記録02 ネオンの街を抜け、星の海へ

夜のビネス、霧雨に霞むネオンの街を抜け、ケイは駆けていた。彼の黒いロングコートが風にたなびき、濡れた路地の光を乱反射させる。足元に溜まった雨水が跳ね、影が鋭く揺らめく。


周囲の喧騒とは別の世界にいるかのように、ケイの意識は研ぎ澄まされていた。足音を響かせながら、彼はスラム街の外れへと向かう。かつて栄華を極めた旧ビネス――だが戦渦の中で崩壊し、今やゴーストタウンと化した場所。今の繁栄の裏で切り捨てられた廃墟の群れが、沈黙の中に佇んでいる。


「静かすぎるな……」


ケイは独り言を漏らしながら、崩れかけた建物の非常階段を駆け上がった。重い鉄扉を押し開け、埃っぽい空間に足を踏み入れる。かつては住居だったのだろう。壁の剥がれた跡や、色褪せた広告の切れ端がその名残を物語っていた。


ケイはポケットから小さな球体を取り出し、床へと転がした。それは**BOLRボルア**と呼ばれる汎用球体型ドローン。表面は滑らかな金属質で、転がるたびに微細な光が走る。


《ゲノムコード確認。パーソナルコード確認。アクセプト》


球体が微かに浮遊し、青白い光を放ちながら展開する。


「周囲に知的生命体・人工知能の存在はありません」


次の瞬間、光の粒子が踊るように渦巻き、やがて女性の姿を象る。彼女は透き通るような白い肌と、白銀の髪を持ち、冷たい機械的な輝きを宿した青い瞳でケイを見つめていた。その表情には微かな感情が宿るものの、どこか無機質な美しさが漂っている。


「お疲れさま、ケイ。無事で何よりです」


「……ああ、問題ない。お前の方は問題ないか? アイ」


彼女の瞳がわずかに揺らめく。その虹彩の奥には、規則的に流れる微細なデータの光が映っていた。


彼女の名前はアイ。ケイの相棒であり、女性型アンドロイドだ。外見は限りなく人間に近いが、不意にその機械的な技術の粋を垣間見える事がある。


「ケイ、回線を確保しました。依頼主、シェーネ・フラウ様とお繋ぎします」


アイの言葉と共に、映像が切り替わり、シェーネ・フラウが姿を現す。青白い光の中で、ジッポライターをカチリと鳴らしながら、くっきりとした赤い唇を歪めた。青白い映像越しでも、その鋭い目の奥にある情熱と計算が伝わってくる。


「あら、遅かったじゃない。ケイちゃん?」


ケイは睨みつけながら無言でポケットから小さな袋を取り出し、それをカメラ越しに掲げる。


「これだろ?」

「えぇ、ご苦労さま。……で、どう思った?」


「気に入らねえな。こんなもんに手を出すわけじゃないよな?」


シェーネは肩をすくめ、煙を吐き出す仕草を見せる。

「まだよ。でも……早く…」


彼女は少し口を噤み、考えるように指先を持ち上げた。

「……けど、こんなところで話すのは賢くないわ。奪ったとはいえ、これを狙う奴らがどこで見ているか分からない」


ケイは目を細める。

「……場所を変えるってことか?」


「ええ、ランデブーポイントは衛星クストーの裏側にしましょう。ここなら、余計な目に触れずに済むわ」


「了解……」


ケイが会話を切ろうとしたその時、通信機に別の信号が割り込んできた。


BOLRボルアが微細な振動音を発し、機械的な声が響いた。


《――警告。何者かが接近中》


「チッ……長居は無用ってことか」


ケイはBOLRボルアを手で払い、映像が霧散する。すぐに部屋を飛び出し、非常階段を駆け上がった。



屋上に出ると、湿った風が彼のフードを揺らした。そこからは、夜のビネスが一望できる。遠くの街はネオンに照らされ、雲間を裂く光がまるで都市の心臓の鼓動のようだった。


その時、突風が巻き起こる。


暗闇の中、ビルの縁の一点に、歪みが生じる。空間がねじれ、目に見えない口が開くような錯覚を覚えた。


――ケイの愛機、アマデウスの搭乗口が現れたのだ。


アマデウスは超小型宇宙船であり、その漆黒の機体は鋭く流線型を描き、まるで宙を翔ける黒翼の鳥のようだった。


ケイはわずかに笑みを浮かべ、躊躇なく踏み出した。

風に乗って、暗闇の口へと跳び込む。


耳を切り裂くような音と共に、機体が廃屋の屋上を揺るがした。

一瞬の無重力感。そして次の瞬間、ケイはアマデウスのシートに深く沈み込んでいた。


「お帰りなさい」

アイが淡々と告げる。


「ああ、飛ばせ」

アマデウスのエンジンが唸りを上げ、機体は夜空へと加速していった。





地表が遠のき、都市のネオンが無数の星々と交錯する。視界が徐々に広がり、壮大な宇宙空間が広がる。そこでは様々な宇宙船が行き交い、商業船、軍艦、小型輸送機、果ては違法な改造を施された海賊船までもが混在していた。その中でひと際目を引くのが、巨大な円環の装置――超光速空間渡航装置タキオンホール である。天の川銀河の主要な宙域を結ぶこの装置は、恒星間移動の要ともいえる存在だ。


ここに至るまでに、幾多の戦乱があった。かつて銀河は幾つもの勢力に分かれ、果てしない戦いを繰り広げていた。


かつて、銀河を支配していたのは惑星連合ヘラ、銀河帝国ギルガメシュ、そして独立星団ユグドラシル。


惑星連合ヘラは知的生命体を有する3億の惑星同盟を基盤とし、民主的な議会制のもとに銀河の安定を維持していた。一方、銀河帝国ギルガメシュは1億の惑星を統治する惑星アッシリアの支配領域であり、強大な軍事力と皇帝による独裁が特徴だった。対して、独立星団ユグドラシルは2千の小銀河から成る中立勢力であり、商業と交易を主軸に置くが、戦争の影響を避けるため独自の武装勢力も有していた。


しかし、彼らは覇権を求め、互いに同盟と裏切りを繰り返し、銀河全域を戦場に変えた。

そして、その戦争を終結させたのが、銀河世紀000年、M110コロニーエルドラード消失事件。


銀河最大の科学都市M110コロニーエルドラードが、突如として消滅したあの日。

それまでの均衡は崩れ、各勢力は疲弊し、戦争は形を変えていった。


戦争は終わった。だが、銀河は平和にはならなかった。


戦後、惑星連合ヘラは解体され、新たな銀河秩序を築くべく**大銀河連盟リーグオブユニバース(略称ロウ)**が発足した。


ロウの誕生によって、一応の秩序はもたらされたものの、それは安定とはほど遠いものだった。欲望と陰謀は銀河の裏側で静かに渦を巻き、強者たちはより巧妙な支配の形を模索し始めた。





ケイは目を閉じ、一度息を吐く。


目の前には、果てしなく広がる星の海。

その先に待つのは、未知か、それとも――。

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