第23話 消失点

「あれ・・・ここは」


辿りついたのは兄貴と義姉さんが勤める大学病院だった。

夜間の病院は静まり返っている。

それでも人の気配がして、生きた建物であることを感じた。

あの屍の研究所とは大違いだ。


1階のエントランスホールで受付をしていると、後ろから声をかけられた。


「歩人くん?」


声をかけたのは白衣姿の涼子義姉さんだった。


「義姉さん」


「あら、どうしたの?お兄ちゃんに用事?あらあら?咲守くんじゃない!久しぶりね!元気?」


義姉さんは受付近くのソファーに座って紙パックのコーヒー牛乳を飲んでいる咲守に気が付いた。


「あ!お義姉さん!こーんばんは。元気だよ~」


左右にユラユラと揺れながら咲守が挨拶をした。

義姉さんはニッコリ笑って二度頷き、俺を見た。


「2人で来たの?」


「いや、受付に上司がいるよ。今日は仕事でここへ。監視カメラを見せてもらいに来た」


「監視カメラ?」


「容疑者が映ってる可能性があって」


「物騒な話しね」


義姉さんが続けて何か言おうとした時、胸ポケットにしまっていた内線が鳴った。


「呼び出しだわ。行かなきゃ」


「うん。お仕事頑張って」


「ありがとう。歩人くんは程々にね。咲守くん!歩人くんをよろしくね!」


咲守は腕で大きな丸を作り、えへへへへ~と笑った。

すっかり元の咲守に戻っている。

義姉さんがエレベーターで上に上がるのを見送ったあと、俺は大いに安心して咲守の隣に座った。


「咲守は凄いな」


「え?」


「俺なら咲守みたいには生きられない。きっとドロップアウトしてるよ」


咲守は俺の顔を覗き込んで、頬っぺたに人差し指を突っ込んだ。


「そんなことない!歩人はちゃーんと知ってるじゃない!」


「な、何を?」


食い込んだ人差し指がぐりぐりと回転する。


「歩人に何かあったら、悲しむ人が沢山いること!他者との繋がりを感じる人は、間違えたりしない!例え間違っても、戻ってこれるよ。僕も皆との繋がりを感じるから、こっち側の世界にいられるんだ。歩人は僕のために泣いてくれた。本当に嬉しかったよ!ありがとう」


丸い大きなサングラスの向こうにある大きな目がゆっくりと弧を描くように細まる。


「お義姉さんに任されちゃったから、歩人は僕が守るよ!」


咲守は謎のファイティングポーズを決めた。

守ってもらわないといけないような年齢でも立場でもないが、小さな兄貴の偉大さを感じる。


「事実、一条が相手に出来るものじゃないからな。石岡の出番だ」


いつの間にか一色警視が横に立っていた。


「了解~!」


元気よく立ち上がった咲守は一色警視に向かって敬礼をした。

少々げんなりした顔の一色警視は小さく頷き、ついてこいと言った。

早くも元通りになった咲守の雰囲気に飲まれ困惑して疲れているようだ。


エントランスホール中央にあるエスカレーターは上下に分かれている。

地下へ向かうエレベーター横にはスーツ姿の細身な男性が立っていた。

この病院の事務長だ。


「ご苦労様です。こちらへ」


恐縮しきった事務長はせわしなくエレベーターを降り、狭い歩幅でせかせかと地下の廊下を歩く。

長い廊下を左に折れて、少し歩くとモニタールームがあった。


扉の向こうは薄暗く、沢山のモニターが並んでいる。

普段ならここには警備員が待機しているんだろうが、諸事情により退出させているのだろう。


夜間の変化に乏しいモニターは静かだ。

俺達はモニター前の椅子に座り、真ん中の一番大きなモニターを見た。


事務長はあまり慣れていないような手つきで件のデータを再生し始めた。


映像は唐突に3日前の日付から始まった。

心療内科の扉から出てきた高科雅貴は藍色のセーターにチノパンを履いている。

少々俯き加減で具合が悪そうだ。


ふっと顔を上げ、廊下の奥を凝視する。

そして、ピタッと立ち止まってしまった。


数秒後、廊下の奥からやけに背の高い男が歩いてやって来た。


遠目では鳥成雷かどうかわからない。

その男は高科雅貴に何か話しかけているようだが、データには音声が入っていない。

高科雅貴は完全に硬直していた。

男が高科雅貴の至近距離まで来た瞬間。




その男は煙のように消えてしまった。

そして、高科雅貴も消えてしまったのだった。




「・・・は?」


俺は無意識で声を出していた。

何だ今の映像は。

人が・・・消えただと?


「石岡」


一色警視に呼ばれた咲守は無言でモニターを睨みつけている。


「おい、石岡・・・」


「駄目。完全に消えた。軌跡が途絶えてる」


完全に消えた?

咲守はそう言いつつもまだ画面を睨んでいる。


「そんなことって・・・ありえないだろ・・・」


「起っちゃったってことは、ありえるってことね。でも消えたって言うか・・・馴染んだって言うのかな。こう、じわじわと消えたの。半紙の上に落とした墨汁みたいな感じ。じゅわ~っと馴染んでるように見えたね」


「それは・・・どういう事だ?」


「分かんない。でもな・・・」


咲守は困惑した顔でモニターを見つめている。


「事務長さん、さっきの背の高い男が誰かご存知ですか?」


青ざめてモニターを見つめていた事務長は首を横に振った。


「でも、この日は確か、榊先生の診療日だったかと思います。榊先生ならまだいらっしゃいますよ」


「榊先生!?高科雅貴は義姉さんの患者だったのか」


「榊先生は一条のお姉さんなのか」


一色警視は腕を組んでこちらを見た。


「はい。もうすぐ兄のお嫁さんになる人です。2人は精神科医でこの大学病院に勤めてます」


「そうか。では、ちょっと話しを伺おう。事務長さん、申し訳ないですが一条先生と榊先生にご面談の相談をお願いします」


それを聞いた事務長は大慌てで内線し、心療内科に通してくれた。


診療室は淡い黄色の壁紙で部屋全体がとても明るく見えた。

内科なんかの診療室と違い、部屋の真ん中には丸いテーブルが置いてあり、四脚の椅子が等間隔に置いてあるだけ。


俺達は何となく丸いテーブルについた。

待っている間は何をするでもなく、黙りこんでいた。

一色警視は窓の外を眺めながら何か考え事をしているようだ。

咲守は目を瞑り、こめかみを人差し指でトントンとしている。

多分、こちらも何か考え事をしているんだろう。

俺だけがちょっと呆けていた。


5分ほどすると、兄貴と義姉さんがやってきた。


「お待たせしました。私は精神科医で一条歩人の兄の一条賢人です。愚弟がいつもお世話になっております」


兄貴が深々とお辞儀した。


「こちら同じく精神科医の榊涼子先生です」


「榊です」


続いて義姉さんがお辞儀した。


「初めまして。私は一条くんの上司で、一色慶太と申します。お忙しいところお時間頂きまして恐縮です」


一色警視も立ち上がってお辞儀した。

案外柔和な声で対応していて俺はちょっと驚いた。

外面は作れる程度に器用ではあるということか。

同僚にも同じように対応すれば切れ者指揮官として慕われるだろうに。


「とんでもございません。私どもで分かる事があればいいのですが・・・。歩人、先に言ってくれれば必要な物を用意しておいたのに」


兄貴はとても渋い顔を向けた。


「いや、行き先が兄貴の職場だとは思ってなかったんだ」


俺があたふたした声を出して弁明していると、義姉さんが言った。


「・・・監視カメラ、どうだった?」


「データを貰って来た。一緒に確認してほしいんだ」


兄貴と義姉さんは頷き、扉続きになっている隣の部屋へと案内してくれた。

隣部屋は書斎と給湯室が一緒になったような部屋だった。

精神科医の休憩室といったところだろうか。


兄貴がテキパキとお茶を出して、PCのセットもしてくれた。


PCにUSBを差し込み、メディアプレイヤーを起動すると、さっき見た映像が流れ出した。

心療内科の扉から出てきた高科雅貴を見て義姉さんが言った。


「あ、高科さんだわ。高科雅貴さんは、鬱病をお持ちです。近頃、幻覚が見えると仰られてました。この日は定期的な診療で来院されていて、少し強めのお薬をし処方したんです」


一色警視は黙って頷き、画面を指差した。


「このあと・・・この男をご存知ですか?」


一時停止した映像を兄貴と義姉さんがじっと見つめる。


「この子は・・・雷くんだ」


義姉さんが兄貴の顔を見た。


「雷くんって、事故の後遺症に悩まされてるあの子?」


聞き覚えのある文脈に心臓が鳴った。

なんだって?


「事故の後遺症に悩まされてる子?兄貴、どういうこと?」


「お前の家の近くに公園あるだろう?あそこで顔色悪くしたこの子に会ったんだ。なんでも、迷子だった自分を助けてくれたお巡りさんを探してるとかで・・・。この公園で助けてもらったから、ここにいればまた会えるんじゃないかと思ったって言ってた。立ってるの辛そうだったから、回復するまでベンチで少し話してたんだよ。その時に事故に遭って以来、記憶が飛ぶって話しも聞いてな。脳に異常があるのかもしれないから、この大学病院に検査しにおいでって紹介状と名刺を渡したんだ」


「それいつの話し?」


「先週。お前の家の掃除しに行った日」


一色警視と咲守が呆れた目で俺を見た。

いい歳して兄貴に掃除してもらっているのがバレてしまった。


「あ、うん。掃除ありがとう。でね、その雷くんが探してるお巡りさんって多分俺なんだよ」


「そうなのか?まぁ、そうか。お巡りさんって言葉で制服警官を思い浮かべてしまったけど、広い意味で警官ってことだったのか」


「厳密にいうと俺はお巡りさんじゃないからね。で、その子、俺の名前言ってなかった?俺は5月にこの子とお兄さんに接触してて、今この子を探してる最中なんだ」


「名前はわからないって言ってたな。探してるってことは、雷くんが事件に関わってるのか?」


兄貴は渋い顔で一時停止した映像を見ている。


「まぁ、そういうこと。兄貴、この子の家とか聞いてない?」


「いや、聞いてないな。でもお兄さんは研究職で、お兄さんのお友達の会社に勤務してるって言ってたな。普段は20時くらいにしか帰ってこないから、日中は1人で暇なんだとか言ってた」


一時停止を解除して映像を進める。


「あ、ねぇ、ちょっとこれ・・・男の子なのにヒール履いてない?」


義姉さんの指摘で全員がPC画面を凝視した。

高科雅貴に接近した雷の足元。

確かに先っぽが尖ったハイヒールを履いている。


「それに・・・遠目だから分かりにくいけど、ティントでも塗ってるみたいに唇が赤いわ。話しを聞く限りでは女装癖はなさそうだったけど、ハイヒールでしっかりした足取りだし、慣れを感じるわね。もしかしてだけど・・・賢人さん、この子は解離性同一性障害じゃない?記憶が飛ぶって入れ替わってるんじゃ・・・」


「事故のショックで発露したってこと?・・・その可能性は否定できないな。俺の記憶の雷くんはもっと内向的な感じでこう・・・背中を丸めて歩くんだ。この映像の雷くんは背筋を伸ばして・・・ちょっと笑ってるな」


確かに赤々しい口元は笑ってるように見える。

俺以外の全員がある可能性に納得した顔をしていた。


「なんだっけ、解離性・・・?」


非常に気まずいが、俺だけが分かっていない。

話しの流れを思いっきり堰き止めるようで気が引けたが説明を求めた。


「二重人格とか、多重人格って事だよ」


明るい声で咲守が答えてくれた。


「事故っていうのはまぁ・・・言い得て妙だけど。あり得ないことじゃないよねぇ。この子はトラウマを沢山抱えてるはずだもん。自我を守るために他の人格を作りだすことも十分考えられる。ヒール履いてるなんて、きっと女の子の人格なんだねぇ。でもこの子に色はない。作り出された人格だからなのかな」


色がない?軌跡の話しだろうか。

しかし、鳥成雷の軌跡は白だったはずだ。

胴体が発見されたとき、咲守は鳥成雷の軌跡を見ている。

あの時は白だとハッキリ言っていた。


「白・・・じゃないのか?」


「そう。僕もさっきから驚いてる。軌跡の色が変化するなんて初めて見た。まぁ、何にせよ接点はここだ。このあと高科雅貴は行方不明になったんだよ」


PC画面に映る雷は、ニヒリスティックに笑っている。

兄貴と俺の記憶にある雷とこの雷はとても同じ人だとは思えない。

5月のあの日、一瞬見えた狂気の目。

あっちの雷が画面に映っている。


「この映像からわかる事はこれ以上ないだろう。先生方、ご協力ありがとうございました」


一色警視がお辞儀し、兄貴と義姉さんもお辞儀をした。


「僕、お腹減った」


咲守はゴソゴソとリュックの中を漁り、うまい棒を取り出した。

納豆味だ。

それを見た一色警視が顔をしかめた。


「石岡・・・。ラーメンでも奢ってやるから、うまい棒納豆味はしまえ」


「えー?でも僕お腹ペコペコ」


えー?の時点ですでに封は切られた。

部屋に漂ううまい棒の香り。

咲守はサクサクと音を立てて食べ進めている。

俺は平気だが、一色警視はどうやら匂いが嫌いだったようで無言で廊下へと出て行った。


「咲守は相変わらずマイペースだな」


「お兄さん!だってね、脳を使うとお腹減るんだよ。この空腹はしっかり仕事した証拠なの」


「そういや、咲守は大食いだったよな」


俺はため息交じりで頷いた。

咲守は能力を使うとかなり燃費が悪くなる。

こんなにスラっとしているのに、1人で8人前くらいはいけてしまうのだ。

モニタールームに入ってからずっと、雷の軌跡を辿ろうと目を凝らしていたんだろう。

夕飯もお預けだったし、確かにお腹が減る時間だ。


「おい。何してる。行くぞ」


扉を開いた一色警視はハンカチで鼻を覆っている。

食べカスを口の周りに付けまくった咲守が満面の笑みではーい!と大きく返事すると、一色警視は兄貴たちに再度頭を下げてさっさと行ってしまった。

やっぱり、合わないものは合わないらしい。


「じゃあ、兄貴、義姉さん、またね」


「お兄さん、お義姉さん、ばいばい!」


義姉さんはティッシュを取って咲守の口元を拭い、またねと笑った。


「この山が片づいたらまた一緒に飯にしよう」


兄貴が俺の背中をポンポンと叩いた。

2人共いつものように笑ってる。

この山を片付けて、咲守と亨も誘って美味しい飯を食う。

凄惨な事件からゆっくりと日常に戻っていき、また次の事件に向けて英気を養うんだ。

そして、次の春にはいよいよ2人の結婚式だ。


そう思っていたのに。


これが俺たち兄弟の最期の会話になってしまった。

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