22.スーパーヒーロー・セシル

 翌日の素材調達課は、朝から慌ただしさに包まれていた。


 クロダが出勤してまず気づいたのは、窓口に誰の姿もないことだった。念のため執務室を覗くと、課員たちは黙々と雑務に取り組んでいる。


(昨日あんなことがあったし、窓口には立てないってことか……。ってことは、もしかして――今日は俺ひとり?!)


 クロダは窓口に戻り、一人で準備を整えながら落ち着かない気持ちで時計を見つめた。ふだんは五人体制で対応しているのだ。自分だけですべてをさばけるとは、到底思えない。


 そして、鐘が鳴る。午前8時。チャイムとともに、シャッターがガラガラと音を立てて開いた。


 直後、窓口前にはずらりと客が並び始める。開いている窓口が一つしかないことに気づくと、彼らは迷いなくクロダのもとへ列を作った。


 見たことのないほどの長蛇の列。思わず、クロダは目を瞬かせる。


(でも……俺しかいないって現実は変わらないし……やるしかないか……)


 クロダは大きくひとつ深呼吸をして、一人目の客を呼んだ。





 業務開始から1時間が経過した。


 だが、クロダの前にできた列は――全然、減っていなかった。


 考えるまでもなく、当然の結果だ。


 もともと列が長いうえに、新しくやって来る客は、開いているただひとつの窓口――つまりクロダの元に並ぶしかない。


 一人さばくたびに、五人が加わっていく……これでは、列は増える一方だ。


「おいおい、どうなってんだ……全然、俺たちの番が来ないじゃないか!」


「早くしろー! 俺たちも暇じゃないんだぞー!」


「《黒鉄の牙》、マジ終わってんな……次から別のギルドに行こうか?」


 列に並ぶ客たちの間にイライラが募り、不満の声が次々に耳に飛び込んでくる。


(そうは言っても……今日は俺しかいないんだよ……! 物理的に、これ以上は無理なんだよー!)


 クロダは心の中で悲鳴を上げるが、その叫びが届く者はいない――


 ……はずだった。


「……やれやれ。どんな様子かと思ったら、ひどい有様じゃないですか」


 その声は突然、列の向こうから響いた。


 クロダがハッと顔を上げると、逆光を背負って立つ男がいる。その姿は、まるで後光に照らされたスーパーヒーローのようだった。


(きゅ……きゅ……救世主様ぁーーー!!!)


 その人物こそ、素材調達課・課長――セシル、その人であった。





「まったく……この量を一人でこなそうなど、無謀にもほどがあります」


「か、課長……!」


 感激で目を潤ませるクロダをよそに、セシルは手早く窓口を二つ追加で開いた。


「私も入ります。さっさと片づけましょう」


「は……はい!」


  セシルは列を手際よく三つに割り振ると、そのうち二列分を同時にさばきはじめた。


(速い!)


 セシルの作業スピードに、クロダは目を見張った。


 二列を同時に捌いているにもかかわらず、一人あたりの処理速度はクロダと同じ――いや、それ以上だ。


 結果として、クロダのおよそ三倍のペースで、次々とさばいていく。


(なんで、こんなに速いんだろう?)


 作業をこなしながらも、クロダはついセシルの様子をちらちらと観察してしまう。

すると、驚くべきことにセシルは一度もマニュアルを開いていなかった。


「全部覚えてるってことですか?! この、素材ごとの価格表……100種類以上あって、しかも相場は週ごとに変わるのに?!」


「……それくらい当然です。なにしろ、そのマニュアルを作ったのは、私ですから」


 クロダの驚きに対して、セシルは眉一つ動かさずに淡々と答える。


(マニュアルを、課長が……それなら、納得……できるわけないじゃん! どんだけ頭がよければ、この量を覚えられるんだよ……)


 クロダは驚きつつも、セシル一人に任せてはなるまいと、必死で作業ペースを引き上げた。


 その甲斐あって――いや、大半はセシルの働きによるものだが――長蛇の列はみるみるうちに短くなっていき、ちょうど正午になる頃には、すべての応対を終えることができた。





「な、なんとかなった……」


 昼食休憩に入って背もたれに身を預けたクロダを、セシルはため息交じりに見下ろした。


「ひとまず午前は片づきましたが、このままでは午後も同じ状況になるのは目に見えています。早急に対策を考えなさい」


(た、対策だって……?)


 クロダは困惑した。セシルの言っていることが、いまひとつ理解できない。


「で、でも、私は課長の言う通りにやりました。他のメンバーが作業できないから、私が一人で対応しろって……」


「いいえ。違います」


「えっ」


「私は、『あなたに任せます』と言ったのです。あなた一人では回らないことなど、当然予想できたはずです。だからこそ、それを見越して対策を講じなさい、と指示したのです」


(い、言ってないっ! それは絶対に、言ったうちに入らないっ!)


 クロダは心の中で全力でツッコミを入れたが、口をついて出たのはまったく別の言葉だった。


「すみません……では、どうしたらいいのでしょうか?」


「私はあなたに"任せた"のです。方法は、自分で考えなさい」


 突き放すようなセシルの返答に、クロダは何とも言えない気持ちになった。


(ああ、いるよなあ……こういう"部下に考えさせる教育"ってのをモットーにしてる人……異世界にもいるんだなあ)


 クロダはこれまで、仕事では言われたことしかやってこなかった。自分で考える、などという、リスクの高い行動は選択できない。もっと具体的な指示が欲しい。


 動けずに固まっているクロダを見て、セシルは深くため息をついた。


「考えることも含めての指示のつもりだったのですがね……。まあ、いいでしょう。こちらに来なさい」


 そう言うと、セシルはクロダを連れて素材調達課の執務室へと向かった。

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