寝取られた俺が、裏路地の占い師に救われるまで

桜井正宗

寝取られた俺が、裏路地の占い師に救われるまで

 目の前で、湯楽ゆらがキスをしていた。


 男は山木やまぎ。俺と同じ大学サークルに所属している、明るくてイケメンで、皆に好かれる“中心人物”。


 そんな奴の腕の中で、湯楽――中能なかの 湯楽ゆらは笑っていた。



「んっ……やまぎくん……だめだよ、皆の前で……」


「いいじゃん。俺ら、もう付き合ってるしさ」


「……うん……」



 俺は、居酒屋の個室の外――その引き戸のわずかな隙間から、その光景を見てしまった。


 見なければよかった。


 でも、目が離せなかった。


 湯楽は、笑っていた。幸せそうに、赤くなった頬を山木の肩に預けていた。


 その顔は、俺が見たことのない顔だった。


 まるで、ずっと前からあの男のものだったかのように、自然で、違和感がなかった。


 だけど――それはおかしい。


 俺と湯楽は、高校からの付き合いだった。


 部活も帰り道も、悩み相談も、どんな些細ささいなことも俺にだけ打ち明けてくれていた。大学に入ってからも、同じサークルに入って、距離は変わらないと思ってた。


 だけど――俺は、選ばれなかった。


 たったそれだけの現実に、息が詰まりそうになる。


 そっと引き戸から目を離し、俺は誰にも気づかれないようにその場を離れた。


 ◇


【翌日】


 外は雨が降っていた。季節外れの梅雨のような湿気が肌にまとわりつく。

 スマホの通知が震える。差出人は、湯楽。


「ごめんね、昨晩ちゃんと話すつもりだったんだけど……また今度ね!」


 この軽さが、むしろ致命的だった。

 “また今度”なんてないことくらい、俺にもわかってる。


 俺はスマホをポケットに突っ込み、気づけば繁華街をさまよっていた。


 あてもない。行くあてもない。ただ、歩いた。


 暗い裏路地に差しかかったとき、不意に赤い灯りが目に留まった。

 そこには古びた木札がぶら下がっていた。


『池山占い館』と、墨で書かれている。


 ――占いかよ。バカみたいだ。


 そう思いながらも、なぜか足が止まった。


 呼ばれている気がした。

 俺は、半ば自棄になった気持ちのまま、暖簾のれんをくぐった。


 ◇


 中は意外にも静かで清潔だった。畳の上に小さな卓袱台ちゃぶだい、その向こうに座っていたのは――


「いらっしゃいませ。運命を知りに来たの?」


 美少女、だった。


 ……いや、そんな言葉じゃ足りない。


 透き通るような肌、まるで星を宿したような瞳、艶やかな黒髪を二つに分けて結い、薄い紫色の着物をまとっていた。


 アイドルみたいな可憐さと、巫女のような神秘性――その両方を持つ、現実離れした存在。


 俺は、声を失っていた。


「……座って。先日は、悲しい夜だったのでしょう?」


「……どうして……」


「わかるのよ。私、“見る”力があるから」


 そう言って、少女――池山いけやま じゅんは小さく微笑んだ。ちなみに、名前は立札にフルネームが書かれていたので分かった。


 その微笑みは、慰めでも同情でもなかった。どこか、恋人を迎えるような、ぬくもりを感じるものだった。



「名前を、聞いてもいい?」


「……大間おおまりょう



「綾くん……いい名前ね。縫い合わせた傷みたいな音がする」



 彼女の言葉には、なぜか重みがあった。

 軽口でもない。慰めでもない。

 まるで、昔から俺を知っていたような口ぶりだった。


「中能 湯楽……という女の子について、占ってほしい」


 俺がそう言うと、池山の表情が曇った。


「……自分ではなく、恋人を?」

「そうだ、知りたいんだ。頼むよ」


 池山は静かに目を閉じ、机の上に置かれた五枚の札を取り、並べる。

 裏返しにされた札を、ひとつひとつ、慎重にめくっていく。

 そして、三枚目を開いたところで、彼女の手が止まった。


 長い沈黙のあと、彼女は静かに告げた。



「……湯楽さんと、その男――山木という人は、もうこちらの世界にはいない」

「……え?」


「昨夜、山道で事故に遭った。車が転落したの」

「それ……本当か?」


 スマホを取り出して、ニュースを検索した。


 ――すぐに見つかった。大学名、名前、写真。全てが一致していた。


 ふざけ半分で、心霊スポットにドライブに行っていたらしい。


 山木が運転していた。事故の原因は不明。ブレーキ痕なし。スピード超過。

 湯楽は助手席で即死だった。



 ……そんなはずがない。昨日、あんな笑顔で俺にLINEを――

 ――呪いだ。


 ふと、そんな言葉が浮かんだ。



「……信じたくないかもしれない。でもね、事故現場は、ただのカーブじゃなかった」


 池山は言った。


「そこ、“連れて行かれる場所”として有名なの。学生がふざけて入って、よく消える」


「……山木が、呪われてたってことか?」


「呪われていたのか、呪ったのか――それはわからない。ただ……不思議じゃない?」


 池山は、ゆっくり俺の手に触れた。指先がやけに冷たいのに、心地よかった。


「どうして貴方だけ、何も知らされずに残されたのか」

「……」


 俺は言葉を失った。


 まるで、あの二人の死が――俺を残すために仕組まれていたみたいに、思えてしまった。


 池山の瞳が、少しだけ潤んでいるように見えた。

 彼女の唇が、静かに動いた。


「……貴方が」


 声が小さくてよく聞こえなかった。けれど、多分、それは――。


 ◇


 翌日、俺は大学の講義を早めに切り上げ、キャンパスの片隅にあるサークル棟へ向かった。


 ――小鹿原おがはらが待っている気がした。


 嫌な予感というより、もう確信に近かった。中能と山木の訃報は大学内でも瞬く間に広がっていた。葬儀の連絡も回ってきて、サークルは一時活動中止。


 そんな中、小鹿原だけが俺を睨みつけていた。


 ――お前のせいで中能は死んだ。


 昨日、廊下ですれ違ったとき、小鹿原はそう吐き捨てた。


 山木の親友だったやつだ。あいつからすれば、俺は“恨みの対象”なのかもしれない。


 案の定、部室の扉を開けた瞬間、殴られた。


 言葉なんてなかった。問答無用の鉄拳。


 頬が割れる音と共に、後ろへ倒れ込んだ。


「お前が、グダグダ付きまとわなきゃ、湯楽はあんな事故に巻き込まれなかったんだよ!」


「……ちがう……それは、ちがうだろ……!」


「言い訳すんなッ!!」


 再び拳が振り上げられた瞬間――


「やめて」


 冷たい声が部屋に響いた。


 池山、だった。


 あの占い師の服装ではなかった。白いシャツに黒いミニスカート、カーディガン。髪はポニーテールにまとめていて、まるで普通の女子大生のような装い。


 だけど、その目は昨日と同じだった。澄んでいて、底が見えない。


「池山……?」

「綾くんが傷つけられるの、見てられない」


 小鹿原が一瞬、たじろいだ。


 ……だが、すぐに目の色を変える。



「お前はなんだ……こいつの女か?」



 そう言って、小鹿原が池山に手を伸ばした。


 ――その瞬間、俺の体が動いていた。


 脳は止まっていた。でも、体が勝手に動いていた。



「触るなッ!!!」



 怒鳴りながら、小鹿原の肩を思い切り突き飛ばした。

 バランスを崩して、机に頭をぶつけ、呻く声が響く。

 俺は池山の手を取り、そのまま走った。


 ◇


 裏通りに出るまで、息を切らしながらも手は離さなかった。


 池山の手は、細くて、冷たかった。でも、しっかりと俺の指を握っていた。


「……だ、大丈夫か?」

「うん。ありがとう、綾くん」


 彼女は微笑んだ。少しだけ、頬を赤らめて。


「……私、人を好きになっちゃいけないって思ってたの」

「……なんで」


「占い師は、“結ばれない運命”を抱えるって言われてたから。でも……あなたと会って、変わったの」


 池山の言葉は、まっすぐだった。

 そして、俺の心の隙間に、優しく入り込んでくる。


「……綾くんが悲しんでるの、悔しかった。奪われて、苦しんで、それでも誰かを想う姿が……愛おしくてたまらなかった」


 目の前の少女は、確かに“本物”だった。

 作り物じゃない、嘘でも同情でもない。

 心の奥から俺を見てくれている。

 俺は、気づいたら彼女の頬に手を添えていた。


「俺も、誰かに必要とされたかったんだ」

「綾くんは、もう私の一部よ」


 その言葉に――胸が、あたたかくなった。

 少しずつ、ゆっくりと顔を近づける。

 距離がゼロになる直前、池山が囁いた。


「――ねえ、綾くん」

「ん……?」

「もしも私が、本当に“呪い”を使えるとしても……それでも、好きでいてくれる?」


 ……その質問は、もしかしたら冗談じゃなかったかもしれない。

 でも、俺はもう迷わなかった。


「……ああ。呪いでも運命でも、全部ひっくるめて、お前を信じる」


 次の瞬間、俺たちは唇を重ねていた。

 静かな裏路地に、世界のすべてが溶けていくような音がした。


 ◇


 その後、小鹿原は停学処分になり、サークルは事実上解散した。


 湯楽と山木の事故は“単なる不運”とされたけど、真相は誰もわからないまま、霧に包まれた。


 ――けれど、そんなことはもうどうでもよかった。


 俺には、今ここに池山 純がいてくれる。


 それだけで、この世界にもう一度、生きてみようと思えた。


 この恋が“呪い”だとしても、俺は――喜んで呪われてやる。

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