第47話 蕾はまだ、夢をみる
後処理は覚悟していたよりうんと楽だった。
説明のつかない事が多すぎて、どう報告したものかと思っていたが、寺岡課長がなんやかんやと根回ししてくれていて、3枚ほどの報告書で済んでしまった。
そして、俺と咲守には少々長めの休暇が与えられた。
特別休暇だそうだ。
休暇初日、俺は兄貴の家の片付けに行った。
俺のマンションから、兄貴のマンションまでの道のりはよく覚えていない。
ただぼーっと移動し、兄貴を思い出していた。
そういえば、兄貴は買い物ついでだと言って、よく駅まで迎えに来てくれていた。
他愛ない話しをしながらこの道を歩くこともはもうない。
あの頃の当たり前なんて、どこにもないんだ。
しんみりした気持ちでマンション前に着くと、見慣れたリュック姿の男がいた。
「咲守・・・・・・何してんの?」
咲守はにっこり笑って駆け寄ってきた。
「片付け手伝おうと思って!」
「ありがと。でも、いいの?折角の休みなのに」
「一緒にやろう。その方がいい」
俺は頷き、咲守と2人で兄貴の部屋へ行った。
部屋は何事もなかったかのように静まり返っている。
俺たち黙々と片付けを進め、昼過ぎにはある程度終わってしまった。
あとはもう鍵を不動産屋に返すだけ。
この部屋へ来ることはない。
床に腰を下ろし、部屋全体を眺めていると、何もないキッチンから兄貴が声をかけてきそうな気がした。
「お兄さんの唐揚げ美味しかったね。あれ、歩人は作れるの?」
「一応作れるけど、なんか兄貴の味にはならないんだ。物足りない」
「ふーん。じゃあ、僕に教えてよ。作ってみるから」
「え?咲守、料理できるの?」
「あのね~。これでも1人で暮らしてきてるのよ?多少は出来るさ」
「へぇ。じゃあ、レシピメモ送る」
「うん!ありがと」
会話が途切れると、寂しい気持ちがこみあげてくる。
鼻を啜った俺を見て、咲守が慌てたようにハンカチを渡してくれた。
「ごめ・・・」
「いいよ。僕しかいないんだから、遠慮しないで泣いちゃいな。お兄さんの思い出がいっぱいある部屋だから、寂しくもなる。僕もね、ここで弟だって言ってもらったことを思い返して寂しくなってたところ」
目に涙をいっぱい溜めた咲守が泣き笑いで俺を見た。
「やっぱり、賢人兄ちゃんがいないと寂しいねぇ」
瞬きと共に流れ落ちる涙が頬を伝って床に落ちた。
咲守が寂しいと泣いている姿を見て、俺は堪らない気持ちになった。
それからしばらく、そっと肩を寄せて、残された弟達は兄のことを偲んでいた。
散々泣いた。
これまでだって沢山涙は流してきたけど、今日は思い出を噛みしめるように、充分泣いた。
こんな時、本当に1人じゃなくて良かったと思う。
俺1人だったら、きっとまだまだ蹲って泣いていただろう。
先に泣き止んだ咲守は鼻をかんで立ち上がり、徐にリュックの中を漁り始め、一回り小さな空のリュックを取り出して俺に渡した。
「ん?」
「僕ね、この休みは北海道に帰るんだけどね。歩人も連れて帰るの」
「え?」
「さぁ、早くパンツ入れて行こう」
「ん?え?何?もう一回言って?え?ちょっと待って?」
咲守は、兄貴の家に置きっぱなしにしていた俺の服の中から、ありったけのパンツだけをリュックに仕舞い背負わせた。
「搭乗時間になっちゃう!行くよ!」
「?????」
こうして俺はパンツだけを持参して、北海道にある咲守の実家に泊まり込むことになった。
咲守のご両親はとても温かく迎えてくれた。
急なことで何の用意もないことを詫びると、そんなものはなくていいと笑ってくれた。
でも、パンツだけは持ってきたことを咲守が言うと、ご両親は大笑いしていた。
咲守め。
ひとしきり笑ったご両親は、これからここは自分の実家だと思って、いつでも帰っておいで言ってくれた。
通された咲守の部屋は、2階の東側だった。
8畳ほどの暖かな部屋には大きな窓があり、綺麗な雪明かりが見える。
部屋の隅には簡易ベッドが折りたたんであって、パジャマや洗面道具がセットされている。
すっかり泊まる準備は整っていた。
道中はバタバタと慌ただしくてよく分からないままだったが、雪原の大地が見渡せる咲守の部屋で落ち着くと、やっぱり疑問が沸いてきた。
「・・・唐突すぎない?」
「え?何が?」
「俺、行く行かないを聞かれてもないし。いや、行くんだけどさ、パンツしか持ってきてないし。普通、ご挨拶用のお菓子とかさ、少なくともパンツだけじゃなくて服は持って来ないとさ。っていうか、俺の服もあったのに、なんでパンツしか入れなかったの?」
「もー。男の子が細かなことグチグチ言わないの。服なんてどうにでもなるでしょ?パンツはほら、人の借りるの嫌じゃん。これでも配慮したのに文句言わない」
何故か俺が悪いような言い草。
納得いかないが、なんか言葉が付いてこない。
「僕、そろそろ晩御飯の手伝いしてくる」
「あ、俺もいくよ」
「いいの。歩人はゆっくりしてて。美味しいの作るから、待っててね」
俺は何も言えないまま、ウキウキした咲守を見送った。
窓辺のソファーに座り、窓の外を眺めると辺りには何もなく、雪と空が見えるだけ。
静かな風景にしばらく見惚れていた。
随分と久しく、心が落ち着いたような気がする。
現実離れした事が立て続けに起きた。
終わってしまえば、夢だったような感覚になってしまう。
でも、確かに事件はあったんだ。
後日入った話しによると、沢山の死者を出した、あのおぞましい研究は研究自体が抹消されていた。
恐らく、高科の仕業だという。
そして、雷と透曄達が死んだあの日の真夜中に、各研究所では謎の火災があり、その殆どが焼けてなくなってしまった。
火災の原因は分からない。
同時多発的にそんな事が起こるわけがないのに、警察の上層部は素知らぬ顔をしていた。
その事実を知った亨が上に噛みついていたが、下っ端の俺たちに何ができるわけでもなく、結局、全てが闇に葬られてしまったのだ。
でも俺は、もうこれ以上何も知らなくていいと思った。
頭の悪い俺には、これ以上処理しきれない。
今を生きるだけで精一杯だ。
田所さんは葬儀のあと、鳥成雷・透曄の遺骨を持って長野へ帰った。
少し休んで気持ちを落ち着かせたら、いよいよ実家のパン屋さんを継ぐそうだ。
あの3人は、田所さんが作るパンが大好きだったという。
彼らにとっては家族の味というやつになるんだろう。
毎日、出来立てを供えてあげたいと言っていた。
舜介は相変わらず駐在所で自分の町を守っている。
今回のことで、やっぱり人情と情報というのは大事だと改めて思ったと言っていた。
確かにそうだ。
何の気なしに話した中に、事件のヒントが隠れている。
そういう小さな事の積み重ねが捜査であり、犯人逮捕に繋がっていく。
今後も臆することなく、気にかかったら声をかけて人々の安全を守っていくそうだ。
でも、寺岡課長が特殊犯罪課に来いとラブコールを送り続けているらしい。
そのうち、うちに席があるかもしれない。
亨は早々に現場復帰し、今日も凶悪な犯罪と向き合っている。
さすがだなと思う。
そういえば、事件以降、亨と咲守は随分と仲良くなっていた。
自販機前の休憩所で一緒にシュークリームを食べていたり、食堂で団子を食べていたり、特殊犯罪課のオフィスでドーナツを食べていたり・・・・・・。
相変わらず口数は少ないが、延々と続く咲守の話しを穏やかに聞いている姿は拍手もんだと思う。
周囲から雰囲気が柔らかくなったと言われ、人の輪の真ん中にいることが多くなっている。
亨の良いところがドンドン評価されて嬉しい反面、俺だけが知っていた良いところを知られてちょっぴり面白くなかったりするのは内緒だ。
間宮は一番大変で、辛うじて残っていた地獄に沈んでいたパーツたちの解剖・報告を行っている。
中に、お世話になった第二研究所の所長がいるのではないかと心配していたが、見つからなかったそうだ。
昔、第二研究所で働いていた研究員の1人と連絡が取れ、元所長は今海外でひたすら山に登っているという情報を掴んだ。
そして、ついこの間、元所長と連絡が取れ、今回の事件を報告したらしい。
元所長は黙って聞いたあと、事件について何か言うわけでもなく、ただ、お前も山登りしに来いと言ったそうだ。
超絶出不精の間宮は、この仕事がひと段落したら、元所長がいる山へ向かい、一緒に登山することを決めた。
彼もまた、何か一皮剥けて新たなものを得ようとしているんだろう。
何だか俺だけが変わっていない気がする。
毎日、兄貴と義姉さんの思い出を繰り返し、そして、曄ちゃんの最期を思い返している。
またぼんやりと思い返していると、急に部屋のドアが開いた。
隙間から石岡家の番犬、歳三がゆっくりと入ってきた。
続いて、咲守も入って来た。
「ご飯できたよ!」
咲守はデニム素材のエプロンをつけていた。
ちょっと様になってて、それがイメージと違って妙におかしかった。
「なんか、料理上手そう」
「上手そうじゃない。上手だよ」
腕を組んで鼻を鳴らした咲守は、自信満々でダイニングへと通してくれた。
ダイニングの扉を開けると、ふんわりいい匂いが漂った。
「唐揚げだ」
テーブルには所狭しと大皿が並んでいる。
まるで昔の家の食卓のような光景に、一瞬胸が熱くなった。
真ん中に、山盛りに積まれた唐揚げがある。
「僕が作った”兄ちゃんの唐揚げ”だよ」
ニコニコ笑う咲守が唐揚げを取り皿に取ってくれた。
「ちょっと食べてみて!」
「・・・いただきます」
咲守に見守られながら、唐揚げを一口頬張った。
じんわりと広がる、あの味。
間違いなく、兄貴の唐揚げだった。
「美味い」
「良かったー!」
「すごい。兄貴の唐揚げだ。何で俺はこの味出せないんだろう」
「ふふふ。それはね、お母さんに教えてもらったんだけどね、きっと、愛情の違いだってさ」
アイランドキッチンでお味噌汁を注いでいるおばさんがにっこり笑って言った。
「歩人くんのお兄さんは、歩人くんが美味しいと言ってくれるのを想像しながら、愛情込めて作ってたんだと思いますよ。事件で草臥れて帰る貴方が元気になるように。少しでも支えになるように。言葉には出さない、大きな大きな愛情が詰まってた。自分で作るのは、そんなの詰まってないものね。だから物足りないんだと思うわ。その唐揚げはね、咲守が歩人くんを元気付けたくて、歩人くんのために作った”兄ちゃんの唐揚げ”。美味しいと感じるなら、咲守の兄としての愛情が伝わったってことねぇ」
俺はしばらく山盛りの唐揚げを見つめ、大きな口で唐揚げを頬張って泣き笑いになって言った。
「めちゃくちゃ美味いよ。兄ちゃん」
咲守はくすぐったそうにはにかんで、大きく頷いた。
「さぁさぁ、お父さんもお風呂終わったみたいだからすぐ来ますよ。家族で美味しいご飯にしましょうね」
おばさんが元気よくお味噌汁とご飯を置いていく。
その姿に母さんが重なった。
「お?今日は随分と豪勢だなぁ。歩人くんはつまみ食いかい?咲守の手料理はどう?」
湯上りパジャマ姿のおじさんは父さんが重なる。
「泣くほど美味しいってさ!お父さん、ビールにする?僕は飲めないけど、歩人が付き合うってよ」
「おぉ~!咲守は下戸で全然だからなぁ!付き合ってくれる息子が出来て嬉しいなぁ」
冷蔵庫からビールを持ってきた咲守の少し後ろ。
笑って俺たちを見守る兄貴と義姉さんが見えた気がした。
「あ・・・」
「ん?ほら、歩人」
グラスに注がれたビールはしゅわしゅわと美味しそうな泡をたてている。
「みんなさ、失ったものは大きかったけど、また違う大きなものを得たんだと思う。ここからまた、一緒に頑張ろう歩人」
俺の兄貴達は優しく開いた花ような顔で笑った。
外はまだまだ厳しい冬だ。
でも、硬く閉じた蕾は、暖かい陽の光を信じて毎日を繰り返している。
時に立ち止まって己の無力を感じ、時に人の温かさに救われ、時に愛憎混じった矛盾を抱えつつ、人の罪を赦すことを諦めないで進んでいく。
今を生きる俺たちはきっと、誰しもマチュアの蕾だ。
成熟した何者かを目指し、今日も仲間と共に歩んでいく。
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