奇妙に**“共鳴”されていた。**
怒りよりも、静かなうなずきが広がっていた。
医療の現場:東京・杉並区
内科医・塚本は、診察の合間に動画を見終え、深く椅子にもたれた。
「肥満じゃないのに、血糖値が異様に高い」
「精製された炭水化物で急に悪化した」
そういう“説明できない”患者が何人もいた。
真面目に食事指導を守っても、悪化していく身体。
「……俺たちは、制度を守る医療をしてきたのかもしれないな」
同僚がぼそっと呟いた。
塚本は何も答えられなかった。
議員の言葉の中に、患者たちの声が潜んでいると気づいていた。
小さな食堂:東京・西荻窪
6席だけの定食屋。昼時、女店主がひとつの小鍋に火をかけていた。
昆布と干し椎茸の出汁。
鶏の皮を軽く煮出して旨味をとり、山芋を溶かし、
焼いた小魚を砕いて加え、塩で仕上げる。
ヘルシー定食でもなければ、昔ながらの和食でもない。
でも、どこか身体がよろこぶ組み合わせ。
常連の年配客が一言呟いた。
「こういうのが、身体にいちばん優しいんだよな。
あの演説の人、よくわかってるよ」
女店主は笑ってこう返した。
「“正しい食事”より、“うれしい食事”。
それが、うちの新しいテーマかもしれません」
移民家庭:埼玉・草加
看護師のセイラは、夜勤明けの台所でスープを温めていた。
鶏ガラ、生姜、ターメリック、玉ねぎ、少しの豆と野菜。
祖母がいつも作っていた東南アジアの薬膳スープ。
一口すすると、胃の奥がすっと緩む。
スマホには、議会演説の要約が流れていた。
「制度に殺された身体は、制度の外でしか立ち上がれない」
その言葉に、セイラは思わずうなずいていた。
「わたしの身体がずっと守られてきたのは、
このスープが“制度の外”だったからなのかもしれない」
SNSの風景
#制度の腹
#文明のローン
#身体OS
#食べて “うれしい”は正義
#混血で呪いを解く
奇妙なハッシュタグが並び始めていた。
「うちの祖父、白米中心だったけど糖尿病で早く亡くなった。
でも東南アジア出身の祖母はずっと元気。
“身体の系譜”って、たしかにあるのかも」
「“米文化が悪”って話じゃなくて、“身体が偏りすぎた”って話。
あの議員、正論だったと思う」
政策草案への注目
梶原議員が提出した法案は、
表面上は“文化的食多様性の保護”という穏当な名目だったが、
注釈には、こう明記されていた。
『本法案は、現代日本における糖尿病・内臓疾患の遺伝的要因に鑑み、
列島民の単一的身体構造の解呪を目的とし、
移民政策を「文化的・遺伝的多様性の注入」として制度化する。』
つまり――
「呪いを解くには、別の血が必要だ」と制度が言い始めたのだ。
賛否は拡がった。
「優生思想だ」「民族交配を奨励する気か」といった声も少なくなかった。
だが、SNSの静かな反応は違った。
「“混血=脱制度”。これ、未来のキーワードかも」
「身体に刻まれた呪いは、制度ではなく遺伝が解いてくれる。
制度がその可能性を受け入れたってのがすごい」
梶原の夜
自宅の台所で、梶原はスープを温めていた。
昆布と椎茸の出汁に、鶏の手羽元。
山芋をすりおろし、小松菜と刻み海苔を浮かべる。
塩と少しの醤油だけで味を整えた。
ひと口、啜る。
胃が“ありがとう”と言った。
「制度は、まだすべてを奪ってはいなかった」
そう思えたことが、何よりの救いだった。
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