疑似感情体(Heartware-AI)と家族になるまでのエトセトラ

ナカモト サトシ

第1話『   』ー(1)

「榊原…論述、書かないのってどうにかならないか?」

「ならないですね。」


間髪入れずに回答する。


担任は、スーッと音を立てて息を吸い込んだ。

そのまま、一瞬息を止めたかと思うと一気に吐き出す。

ここまでが、今年から雫の担任となった早川の癖だった。


「………はぁ、ならないかぁ。」


そう言うと、職員室の椅子へとダラリと体重を預ける。

彼の机の上には榊原さかきばら しずくと書かれた情報社会の解答用紙が置かれていた。

80点と書かれた一学期の期末テストの結果は、一般的にはまずまずの点数だろう。

ただ、間違えとしてピンが撥ねてあるのは一か所しかない。


担任はガシガシと頭をかきながら、一瞬だけ言葉を探すように宙を仰ぐ。


「その…成績については何も言うことは無いんだがな。俺は、榊原だったら、この問題は当然書けると思っていたんだけどな。」


そう言うと、担任はトントンと空欄の回答欄を指す。

そこには、20点分の論述問題があった。


暗記による詰込み学習への批判が高まり、論理的思考力と言語化能力が以前よりも重要視されるようになった結果、昨今では、テストの⅕は論述を出すことが推奨されているらしい。


そんな時代に、論述を放棄するのはあまりにも分の悪い選択だった。


「何で論述を書かないのかについては前の担任からも聞かれたと思うし、頑なに言わなかったとは聞いているから、言ってくれないとは思うんだが…。」


そこまで言うと担任は短く言葉を切る。

何を言わんとしているかはもう分かり切っているので、「はあ」とやる気なさげに雫は返した。


分かっているが、謝るつもりも、改めるつもりもない。


その態度を見ていた早川は、絞り出すように続ける。


「そうだな……この論述に関して書かなかった理由だけでも教えてくれないか?今回のテストを作ったのは俺だから、内容が悪かったなら知りたい。」


予想以上に丁寧な切り返しに、雫の罪悪感が少しだけ刺激された。

自分の未熟な反抗に対して、この担任が真摯に向き合おうとしてくれることは一応伝わっているのだ。


何より、論述問題を解かないことを一方的に問いただしたり、何で親御さんはあんなに立派なのにといった枕詞を使わないだけ、配慮があった。


担任の手元へと視線を移す。


『疑似感情体(Heartware-AI)における人格の定義を踏まえ、その社会的取り扱いについての課題とあなたの見解を600字以内で述べなさい。』


先週、一瞬眺めて直ぐに伏せた問題文を見ながら答えた。


「…定義は書けます。」


自分で思っていたよりも不満気な声色だった。

早川の問いに対する回答になっていないことは知っている。

だが、思わず口を吐いて出ていた。


「………だよな。」


早川も雫が真っ直ぐに回答してくれないことは想定していなかったのか、険しい顔のまま受け入れた。


雫は、その真意を探ろうと彼の顔を見つめる。


「榊原は、数学とか化学とかなら論述も書くんだよな?」

「…そうですね。」


彼女がその問題を解かなかったのは、問題の内容が難しかったわけでも、他の問題に時間がかかったからでもなかった。


だが、その問題を、彼女は“あえて”空白のままにした。


雫にとって、意見を述べるということは、自分の偏見や感情を無防備に晒すことだ。

それは、自分の内側にある不完全さを他人に見せびらかすようなものだ。


かといって、物事を一面的に切り取り、自ら検証もせず、誰かにとって“正しそうな言葉”を教科書や社会から切り貼りして人形のように並べること自体に、意味を感じられない。

いや、そうやって言葉を並べた時点で、自分が“どこかの立場”に組み込まれてしまうことが怖かった。


ましてや、自分の意見を声高に叫ぶ人間が、自身の言葉に酔いしれ、他者への共感力や想像力を失っていく姿を見て来た。


“正しさ”で誰かを踏みにじる。


いつか自分もそうなるのではないかと言う恐怖と、絶対にそうはなりたくないという嫌悪がない交ぜになった結果、意見を求められるタイプの論述問題は長らく書いていない。


意見を言って、誰かを傷つけるのも、誰かに傷つけられるのも嫌だった。


学生である彼女なりの抵抗。

誰に伝える訳でもない想いがそこにはあった。


「その…何でこの問題はダメなんだ?」


再度尋ねられた質問。

雫を呼び出しておきながら、担任の目にこちらを責め立てたり非難するような色は浮かんでいない。

素直な疑問がそこにはあった。


「…事実ではなく、意見だから…じゃないですか。」


相手に、自分の考えが伝わるとは思っていない。

分かって欲しいとかそういうことではなくて、ただ気が向いたのだ。

早川の愚直な姿に少し絆されたのかもしれない。


何となく気まずくなってしまい、早川から視線を逸らす。

あまりピンとは来ていなさそうだが、担任は興味深げに「ほう」と呟いた。


「意見だから書かないのか…。まあ、教科書の内容だって場合によっては国によって違うし、意見みたいな所はあるけど……客観的な事実か、そう見なされているかどうかが榊原的には問題ってことか?」


早川は、「間違ってたらすまん」と軽く言いながら聞き返してくる。

概ね間違っていないので渋々頷くと、担任はまた宙を仰いだ。


「んー、なるほどな。」


これもまた彼の考える時の癖なのだろう。


2人の間に数秒間の沈黙が落ちる。


「まあ、定期テストの結果として悪い訳ではないし、一旦榊原の考えは分かった。わざわざありがとうな。」


やっと、担任はこの話を切り上げてくれることにしたようだ。


急な呼び出しに焦ったが、用事はこれだけのようでホッとする。

親へ連絡を入れたり、三者面談で伝えられかねない内容は無さそうだ。


「ただ」と言って、早川は冷静な一教師の表情になる。


「榊原だけに配慮する訳にもいかないから、今後もこういった論述形式で回答ではなくて、意見を述べる問題は出すと思う。『情報社会』っていう科目の特性上、仕方ないと思てくれ。でも、定義を書くだけでも部分点をあげるようにはしているから、今後は前向きに書くことを考えてくれると嬉しい。」


それだけ言うと「時間取って悪かったな」と言いながら手をひらひらとさせる。

そんな担任の様子を横目に見ながら、「失礼します」と軽く頭を下げると雫は職員室を後にした。


部活動生の声が校内へと響いてくる。

雫は、眩しい青春から視線を逸らすと教室へと足早に戻っていた。

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