第三章・伯爵令嬢襲来編
12.伯爵令嬢、舞い降りる
ガタゴトと車輪を鳴らしながら、馬車は街道を進んでいた。
アリシアは小窓から顔を覗かせ、遠くに広がる街並みに目を輝かせる。
街の入り口が近づくにつれ、人々の声や馬のいななき、市場の喧騒がかすかに聞こえてくる。馬車がゆっくりと減速し、やがて小さく揺れながら停止する。
馬車の扉には、鋭く翼を広げた鷲の姿が刻まれていた。それは、アルセイン伯爵家の紋章――王国でも名高い名門貴族家の印である。
アルセイン伯爵家は、王国の中でも有数の勢力を誇る名門貴族だ。
その当主であるドラン・アルセインは、王国の要地を任されるほどの統治手腕と、民に慕われる温厚で公平な人柄を併せ持つ人物として、広く知られていた。
アリシア・アルセインは、そんな伯爵家の末娘でありながら、18歳にして鋭い観察眼と明晰な頭脳を備え、兄弟たちの中でも一目置かれる存在である。
この日は、ようやく許された久々の外出――そんな特別な一日を楽しむために、街へとやってきたのだ。
「お嬢様、到着いたしました」
執事のコンラッドが扉越しにそう告げると、アリシアは跳ねるように座席を立ち、声を弾ませた。
「やった! やっと着いたのね!」
扉が開くと同時に、アリシアは軽やかに馬車から飛び降りた。鮮やかな赤いドレスの裾をふわりと揺らしながら着地し、両腕を大きく伸ばして気持ちよさそうに空を仰ぐ。
「わぁっ、ひさしぶりの外の空気! なんて爽やかなのかしら!」
「……お嬢様、もう少し周囲の目をお気になさってください。ただでさえ、この馬車はひときわ目立つのですから……」
馬車から飛び出してきた令嬢の姿に、街ゆく人々の視線が自然と集まっていた。
「あの子……すごく綺麗だな……」
「まさか、アルセイン家のご令嬢……?」
「肌が真っ白……お人形さんみたい……」
アリシアはそんな視線をまったく気にも留めない。ただただ、久々の外出に胸を弾ませていた。
「本当に楽しみにしてたのよね、今日は!」
そこへ、コンラッドが手配した案内役と思しき男が、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「お、お迎えにあがりました! 本日はどうぞよろしくお願いいたします!」
「あらあら、そんなに慌てなくても大丈夫よ?」
アリシアはにっこりと微笑み、優雅に頭を下げた。案内役はその美しい笑顔に言葉を失い、赤面しながら慌てて視線を逸らす。
「さ、さあ、こちらにどうぞ……」
案内役に先導され、アリシアたちは街をゆっくりと巡っていった。
人、人、人。どの店も客で賑わい、呼び込みの声や笑い声が絶えない。冒険者らしい男女が武器を背負ったまま焼き串を頬張っており、向かいの店では売り子たちが声を張り上げて客を取り合っていた。
普段は目にすることのない喧噪に、アリシアは少し面食らいながらも、思わず口元をほころばせた。
「わぁ……この街って、思ったよりも賑やかで素敵!」
アリシアは目を輝かせ見て回り、時おり露店の店主に気さくに話しかける。その無邪気で飾らない様子は、誰もが彼女をただの町娘だと見間違うほどだった。
一通り見て回ったところで、アリシアがコンラッドに尋ねた。
「ねえ、この後はどこに行く予定かしら?」
コンラッドはその問いを待っていたかのように、即座に返答した。
「最後は……ギルド《黒鉄の牙》です」
その一言で、アリシアの口元から笑みが消えた。
「……もしかして、"ブラックギルド"って呼ばれてるところ?」
「はい……。しかし、あのギルドは規模が大きく、王都との取引もある重要な拠点です。形式的とはいえ、無視するわけにはまいりません」
「……うーん、あんまり気は進まないけれど……仕方ないわね……」
しぶしぶといった様子で頷くアリシア。その頷きの奥には、静かな警戒の色がにじんでいた。
こうして訪れた《黒鉄の牙》では、ギルド会館の前に応対係が待っていた。笑顔も挨拶も礼儀正しく、表面上は非の打ちどころがない。
「ようこそお越しくださいました。どうぞ、こちらへ」
アリシアはにこやかに微笑み返しながら、その裏で静かに思考を巡らせていた。
(あまりに丁寧すぎて、逆に怪しいわね……杞憂で終わってくれればいいけれど……)
とはいえ、内心の警戒を表に出すような不用意な真似をするアリシアではない。伯爵令嬢としての気品を保ったまま、静かにギルドの扉をくぐった。
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