第2話 憑依
光がない。音も聞こえない。上も下も分からない。左も右も分からない。虚無。
そんな空間で将典は囚われていた。
――身体が動かない。
――声も出ない。
目に見える何かに拘束されているわけではない。
それでも、指先すら動かすことが出来ない。
と、空間に映像が投影された。
「将典様? 将典様! お気を確かに!」
床に倒れた将典へ向けて、彼の乳兄弟「
「おい! 医者を呼べ! 早く!」
「はい!」
使用人が部屋から出て行った。
同時に、映像も消える。
将典の足の指先がサラサラと砂のように崩れ始めた。
――身体の全てが崩れ落ちた時。その時が私の死か。
ひたひたと近づく死神の足音が聞こえた。でも、
――怖くはないな。
――これも天命か。
『何をしているのです。あなたにはまだ早すぎます』
――あの世で再会した時には、母上から怒られるだろうな。
それさえ今の将典には喜びだった。再会への期待感が将典の眉間に刻まれたしわを緩ませる。
だが、突然、音の無かった空間が喧騒に満たされた。
――人が大勢集まった雑踏の中か。
喧騒の中で、将典が想像できる音は人の話し声と歩く靴音。靴音でさえ、少し異質。他は見当すらつかない。
先程と同じように空間に映像が投影された。将典にとって、全く見覚えのない場所が映し出されている。皇国はもちろん、外国とも違う。
そこに
ドン!
空間を揺さぶるような大きな衝突音が響く。
「なに?」「何の音?」「車がぶつかったみたいだ」「車が歩道に乗り上げている」「事故だ。事故」「おー。これ、ネットに上げたら、バズるかな」
血の匂いがした。
「おい! 人がいるぞ!」「車は人が運転しているから当然だろ」「違う! 車の外にいるんだ! 人が車に轢かれている!」「嘘だろ!」「誰か、救急車!」「マジかよ! これ、絶対、バズるぞ! おい、お前もカメラで撮れよ」
と、そこに1人の男が将典と同じ空間に現れた。
彼はなぜ自分がここにいるのか分からない様子だったが、辺りを見回して、そして、投影されている映像に釘付けとなった。
映像に映し出されていたのは、男が血まみれになって横たわっている姿。
「うわー、まじか。これ、完全に死んでんじゃん。超ショック。俺、交通事故で死んでしまった?」
映像が消えた。雑踏の喧騒も消えた。血の匂いも消えた。
だが、男は頭を抱えて下を向くばかりで、そのことにも、同じ空間にいる将典にも気づいたようではない。
逆に、将典はその声に聞き覚えがあった。『俺が代わってやる』と囁いてきた声と同じだった。
「え? まだ、俺、18だよ。これからじゃんか。高校卒業したら、製菓学校に通うんだぜ。通って、彼女作って、働いて、子供作って、てなるんじゃねーの? マジかよー」
男の独り言を聞いて、将典は同情した。男にではなく、男の残された家族に対して。自分と同じ境遇になるから。
すると、今度は音楽が鳴り始めた。聞いた覚えはなかった。音色も楽器が奏でる音と違う。
でも、自分の死に打ちひしがれていた男は顔を上げた。
「……なんだ、これ? 聞いた覚えがある。ゲームだったか? ……思い出した! 『パルヴニール』のテーマ曲だ」
男の呟きに応えるように、新しい映像が投影された。
「うわ、まじか。これ、『パルヴニール』のオープニングじゃん」
将典の見覚えがある江都の光景が、将典にとって不思議な演出で映しだされていた。
次いで、人物が映し出される。その一人は豪奢な法衣を身にまとった大柄な僧侶。
――玄悔和尚?
他にも、将家の御曹司のように知っている人物もいれば、質素な茶色の法衣を着た全く知らない僧侶もいた。
――私も?
将典自身も映し出された。
――どういうことだ?
将典が理解できないでいると、映像が切り替わり、文字が表示された。
将典が使い慣れた筆で書いたのとは違う、近年広まり始めた活版印刷に使われるのに近い、奇妙に角ばった文字が。
<ようこそ、ゲーム「パルヴニール」の世界へ
あなたは次のキャラクターに憑依することが出来ます>
次に映し出されたのは「澤渡将典」の4文字。
「っしゃぁぁーー!! ゲームキャラへの転生だ!」
男の声の大きさに将典は思わず眉をしかめた。
「憑依しますか?」の問いかけとともに「はい」と「いいえ」の選択肢が出される。
「って、ちげーや。転生じゃなくて憑依だった。ま、赤ちゃんバブーとか、だるいガキ時代をスキップできるんだから、問題なし!」
――どういうことだ?
「しかも、『パルヴニール』じゃん。俺ってチョーラッキー。友達に教えてもらったけど、夏休みが蒸発してしまったほどハマったんだよな。ゲームのテーマが『栄光と挫折。欲望と理性』だろ。王道の出世も、英雄も、裏社会のボスにもなった。もう好き勝手やって、全ルートコンプリートするほどメチャクチャやりこんだし」
――ゲーム? 遊戯盤のことか?
――この男は何を言っている?
頭が疑問で一杯になっている間も、将典の手の指先が崩れ始める。
「でも、澤渡将典かー。どうせだったらゲームの主人公が良かったなあ」
ふと、将典は自分の知識が流れ出ていくのを感じた。流れていく先は理解しがたい言葉を次々に発している男。
――いささか無責任だとは思うが、これならば、私の代わりとして貴族の務めを果たせるかもしれない。
――不安はあるがな。
それよりも、伯爵継承の重圧からの解放感が上回った。
自分の知識が流れ出ていくのと同時に、向こうの知識も流れ込んできていた。
先程の映像で見た、土がほとんど見当たらない、未知の物質で固められた地面。そこを馬車でもない人力車でもない
人々は石でもレンガでもない
その中には、アドベンチャーゲーム「パルヴニール」のことも。平民出身の主人公が逆境を乗り越えて成長していく物語。その選択肢によって、平穏で幸せな生活を送ったり、魔獣を倒す英雄になったり、悪役を倒して立身出世したり、あるいは悪役張りの悪行をなして裏世界で君臨したり。
そこで、澤渡将典が悪役令息の役割を担わされていることも。
そんな未知の情報に将典は、
――無駄だな。死に行く人間には。
気にも留めない。
けれど、1つの記憶に思考が止まる。
――これはなんだ?
「ケーキ屋」と男が呼んでいる店の中で並べられた品々に。
――赤い果物と淡雪のような白いソースか? それと卵色の柔らかそうな生地。色の対比がなんと美しい。「苺のショートケーキ」と言うのか。
――夜の帳をそのまま固めたようなものは何だ? 「チョコレートケーキ」? どんな味がするのだ?
――こちらは「フルーツタルト」か。乗せられているのは全て果物か? 何種類、乗せられているのだ? これだけの種類の果物を一度に取り揃えられるのか?
色とりどり、種類様々に目を見張る。
他にも、「コンビニ」と男が呼んでいる雑貨屋の一角に並べられた品々、「スーパー」と呼んでいる食料品店の一角に並べられた品々にも目が留まる。いくつかは作り方の知識も流れ込んでくる。
足が全て崩れ、砂となり、かき消えた。そして、胴体までも崩れ始める。
――これら全てが菓子か?
――私が知っているものは全く違う。これらと比べると、素朴で見栄えがしない。
――まさしく「スイーツ」と言う言葉が相応しい華やかさ。
ごくりと生唾を飲み込む。
味の記憶も流れ込んでくる。瑞々しい果物の爽やかな甘さ。ねっとりとした食感の果物の舌にまとわりつくような甘さ。なにより、砂糖の甘さ。
――……一度、食べてみたい。
甘い物を食べたい欲求が湧き上がってくる。
腕がサラサラと崩れ始める。
「けど、俺がなんで澤渡みたいな敵キャラにならなくちゃいけないんだ? 悪役令息、なんて言えば聞こえはいいけどさ。『パルヴニール』の中では結局は序盤にやられるザコだもんな。同じ、敵キャラなら格上でラスボスクラスの下条玄悔が良かったぜ」
――玄悔和尚が敵? 格上?
馴染みの名前を耳にしたことで、将典の意識は一気に男の声に引き寄せられる。
――思い返せば、先程映っていた和尚の表情は見たことがないほど歪んでいた。
将典の記憶にある柔和な表情とは全く違う、悪意に満ちていた。
歪んでいたのは、下条玄悔だけではなかった。将典もそうだったし、将家の御曹司もそうだった。他にも歪んだ顔をした人物は現れていたが、見知らぬ僧のように笑顔を浮かべた者もいた。
「おまけに、澤渡は下条に操られたザコだからな。キャラを特徴づける眉間のしわだって、下条に甘いものを食べるのを洗脳で制限されているからだって。そんなことにも気づかないとか、本当、バカじゃねーの、こいつ」
――私が玄悔和尚に操られている?
――どういうことだ?
――確かに、常日頃から和尚は贅沢を控え、節制に努めるように言っているが……。
『砂糖は堕落だ』
『砂糖への執着が心を鈍らせ、飽くなき欲望を煽る』
将典の眉間のしわが深くなる。
「まあ、澤渡の婚約者は結構、俺の好みなんだよな。と言っても、推しの将家の姫さんにはかなわねーけど」
男は同じ空間に将典がいることに気づくことなく、話し続ける。
「そうそう、婚約者の実家は、確かスタートしてすぐにピンチになるんだった。そのまま助けるのも面白くねーから、没落させて、愛人にしようかな。で、俺は姫さんを本命にする」
――この男の品性、悪いな。
将典の胴体の半分が崩れ落ちる。
「いいね、いいね。
――「贅沢三昧好き勝手」だと?
――ダメだ。
――こんな人間が「良き貴族」になれるわけがない。
――それどころか、貴族としての最低限の務めすら果たせるわけがない。
男に、
――この男に任せたりしたら、澤渡家は没落あるのみ。
怒りに火が点く。
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