19.マニュアル通り動いているだけなのに……
翌朝7時半。クロダはギルド会館に出勤すると、執務室ではなく一階の窓口へと向かった。
今日から素材売買窓口の担当だ。セシルの指示通り、マニュアルを片手に割り当てられた席に腰を下ろす。
始業までまだ30分もあるというのに、5つ並んだ窓口のうち、他の4つはすでに先輩たちが着席済みだった。
(まずい、早めに来たつもりだったのに……新入りなのに、情けない。明日は6時に来よう……)
申し訳なさから思わず身体を縮こませるが、周囲は昨日の執務室と同様に静まり返り、クロダのことを気にする者など一人もいなかった。
リンゴ―ン、リンゴ―ン。
8時のチャイムが鳴り響き、窓口が開く。慌ててマニュアルを脇に置き、準備を整えるクロダの前に、さっそく客である冒険者たちが列をなした。
マニュアルとにらめっこしながら、差し出される素材を一つひとつ確認する。クロダは慣れない手つきで、ぎこちなく対応していった。
◇
リンゴ―ン、リンゴ―ン。
17時のチャイムとともに、窓口のシャッターがガラガラと音を立てて閉じる。
クロダは、疲労困憊でその場に突っ伏した。
(初日とはいえ……今日は全然ダメだったな、俺……)
窓口業務は、想像以上に神経を使う仕事だった。作業手順はマニュアルでカバーできても、処理のスピードは完全に個人の技量による。
素材の価格を調べるのに手間取り、素材の扱いもおぼつかず、一人ひとりの対応に余分な時間を掛けてしまった。次から次へと客がやってくるため、気の休まる暇もない。
隣の窓口と比べると、クロダの列の進みは目に見えて遅かった。
(しかもこれ、お客様相手だから、残業して遅れをカバーなんてこともできないし……)
得意技が封じられ、クロダはこれまで感じたことのない閉塞感を覚えていた。
そして今日も、先輩たちは定時きっかりに業務を終え、淡々と帰っていった。
(この窓口、24時間営業にならないかなあ……そうすれば、俺だって遅れを挽回できるのに……)
心の中で現実逃避をしながら、クロダは肩を落として帰路に就いた。
◇
だが、クロダはそう簡単にへこたれる性格ではない。
一週間もするとすっかり業務に慣れて、周囲と比べても遜色ない速度で客をさばけるようになっていた。
(最初はどうなることかと思ったけど、慣れればできるもんだなあ)
その日、クロダの列は早めにさばけて、ひと足早く昼休憩に入っていた。
いつも通り、食堂で買ってきた「ゴブリンのサンドイッチ」をかじっていると、突然背後の扉が開いてセシルが姿を現した。
「お邪魔しますよ」
(な、何の用だろう……)
クロダはセシルがまだ何も言っていないというのに、ビクッと身体をこわばらせ、姿勢を正した。
セシルはバルドと違い、口調や仕草から感情を読み取ることが難しい。怒っているのかそうでないのか、さっぱり分からない。クロダはセシルに少しだけ苦手意識を持っていた。
「クロダ」
「は、はいっ!」
跳ねるように立ち上がり、直立不動で返事をする。
「別に怒っていませんよ……クロダ、あなたの窓口、今週の売上が他より多かったのですが、心当たりは?」
(売上が……多い?)
窓口業務で発生する売上は、大きく分けて二つある。
ひとつは、素材を買いに来た客から受け取る代金。もうひとつは、買い取った素材を別の課へ納品した際に発生する代金だ。
いずれにせよ、担当者が多少頑張ったところで、売上が大きく跳ね上がることなどまずあり得ない。
クロダは、まったく身に覚えのないその指摘に、大きく目を見開いた。
「いえ、まったく……マニュアル通りにやっているだけです。むしろ、先輩方のほうが私なんかよりずっと速く処理していらっしゃいますよ……?」
「ふむ……」
セシルは腕を組んで何やら考え込んでいる。やがて、ひとつ息を吐くと、セシルは近くの椅子に腰を下ろした。
「では、午後はここであなたの作業を見させてもらいます。いつも通りに動いてください」
(か、監視つき……? 俺、そんなに課長を怒らせるようなことしたかな……?)
昨日のやり取りを思い出して、心当たりしかないクロダは震えあがった。
「後ろで、ずっと……ですか?」
「はい。私のことは気にしなくて結構」
「え、えっと……私とお話しをしたいのなら、今夜飲みにでも行きます? ギルド前の飲み屋の"人食い花のソテー"が絶品で……」
「私は、酒は飲みません」
「さ、さいですか……」
そんなやり取りをしている間に昼休みが終わり、再び窓口が開いた。
クロダはいつも通りを装って作業を進めるが、背後の視線が気になって仕方がない。
ちらりと後ろを盗み見ると、いつもと変わらぬ無表情のセシルと目が合ってしまった。クロダは慌てて前へと向き直る。
「……なるほど、そういうことですか……」
セシルの独り言がかすかに漏れ聞こえてくる。
(ひー、気にしないなんて、無理だよう……)
クロダは恐怖で涙目になりながら、震える手で素材の確認を続けるのだった。
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