二度目の人生はコボルトです。

トリニク

第1話 勇者,コボルトに転生す。

目を覚ましたアレスは,眼下に広がる光景に眉をひそめた。

大勢の人々が叫びながらこちらを見上げている。

意識して聞いてみると,「死ね!」だの「裏切者!」だのの罵詈雑言だ。

周囲の様子を確かめようとしたアレスは,自身の頭が固定されていることに気が付く。手も動かせない。

膝まずいた体制にさせられ,後ろ手に手錠をはめられている。

ようやくアレスは自身が断頭台に固定されていることに気が付いた。

─なぜ?眠っている間に何があった?

アレスは眠る前のことを必死で思い出そうとする。

確か,昨晩は宴会に参加していた。

魔王を討伐してくれたことを祝いたいということで王妃エクレアが王宮に招待してくれたのだ。

そこで自分は豪華な食事をとり,その後急に眠くなって…

カッ,カッ,カッ

観衆が静まり返る。

聖職者らしき人物が断頭台へと上がってきて,アレスの斜め前に来る。

アレスを蔑むような眼でチラっと見下ろした後,もったいぶった様子で奉書紙を広げ,コホンと咳払いした。


「主文,被告人ドット=アレスは,王宮の宴会にて我らがセイクリッド王国の第一王子オー=ヴァン=ヴィクティムを殺害し─


(ああ,なるほど。)アレスは全てを悟り,目から光を失う。

宴の場にヴィクティムはいなかった。主催者はエクレア。王は病床に伏し昏睡状態で,ヴィクティムは前王妃の息子。エクレアの息子は第二王子のシリウスである。

これは権力闘争。シリウスはまだ幼い。エクレア,もしくは彼女の忠臣の陰謀で,自身の息子を次期国王とするために第一王子ヴィクティムを暗殺し,その濡れ衣をアレスに着せたのだ。魔王を討伐した勇者ドット=アレスという存在は,王家や貴族の権威を保つ上でも邪魔になる。アレスには身寄りもいないため,いろいろと都合が良かったのだろう。


アレスは口元に乾いた笑みを浮かべる。

不思議だ。怒りが湧いてこない。

理不尽に殺されようとしているのに,抗いたいと思えない。

こんな断頭台,抜け出そうと思えば簡単に抜け出せるはずなのに,身体に力が入らない。力を入れる気にならない。

アレスは,幼少期に魔王軍に両親を殺されて以来,魔王を殺すことだけを考えて生きてきた。復讐心を糧に鍛錬に励み,聖教会から勇者と宣告され,遂に魔王を打ち倒すことができた。

もうこの世界に魔王はいない。アレスがこの世に生きる意味も目的ももうないのだ。


─以上のことから,被告人ドット=アレスを斬首刑に処す。」


観衆から歓声が上がる。


処刑執行人と思われる覆面の男が,ギロチンの刃を固定している紐をほどき始める。


(思えば,復讐の為だけに生きた人生だったな。本当に何の面白みもない,つまらない人生だった)


紐がほどけ,刃が落ちる。

アレスの首が飛び,空中で一回転した。


─あれっ?


地面をしばらく転がったあと,アレスの頭は上向きに止まった。

目の前に広がるのは,晴天。


─空って,こんなにきれいだったっけ?








─それでな。その時ワシは彼に言ったんだ。『カシム,どうかワシをあなたの夢のために使ってくれ』とな。それで今に至るってわけだ。ん,どうした?聞いてるのか?」

「…すまん,ちょっとまどろんでた」

オルドの言葉に目が覚めたリッカは,こめかみを抑えながらそう言った。

「そうか。なぁに気にするな。酔った老人の独り言だ。…そう,独り言さ。だから聞いてくれなくたって悲しくなんかないもん。うわーん!」

泣き上戸だ。めんどくさいな,と向かい側でテーブルに突っ伏して泣きじゃくるオルドを見る。

しばらくして,オルドは急に顔を上げた。

「ところでリッカ。ワシは自分の昔話をしたんだ。お前さんもそろそろ前世の話をしてくれないか?」

「ねぇよそんなの。前世の記憶なんてないって最初から言ってるだろ?」

「んー,そうか...」オルドは残念そうに頭をたれる。

鳩時計がなる。

もうこんな時間か,とオルドは立ち上がる。

「研究の時間だ。リッカ,お前も来てくれ。今日こそ必ずお前の弟を生み出してみせるぞっ」

「…期待しとくよ」







目を覚ましたアレスが最初に見たものは,目の前で膝をつき,目を丸くしながらこちらを凝視する老人の姿だった。ついで,その老人の斜め後ろの壁に立てかけられた鏡に映る自分の姿が目に映り,驚いた。二足歩行の狼の姿─コボルトだったからだ。

どういうことだ,としばらく呆けていると,「ついに...ついに...」と目の前の老人が泣き始めた。

老人はオルドといった。『夜ノ帳』という秘密結社に加入するために黒魔術の研究をしており,その一環で人の骨から魔物を生み出す実験をしていたらしい。アレスは初めて生み出すことのできた魔物なのだそうだ。

オルドはひとしきり感動した後,アレスが自分と同じ言語を喋れていることに気が付き,驚いた。

通常,魔物は人の言葉を喋らない。生まれたばかりなら尚更だ。オルドはアレスに人だった時の記憶-前世の記憶があるのではないかと疑ったが,アレスはこれを否定した。

もちろんアレスには,アレスだった頃の記憶があった。しかし,オルドがどういう人物か分からない現状では話さない方が得策だと考えた。少なくとも,実験に人の骨を使うような人物がまともであるはずがない。

オルドは腑に落ちない様子だったが,何しろ初めて生み出した魔物だったので,そういうものなのかもしれないと一応は納得してくれた。そして,アレスの白い毛並みから,雪の結晶にちなんで『リッカ』と名付けた。


オルドに付いて地下の研究室へと続く階段を降りながら,リッカは生み出されてからこれまでの一週間を振り返る。


リッカには,やりたいことがあった。前世で使えていた力をこの身体でも使えるかの確認,この場所の地理情報,そしてこの世界の年代の確認である。

一つ目に関しては,夜,オルドが眠った後に外に出て確かめた。案の定,聖魔法は使えなくなっていたが,剣の腕は全く衰えていなかった。筋力も生前とほとんど変わらない。アレスの剣の腕前は,アレスの時代のセイクリッド王国騎士団長と同程度の実力である。騎士団長は王国に現れた災厄級の魔物を一人で討伐できるくらいの腕前はあるので,戦闘力としては申し分ない。地理情報に関しては,オルドの書斎に世界地図がなく,正確な位置こそわからなかったものの,外に出た際に見た辺り一面に生えている針葉樹や気温の寒さから,北の方だという推測はできた。また年代についても,オルドとの会話から聖暦106年─アレスが死んでからおよそ100年後の世界らしいということも知ることができた。セイクリッド王国についての情報は,オルドの書斎には一切なく,オルドとの会話でも引き出すことができなかった。もしかしたら滅びているのかもしれないな,とリッカは思った。


オルドが研究室の扉を開けると,中では見知らぬ男が椅子に腰かけて待っていた。

リッカは一瞬警戒したが,オルドの「カシム様...」というつぶやきで緊張の糸を解いた。「カシム」は恩人であり,『夜の帳』をオルドに紹介した人物だとオルドから聞いている。実験でリッカを生成したことも,生成した直後に通信魔石で知らせたそうだ。


「遅かったじゃないの」あくびをしながらカシムは言う。「待ちくたびれたぜ,全くよぉ。研究成果を見に来てやったぜ。それで,例のやつは?」

「は,はい。まだ再現は出来ておりませんが,御覧の通り...」オルドは後ろについていたリッカを両手で指さす。

「ほう,そいつが」カシムは右手で顎をさすりながらリッカをまじまじと見つめる。「コボルトねぇー...。見たところ白銀の毛以外は普通のコボルトと一緒だな。戦闘力はそんなに高くなさそうだ。...首輪を付けてないところを見ると,友好的な性格のようだな」

「はい。...しかし,驚きましたよ。まさかもうお越しいただけるとは。視察で遠方に行かれてたのではなかったのですか」

「優秀な部下がヒトの骨から魔物を生み出すなんていう前代未聞の実験を成功させたと聞いて,飛んでこない上司がどこにいる?そんな任務後回しにして,転移(テレポート)で飛んで来たよ。優先順位が違うからな」

「今日着くと事前に知らせて頂ければ,もてなしの準備をしましたのに」

「俺はそういうかたっくるしいのは嫌いなんだ。面倒だし,時間の無駄だからな。...それで,人の言葉を話せるってのは本当か?」

「はい。リッカ,カシム様に挨拶してくれ」

リッカは素直にオルドに従い,「お初にお目にかかります,カシム様」と恭しくお辞儀をする。

カシムは目を丸くする。「マジじゃねぇか。...こいつは使えるなぁ。従来の黒魔術じゃあ,人の死体からはゾンビかスケルトンしか生み出すことが出来なかった。ゾンビやスケルトンには知性がねぇから幼稚園児にするような簡単な命令しかできなかったんだ。しかしこいつには知性がある。もし,この魔術が実用化できれば,できることは一気に増えるぞ...!!人の死体をかき集めて国を作ることだって夢じゃねぇ...!!...ん?オルド,なんでお前までびっくりした顔してるんだ?」

「ああ,すみません。こんな礼儀の正しいリッカは初めてだったものですから」

「お前が躾けたんじゃないのか?」

「いえ,全く」

「...なるほどな。ますます面白いな」

「それで,カシム様。『夜の帳』の入団試験には合格できそうでしょうか?」

「...ああー,それなんだがなぁ。現状だと無理だ。」

「えっ!?何故ですか!?」オルドはすっとんきょうな声を出す。

「証明できないからだ」カシムは静かに言葉を続ける。「お前の研究は,まだお前自身も再現できてないわけだろ?それじゃあ証明できない。『夜の帳』は認めてくれない。お前がヒトの死体から人語を操るコボルトを生成したってことをな」

「そ,そんな...。本当にワシは黒魔術でリッカを」

「ああ,分かってるよ。俺も信じてる。俺はお前を知ってるからな。お前はそんな風に研究成果を偽る奴じゃあない。だがなぁ,客観的な証拠がなけりゃあ第三者は納得しない。単純な話だ,分かるだろぉ?」

カシムの言葉に,オルドは落胆する。

「集会まであと1カ月。お前の入団試験はそこが期限だ。それまでに再現性があり,かつ実用的な研究成果が出せないとお前の入団は認められない。ちなみ,入団が認められない場合はお前を殺さなきゃならん。」

「へっ?」オルドは再びすっとんきょうな声を出す。「殺されるんですか?私」

「ああ,当たり前だろ。『夜の帳』は秘密結社,その存在は関係者以外に知られてはいけないんだ。入団が認められなければ口封じに殺さなきゃならん」

「そんな話,今まで一言も─

「何か問題でもあるのか?」

「大ありですよッ!あなた,最初に言ってくれたじゃないですかっ!お前の力が必要だ。俺のために『夜の帳』に入ってくれって。だからワシは,あなたに付いて11カ月前の集会に参加したんです。そしたら入団試験があると知らされて。それだけでも話が違うなと思っていたら,今度は試験に落ちたら殺されるだなんて。あまりに理不尽じゃないですかッ!」

「それで?」

「いや,それでって─」

「ごちゃごちゃうるせぇぞッ!!!」

カシムの威圧にオルドは気圧される。

「オルド,お前がどんなに不満を抱こうと,お前が『夜の帳』の入会試験中で,一カ月後の期限までに研究を完成させなきゃ死ぬって現状は変わらねぇ」

カシムの言葉に,オルドはシュンとする。

「...だがなぁ,俺も鬼じゃない。この研究は有用だ。もし完成させられれば『夜の帳』への恩恵は計り知れない。オルド,こんな素晴らしい研究を思いついてくれたお前にも死んでほしくはない。だから提案があるんだ」

「ていあんっ?」

「ああ。...オルド,この研究俺と一緒にしないか?」

「私の研究を,カシム様と?」

「ああ,再現性のないお前の研究にはまだ価値がない。現状のままで期限当日を迎えれば,まだ何の実績も信頼もないお前は間違いなく試験に落ち,死ぬだろう。しかし,俺との共同研究となれば話は別だ。俺には実績も信頼もある。『夜の帳』は研究の完成を待ってくれる」カシムは一呼吸おいて言葉を続ける。「もちろん,集会までに一人で完成させられるってんなら断ってくれても構わない。だが,その様子じゃあまだその目途は立ってないんだろう?」

「...少し,考える時間をくださいませんか?」

「ああ,もちろんだ。だが俺も暇じゃない。1日だけ待ってやる。明日の朝までにはどうするか決めろよ?」






カシムが研究室からテレポートしてしばらくの間,オルドはそれまでカシムの座っていた椅子に座り,何もない壁をずっと見つめていた。オルドが考えを巡らせるときの癖だ。研究に行き詰った時もよくそうしていた。

長い沈黙を破ってオルドがようやく口にした言葉は「この研究はカシム様との共同研究にするよ」だった。

「...本当にそれでいいのか?」

「どうしてだ?」

「カシムはあんたに入団試験のことも入団試験に落ちたら死ぬことも事前には知らせてなかったわけだろ?そんな奴信頼していいのかよ。それに,いまあんたがやってる研究は,素人の俺から見ても価値が高いってわかる研究だ。カシムの言うように,ヒトの骨さえ集めれば一人の人間が国を作ることだってできちまう可能性があるわけだからな。入団試験に落ちたら死ぬってのも,『夜の帳』があんたの入団を認めないってのも,カシムがあんたの研究に自分が一枚噛むためのハッタリだって可能性もある」

オルドが急に自身の両目を右手で覆う。

「...ん?どうしたオルド?」

「リッカがワシの心配をしてくれていることに感動して涙が...」

「言ってる場合かっ!...俺はただ,知ってる奴が騙されて酷い目に合うかもしれねぇって状況を見過ごせねぇだけだ」自分と重ねちまうからな,と言いかけてリッカは口をつぐむ。

「...ありがとうリッカ。じゃがなぁ,別にひどい目にあってもいいんじゃ」

「...はっ?」

「前にも話したろう?魔物に村を襲われ,身寄りもなく行き倒れていた私に手を差し伸べてくれたのがカシム様なんじゃ。あの日から,わしは残りの人生を彼のために使おうと決めておる。いまのワシがいるのは彼のおかげじゃからな」

「...ただいいように利用されてるだけだろ。研究が完成した時に,やっぱり俺だけの手柄にするってカシムに殺されても知らねぇぞ」

「それならそれでいい」

「...ハッ,そうかよ」






早朝,カシムは玄関から堂々とやってきた。カシムの提案を受け入れるとオルドが伝えると,カシムは満足そうにうなづいた。「集会で発表する研究論文の作成と今後の研究の進め方について話し合おう」とカシムはオルドに言い,カシムとオルドは研究室へと行くことになった。

席を外すようカシムに言われたリッカは,凍えるような冷たさのバケツの水で朝食の皿洗いをしながら悶々としていた。

昨日からだ。昨日のオルドとの会話から,ずっとイライラしている。何故だろう?騙されて酷い目にあってもいいというオルドの態度が気に喰わないのは分かる。だがなぜ,こんなにもずっとイライラが続いているのかが分からない。生前の自分もオルドと同じだった。この世にたいした未練もなかったので,無抵抗に謀殺された。同族嫌悪って奴か?でもなぜ嫌悪する必要がある?

リッカは今しがた聞こえてきた音に耳を澄ます。間違いない,悲鳴だ。勇者は困っている人がいれば助けに行かなければならないという矜持のもと生きてきたアレスとしての経験から,リッカは人の悲鳴に人一倍敏感であった。微かだが,今確かに下の方で誰かが悲鳴を上げていた。下と言えば,地下の研究室である。考えるよりも先に,リッカの身体は動いた。


研究室の扉を開けると,しゃがんでオルドを見下ろすカシムと腹部を抑えて倒れているオルドがいた。オルドの腹部からは血がドロドロと流れ続けて地面に広がっており,カシムはその様子を見ながらイライラした様子で自身の髪を左手でわしゃわしゃしている。

「何があったんだ?どうしてオルドが血を流してる」

「...見て分からないか?俺がやっちまったんだよ」

カシムが言い終わらないうちに,カシムに殴り掛かろうとしたリッカだったが,身体が動かなかった。というより,動かせなかった。

「正直,辛いよ。俺も」カシムは立ち上がりながら話を続ける。「もともと殺すつもりはなかったし,本気で一緒に研究したいと思ってたんだ。俺,知識欲っていうの?結構強いからさ。一日でも早く,ヒトの骨から魔物を生み出すっつうすんげえ魔術の仕組みを解明したい,完成させたいって思ってた。そのためには,この魔術をまぐれでも成功させたオルドの発想力と知識が必要だとも思ってた。なのにこいつッ!魔術の解明のために,リッカの解剖をして骨や細胞の成分を調べようって言ったら急に怒り出してよぉ!びっくりして反射的に魔法でやっちまったんだよ。ほんと嫌になるぜッ!俺は回復魔法は使えねぇんだ。ここでこいつを殺したら頭の中で思い描いてた計画が台無しじゃねぇかッ。...だがまぁ,仕方ねぇよな。実験で生み出したものに愛情を抱く奴なんて,研究を進める上で邪魔でしかねぇ。そう,今後のことを考えると,俺の行動は正しかったんだ」カシムはため息を一つついて,リッカの方に目を向ける。「ありがとな,リッカ。話を聞いてくれて。おかげで気分が落ち着いた。...さて,こうしている間にも時間が惜しい。早速だがリッカ,お前の解剖をさせてもらうぜ」

リッカはカシムの方に向かって歩いていく。もちろん,リッカの意思で身体を動かしているわけではない。カシムによって動かされている。カシムの魔力によって。

「逃げろ。リッカ...」オルドが呻く。

カシムは目を見開く。「驚いたなぁ,まだ意識があるのか。無理だよ,オルド。お前も知ってるだろ?操作(オペレイション)って魔法だ。他者の身体を魔力で自由に操作できる。|下級の魔物|(コボルト)のリッカにこの魔法に抗う術はねぇ」

リッカは倒れているオルドのすぐそばで立ち止まる。

「ちょうどいいや。せめてもの慈悲だ。リッカにトドメを刺させてやるよ。創作(クリエイション)」

詠唱したカシムの右手に一振りの剣が生成される。カシムはそれをリッカに手渡した。

「なぜ,です...」

「おいおい,なに理解が出来ないって顔してんだよオルドぉ。自分で生み出したものに殺されるだなんて,研究者冥利に尽きる終わり方だろぉ?逆に感謝してほしいくらいだぜ。...じゃ,今までありがとなオルド。これで,おわかれだ」

リッカはカシムの魔力に操られるまま剣を大きく振り上げ,そして,振り落とした。

─ザシュッ

カシムの首が吹っ飛ぶ。

「へっ?」

何が何だか分からないという顔で,カシムの頭は地面に転がり落ちる。少し遅れて,残されたカシムの胴体が噴水のように首の付け根から血を吹き出しながら膝から崩れ落ちた。

「お前が生み出した剣で殺してやったんだ。研究者冥利に尽きる終わり方だろ,カシム...」

「いったい,どうやって...」オルドは目を見開いてリッカを見上げている。

「...簡単な話だ。操作(オペレイション)は魔力で対象の身体を操る魔法。魔力の制御を上回る筋力で動けば,たちまち操作はできなくなる」

「どこでそんな知識を,いや,そもそもどうやってそれを実践できる筋力を...」

「前世は勇者だからな。このくらい知ってて当然だし,できて当然だ」

「リッカ...。そうかお前,やはり前世の記憶を」オルドは大きくせき込み,血の塊を吐きだす。

「オルド...‼」リッカは片膝をつき,オルドの頭を抱える。

苦しそうに喘いでいる。地面に広がる血の水たまりが,すでに手遅れであることを物語っている。

「治癒(キュアー)!」リッカはオルドに左手をかざし詠唱する。【治癒】は傷を癒す聖魔法。|生前のリッカ|(アレス)なら使えていた魔法であるが,やはり何も起こらない。「クソッ,やっぱり使えない...」リッカは悔しそうに唇を噛む。

「いいんじゃよ。リッカ」オルドは力ない笑顔でそんなリッカの顔を見る。「その気持ちだけで十分じゃ。...そうか。前世は勇者じゃったか。普通ではないとは思っておったが,まさか勇者さまだったとはなぁ...」

「ごめん。今まで黙ってて」

「いや,いいんじゃよ。そりゃあ前世が勇者だなんておいそれとは言えんわい」オルドは再びむせて,血を吐いた。

「オルドッ!」

「...最後に,老いぼれのわがままを一つ聞いてくれるか」

「ああ,なんだ。言ってくれ」

「リッカ。どうか,どうか幸せに生きてくれ」

「...はっ?」

「ワシはな,リッカ。短い間だったが,お前と暮らせて幸せだった。ゴホッゴホッ!...前にも話したろう?ワシは村を魔物に襲われ,家族も友人も皆殺された。ワシは孤独だった。お前さんはそんなワシにとって,孫のような存在だった。もしかしたら,孫の生まれ変わりかもしれないとすら思っておった。...一週間ちょっとの付き合いで何をほざいとるんだと,お前さんは思うかもしれないがのぉ」

「...そんなことねぇよ。俺だってあんたのこと,おかしな奴だとは思ってたけど,家族みたいに思ってた」

「フフッ,ありがとうリッカ。...だからこそワシは,お前に幸せに生きてほしいんじゃ。ワシの分まで,しあわせ...に...」






家の近くに拵えたオルドの墓の前で,リッカは立ち尽くしていた。「これからどうすっかなぁ...」ふと,冷たいものがリッカの鼻の上を濡らした。

空を見上げる。雪だ。しんしんと雪が降っている。リッカとして生まれて,初めて見る雪。ふわふわとした,積もる雪だ。胸の位置で手を広げると,手の中に降りて来て体温に溶けてなくなっていく。きれいだな,とリッカは思った。

そういえば俺,雪を見てきれいだなんて思うの初めてだな,とリッカは気づいた。思えば,断頭台で処刑されたあの日,初めて青空を綺麗だと思った。今まで何度も見ていた筈なのに,あの日だけ突然,鮮明に映った。綺麗に映った。今もそうだ。雪なんて何度も見たことがある。でも,今日ほどきれいだと思ったことは一度もない。冷たいとすら感じたことがなかったように思う。生前の自分は,勇者アレスとしての自分は,復讐にとらわれていた。その他のことに意識を向けることに興味がなかったし,余裕もなかった。

今日は青空は見えない。空は雲に覆われている。でも不思議と暗くはない。明るいとすら感じる。リッカは,このまま死ぬのはもったいないなと心底思った。

「旅,するか」その言葉を口にした瞬間,無色だったリッカの人生に,白いキャンバスが与えられたような気がした。

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