第7話 黒髪の青年

「兄上!!!!」


 呪いの末期だというのに、自我を取り戻すなど、すごい精神力だ。とアリシアは感心する。


「ジェラルドの呪いが消えたと城に伝達があった。きっとお前のことだから、私の呪いも消そうと考えるだろう。だから、そうさせまいと手を打ったのだ。お前なら私よりもフォルティの命を優先させる。そう思ったのだが……」と黒髪の青年は悲しげに瞼を伏せた。


「では、フォルティは……」

「安心しろ。きっと今頃は王配達と共に、離宮に避難しているはずだ」

「よか、よかった……、よかったああ……」と、ジェラルドは、気が抜けたのか、膝を折って座り込む。


「ここは危険だ。ジェラルド……お前を死なせるわけにはいかない。

 衛兵! ジェラルドを避難させろ」


 第一王子の命によって、ジェラルドは兵士たちに拘束された。ジェラルドは必死に抵抗したが、屈強な兵士たちに捕まって仕舞えば、なす術もない。


「兄上!!!!

 いやです!!! 兄上!!!」


 第一王子は死ぬつもりだ。産み出したドラゴンの討伐を兵士に委ねここで生を終わらせる。ジェラルドを護るためあんな嘘までついて。

 生きて足掻くことをやめた。なんて間抜けな人間なのだ。

 ジェラルドとともにアリシアも引きずられていたが、このままでは呪いに喰われて終わるだけだ。せっかくの魔族への手がかりが!!

 アリシアは兵士の腕の中から叫んだ。


「本当にそれでいいのか?

 ドラゴンの器として人生を終わらせて、それで満足か?」


 と、問いかけるアリシアへと、第一王子が顔を向ける。

 第一王子は、生きることを諦めたかのように達観した表情を浮かべていた。まるで人生の最後に、戯言を口にする愚者へと耳を傾けているかのようだった。きっとどんな言葉を投げかけても、この青年に希望の一滴すら与えられない。


 彼の頑なな意思は変わらない。それでもアリシアは目の前にいる、この青年から視線を逸らさなかった。「呪いを止められるのに何もせずに、ここから離れるつもりはない。私がお前の呪いを消してやる」


「君が、ジェラルドを治した聖女か。もういいんだ……。私は充分生きた。こうなる運命だった。だから——」


 こういう目をかつて見たことがある。きっと、今、この青年は、あの日、仲間を生かせるために、死を選んだ男と、同じものを見ている。それは陽炎のようにキラキラと輝く、甘くて陳腐で空虚な幻夢だ。


「ジェラルド、お前だけは生き残ってくれ、お前は最後の希望だからとかいうつもりか?」と、アリシアが告げると、第一王子は目を大きく見開いた。漆黒の瞳にほんの一瞬光が宿る。


「お前の人生を、ジェラルドに託す? ふざけるな。自分に酔ってんなよ。クソ王子が。残された人間はな、その先の人生永遠に大切な人を犠牲にしてしまった後悔しか残らないんだ。一生涯、死なせてしまったことへの罪を、背負って生きていくんだよ。そっから先の人生はまさに地獄さ。 

 お前はお前の死と引き換えに、一生涯ジェラルドに呪いをかけるつもりか?」


「そうだね。私は罪深き王子だ。すまない、ジェラルド。最後までいい兄ではなかった」


「兄さん!!!!」


 ジェラルドが今にも泣き出しそうなほどだったが、アリシアは大声で笑い出した。


「聖人ぶるなって。生を捨てるのは容易いから選択しただけだろう?自分が全てを背負えば、他の人の人生が安泰になるなんて、それはただの自己満だ。そういう自分勝手な人生の終わらせ方、最高にダサいんだよ」


「君は……不思議な子だね。まるで老齢の賢者のようだ」


 ……ああ、まるで分厚い鉄の塊を殴っているかのようだ。これだけの罵詈雑言を受けても尚、王子様の気持ちは変わらない。悔しい。死を覚悟している人間の気持ちを変えることは、今世でも叶わないのか……。


「死にたいなら勝手に死んでいけ。

 だが一瞬でも生きたいと願うなら、この私が救ってやる」


 アリシアと第一王子が長らく睨み合う。するとアリシアの想いが通じたのか、ふっと第一王子の口元が柔らかく緩んだ。そして「……なら救え」と、挑戦的な台詞を吐いた。


 兵士たちの拘束が解かれる。

 もう、アリシアが第一王子に近づくのを止める者はいなかった。ベッドの脇へ辿り着いた時には、先ほど強気なセリフを吐いた青年とは思えないほどに、青ざめた唇から溢れる呼吸は浅く弱々しい。


「第一王子の命により、今より、呪いを消滅させる」


 アリシアは、周囲の兵士に聞こえるように大きな声で告げた。背後で兵士たちが一斉に剣を抜く音が響いた。万が一失敗した場合、まず最初にドラゴンの餌食になるのはアリシアだ。 


 アリシアが失敗したと分かった時点で、アリシアごと串刺しにするつもりなのだろう。まあ、それが賢明だ。ドラゴンは侮っていい魔獣ではない。 

 大聖堂の鐘がひとつ鳴った。月がちょうどてっぺんにある。


——0時だ。


 アリシアは、赤黒い紋様を描く胸板へと手を押し当てる。すっと短く息を吸い、聖力を呪いの渦の底へと押し込むように吐き出した。回転する魔気の渦に聖力が混じり合い相殺していく。部屋中に漂っていた黒霧の魔気があっという間に掻き消えた。だが、ドクンと脈を打つたびに、形勢は逆転し、再び、黒霧が溢れ出てくる。


「っく!!!!!……すごい力だ」


 魔力と聖力が拮抗していたが、徐々にドラゴンの鼓動が強くなる。青い炎が湧き上がり、第一王子の全身に拡がったヒビがだんだんと増え始めた。 このままでは器が破壊されてしまう……! パリンパリンと、皮膚の上に亀裂が入り、第一王子の身体から青白い光が溢れ始めた。


「う、生まれるのか?」  


 兵士の1人が怯えるように呟いた。


「盾を!! 衝撃に備えろ!」 


 兵士の1人が告げると、アリシアの背後に、盾の壁が生まれた。 

 ドラゴンが生まれる衝撃波に盾の壁がどれほど耐えられるだろうか。余計な考えを捨てようと、頭を思いっきり振ってみる。緊張で唾を飲み込んだ。このまま抑え込めるかわからない。でも、負けたくない。


 こっちは何千年と生きた元魔王だ。 

 名も知らぬ呪術師が作ったたかだか呪い如きに負けてたまるか!


 アリシアは深く深く息を吸い込んだ。目を閉じて全神経を指先へと集中させる。全聖力を注ぎ込むのは危険な賭けだ。


 聖力は、魔気を消し去るだけでなく、生命力をリセットする作用がある。その作用の一環でケガを治したり、病を治すことができる。しかし、短時間で大量の聖力を注ぎ込むと、副作用として、記憶に障害が出ることがある。

 万一第一王子の記憶がリセットされた時、彼が彼として目覚めるのか、アリシアにはわからない。


 だが、たとえこの器が壊れたとしても、ドラゴンを放つわけにはいかない。幼獣といえど、魔気を放つ魔物だ。兵士が仕留められなかった場合、王都に大混乱をきたすだろう。

 今まで王都にドラゴン騒ぎの歴史がないことからも、“隠密に処分”してきたのだろうが、今回も討伐出来るとは限らない。アリシアは身体中にある感じられる聖力をありったけ指先へと集めた。魔気の渦の先。そこにあるのは“呪いの巣窟”だ。


 それが、ドラゴンの心臓を動かす源である。源を断ち切れば、ドラゴンの心臓が止まり、ドラゴンは死ぬ。体内で育ったドラゴンを殺すには巣窟を破壊する他ない。呪いの巣窟だけに全聖力を注ぎ込み、巣を破壊する。


「一か八かだ……」


 スッと息を吸い込み、頭の中でカウントダウンを刻む。 


 3……2………1………!


 アリシアの身体を白い光が包みこむ。光が消えた瞬間。第一王子の身体がベッドの上で大きくバウンドした。と同時に、城の電気が一斉に消える。王城から王都へと伝染するように灯りが消えていった。 

 王城が完全な暗闇へと堕ちる。 

 完全なる静寂を突き破るように、第一王子の心臓の音がドクンと響いた。 

ドクンドクンドクン。鼓動は規律正しく刻まれ、彼の身体を侵食していたドラゴンの紋様が砂を掃いたかのようにさっと消えた。


 天井のシャンデリアが点灯し、王都が明るさを取り戻す。王子の唇の血色が戻り、閉じられたときと同じように静かに瞼が持ち上がった。アリシアの姿が王子の瞳の中に映りこんだ。王子の瞳は、まるで深淵のようだった。

ここにはどこまでも続く闇があり、人間を飲み込んでしまいそうだった。そんな深い闇の底に、一筋の黄金の光を宿っていた。その光が闇の中からどんどん強くなり、そして闇夜が消えるほどの眩い閃光が突如、世界へと放たれた。


(続く)

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