第22話 わたしたちはおそろしいことをしている

 モモが一撃を入れる度に、両手から嫌な音と悲鳴で鼓膜が震えた。右手の魔力爪から大人の男がずるりと地面に崩れ落ちる。


「……加減が難しい」


 エーコから離れた次の日。川の支流近くに集落を見つけたモモは、住人を何人かエーコのもとに持っていこうと村に立ち入った。そして、重大なミスに気づいた。


(『青い狼』じゃあ、エーコに魂を持っていけない)


 自分の力では殺すことは出来ても、エーコみたいに魂を取り出せないことに気づいたのだった。


(……死なないくらい手加減して、持っていかないと)


 しかし優しく爪や尻尾を刺そうとしても、どうしても一撃で殺してしまう。『青い狼』になった自分を、村人は新手の魔獣の襲撃と考えたようだった。畑で作業をする男を一突きしてから、武装した村人がモモの周りに集まって、排除するために向かってきた。


(こんなに大勢来なくていいのに……)


 考えながら、モモは斧を振りかざしてきた大男の攻撃をいなして、訓練どおりに最短最速で急所を狙う。しまった、またやってしまった。


 今度こそと思って脇から向かってくる男を狙うが、右胸の辺りにモモの爪が突き刺さる。苦悶の表情を浮かべて、男の体重が腕にかかる。苦しませてしまった――自分が突き刺した青く燃える爪や牙は、とても痛そうなのだ。


 こないだまでの戦闘では、殺すことしか考えていなかったから、瀕死にするのが難しい。そうして刺して、斬って、尻尾で薙ぎ払って。


 瀕死にしようと苦心している間に、誰も自分に襲いかかってこなくなったことに気づいた。村の男達は全て殺してしまったらしい。あぁ、そんなつもりじゃなかったのに。


(他の人はいないかな)


 そうして村の中央から辺りを見回すと、逃げ出していく人間が数名見えた。とっさに家の中に隠れるものもいた。その民家の一つに『青い狼』のまま立ち入る。ドアから中に入ると、そこには母親と思しき女性が、二人の子供を抱きかかえてガチガチと歯を鳴らしていた。


「――――あ」


 その姿が、昔の自分と重なる。忘れていた記憶が、呼び起こされる。そうだ……奴隷になる前。私の故郷の村でもこうやって、人が殺されていったんだ。エーコと一緒にいる間に忘れかけた感情まで、呼び起こしてしまった。


「あ、あ、あ――」


 モモの口から声にならない音が漏れ出た。自分も、同じだ。自分の村を壊して、燃やして、奪っていった奴らと、同じことをしている。あの時の恐怖が蘇ってくる。奴隷として扱われた非道い日々と、エーコと一緒に過ごした幸福な日々が洗い流してしまった、あのとてつもなく暗い、炎のような感情。


「ぁ……あ……」


 その時モモは、初めて自分の両手を見下ろした。ガチガチと震える青く燃える十本の爪。その全てに赤い血がたくさん付着して、生臭い匂いがつんと鼻をついた。


 ――私は、私も、人を殺しているんだ。人から奪ってしまったんだ。


 自分たちは恐ろしいことをしている。『もっと大きなもの』……エーコも、この恐怖に震えていたんだ。そのことが、段々と分かってきた。理解ってしまった。そしてモモが自分の行いに恐怖していると、目の前から母親と子供の姿が消えていた。瞬間、本能で尻尾を右後方に突き出す。


「ガ――」


 振り向くと、先程の母親がモモの尻尾に貫かれて、調理用のナイフを手から取り落としていた。抱えられていた子供たちが、屋外へ走り去っていくのが見えた。


「――ごめん、なさい」


 私が、壊してしまった。この人たちの日常を。


 耳の中でずっと、キーンと音が響いている。自分は何をしているんだろう。もやがかかったような頭で外に出ると、生き残った村人が、こちらに敵意の眼差しを向けていた。青く燃えているのはモモの方なのに、それすら焼き尽くすような憎悪の炎。


(……エーコにご飯を持っていく。あぁ、それってつまり――)


 誰かの命を、自由を、奪うことと同じだったのだ。集団の中から自分と同じ年くらいの少年が、手斧を振りかぶって、こちらに向かってくる。


「ごめんなさい」


 モモはローブから青い炎を分離して、接近する少年の足元へ放った。地面が爆発して少年が吹き飛ぶ。軍隊すら吹き飛ばす火球だ……加減が足りなかった。土煙の中前に進むと、焼け焦げた人間の匂いと残骸が転がっていた。その向こうに辛うじて炎から逃れた村人が数人、地面に転がっていた。まだ生きているようだ――あぁ、丁度いい――


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 その中から両手と尻尾に三人分引っ掛けて、モモはその場から離れた。



 +++++



 誰かが泣いている声が聞こえる。それが自分なのか、抱えている人間のものなのか、もうモモにはわからなくなっていた。夏の日差しとローブの熱が自分たちを焼いている。頬が濡れる感触がした。誰のために泣いているんだろう。罪悪感で胸が詰まりそうだ。


 人間三人の重さは『青い狼』の力で軽々支えることが出来たが、それ以上の重さが体中にのしかかっているような気がした。そうして人を引っ張っていくところで、くぅとお腹が鳴った。


(そういえば、朝から何も食べてない……)


 襲った村で、食料を探してくればよかった……村で食料を探す?それは奪うことと同じことなんじゃないか?


 ――エーコは今までどうやって、私のご飯を持ってきたんだろう? 考えて、腑に落ちた。奪ってきたんだ。そして、あぁ……思い出した。


「私のお母さんは、そうして殺されたんだった」


 奴隷が他から食料をもらうのは厳しく処罰された……どうしてお母さんが殺されたのか、あの時は分からなかったけど。


「人のものを奪ったら、罰を受けなくちゃいけないんだ」


 それが命なら、なおのこと。エーコは、こんな思いをして食事をしていたのか。私に食料を持ってきてくれたのか。二人分の罰を我慢してきたんだ。


(……ごめんね、エーコ)


 私にだって罪がある。それを見ないふりして、あなたにばかり罪を押し付けてきたんだね。


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