32.改革! 製品加工課

 翌日、クロダはユートを連れて製品加工課の執務室を訪れていた。


「チッ……そんな適当なノリで、ウチに話を持ってくんじゃねえよ……」


 渡された提案書をぱらぱらとめくりながら、バルドが低くぼやく。


「部門長の判子つきかよ。……ったく、これじゃ断りようがねえだろうが」


「す、すみません……」


 申し訳なさそうに縮こまるクロダを、バルドはじろりと睨みつける。


「急に課を出ていったと思ったら、次は面倒ごとを背負って戻ってくるとはな……。こっちの気持ちも考えろってんだ。なあ、お前らも、そう思うだろ?」


 バルドがイライラまじりに課員たちへ話を振ると――返ってきたのは意外な反応だった。


「残業が減るのに、給料は増えるだって!? 夢かこれは!?」


「おお、ついにこの地獄から解放される日が来るとは……うるうる」


「さっすが、俺たちのクロダさんだ! 格がちげぇぜ!」


 課員たちは一斉に盛り上がり、口々にクロダを持ち上げはじめた。


「クロダ! クロダ! クロダ! クロダ!」


 室内にクロダコールが巻き起こる。


「すごい人気っスね……課長、実はすごい人だったんスね」


 隣でユートが目を丸くしながら感嘆の声を漏らす。


(おお……このちやほや感、初体験だ……!)


 クロダは目尻を熱くしながら、天井を見上げていた。


 一方、一人面白くないのはバルドだ。苛立ったように舌打ちを一つすると、ドカドカと音を立てて資料室へ向かう。


「おい! こっち来い!」


 バルドが資料室の中へ怒鳴ると――


「はいっ! すぐ行きますっ!」


 間髪入れず、元気な返事が返ってきた。一人の青年が姿を現す。


「どうしましたかっ? 課長!」


 現れたのは――テッドだった。




「クロダさん! お久しぶりです!」


 テッドはクロダの姿を見つけるやいなや、勢いよく駆け寄ってきた。


「クロダさんがいなくなってから、大変だったんですよ! なんとか穴を埋めようと必死で頑張ってたら……気づいたときには、課長就任だなんて! やっぱり、クロダさんってすごいです!」


「い、いやあ……それほどでも」


 手放しの称賛に、クロダは思わずにやけてしまう。


 しかし、ざわつく課員たちと、バルドの険しい視線に気づいたテッドは、首をかしげた。


「それで……今日はどうされたんです?」


 クロダは、製品加工課の改革案導入についての説明を始めた。


(バルド課長には悪いけど……テッドを味方につければ、もらったも同然だ)


 そんなクロダの楽観的な思惑とは裏腹に、テッドの表情はどんどん曇っていく。


「クロダさん……僕の先月の残業時間、何時間だったかご存知ですか?」


「え、急にどうした? いや、知らないけど……」


 戸惑うクロダに、テッドはニヤリと笑い、指でVサインを作ってみせた。


「なんと! 先月だけで……200時間突破です!」


「なにーーーーーっ!!??」


 クロダは衝撃のあまり、盛大にひっくり返った。勢いよく床に倒れ、腰を強打して悶絶する。


 涙目で腰をさするクロダを、テッドは自慢げな表情で見下ろした。


「フッフッフッ……クロダさん、前に言っていましたよね? 過去の最高は180時間だって。ついに、超えちゃいましたよ!」


「クッ……そんな、バカなッ!」


「クロダさんを見習って、僕も成長したってことですよ。クロダさんには感謝しています。でもね……」


 テッドはガシッとクロダの両肩をつかむと、目を見開いて叫んだ。


「残業を減らすなんて、許せません! 目を覚ましてくださいよ、クロダさん!」


(これは完全に予想外の展開だ……)


 クロダは、テッドの圧に押され、思わず目を伏せた。





「どうだ、クロダ。今やテッドはお前と同等……いや、お前以上の残業ジャンキーになり下がった。案を通したいなら、こいつを説得してみせろや!」


 バルドは腕を組み、テッドを頼もしげに見つめる。


(ま、まずい……テッドなら、簡単に説得できると思ってたのに……)


 当てが外れて焦ったクロダは、困ったようにテッドを見た。テッドは、どこか寂しげな目をしている。


「クロダさん……僕らはもう、残業時間自慢で盛り上がることも許されないんですか?! また一緒に、ひどいプロジェクトの話で張り合いましょうよ!」


 その姿は、まるで昔の自分を見ているようだった。言葉が、うまく出てこない。


「課長、この人……大丈夫っスか? 一回、休みを取った方がいいんじゃないっスか?」


 素朴な疑問をぶつけるユートだったが……それは、あまりにもタイミングが悪かった。その瞬間、残業に取り憑かれた悪魔が、ユートをロックオンした。


「おや君、"休みを取る"だって? ずいぶん軟弱な思考だね。僕が鍛え直してあげるよ。大丈夫! 一週間もすれば僕のように無心で仕事に没頭できるようになるよ……」


 テッドはすばやくユートの背後に回り込み、がっちりと肩を抱きしめる。


「ひぇっ?! か、課長! 助けてほしいっス~~~!」


(ユート一人を犠牲にこの怪物を止められるのなら、それもありか)


 一瞬、そんな考えが脳裏をよぎったクロダだったが……すんでのところで思いとどまり、テッドの腕を掴んだ。


「テッド……残念だが、残業が正義の時代は、もう終わったんだ……」


 クロダの声には、静かな決意がこもっていた。


 テッドは涙目でクロダに縋る。


「そんな! クロダさん、ダメです! こっちの世界に、戻ってきてください!」


「……いや。時代の流れには逆らえない。今、ギルドは残業時間を減らす方向へと進んでいる。私はその流れに乗る。テッド、君は……どうする?」


 クロダとて、残業に未練がないわけではない。だが今の彼には、任された課があり、支えてくれる部下たちがいる。彼らの努力を無駄にはできない。


 その覚悟が、クロダの表情ににじんでいた。


 テッドはそれを見て、自分の信じた“道”が、もう過去のものになったことを悟った。


 顔から血の気が引き、唇がわなわなと震える。


「そ、そんな……僕は、僕は…………ウワーーーーーーーーーーーーン!!!」


 テッドは大粒の涙をこぼしながら、資料室へと駆け込み、勢いよく扉を閉めた。


 ドスン、ガタン、ドン!


 中からは、何かがぶつかる激しい音が鳴り続けている。誰もが恐れおののき、資料室には近づこうとしない。


 静まり返った執務室に、突然ガチャリとドアが開く音が響いた。


 沈黙を破って現れたのは――リーナだった。


「バルド課長、新しい納品書のフォーマットをお持ちしました!」


「お、おう……?」


 バルドは、さきほどの衝撃から回復しきっていないようで、言葉少なに書類を受け取る。


「部門長の許可をいただいて作成した、生産部統一の書類です! これを使えば、書類作成の手間が大幅に削減されます!」


「たしかに……そうかもな」


 リーナの生真面目な説明が、バルドに刺さる。


(課長……さてはまだ、頭が回ってないな?)


 その隙を逃さず、クロダは畳みかける。


「バルド課長……今回の残業改革、承認ということでよろしいでしょうか?」


 バルドは、観念したようにがっくりとうなだれた。


「……そうするしかねえだろうよ」


 その言葉に、クロダたちは声を揃えて深々と頭を下げた。


「ありがとうございます!」


 その様子を見ていた製品加工課の課員たちは、歓声をあげて沸き立った。


「ウォーーーッ!! クロダぁぁ!!!」


 その歓声は地鳴りのようにギルド会館を揺らし、何事かと騒ぎになった。


 この騒動により、ギルドの業務が五分間だけ全面停止した――というのは、また別の話である。

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