第2話 斬鉄の誓い

 江戸第六区──六ノ塔の静寂が、轟音で破られた。

 夜の闇を突き破って、巨躯の戦士が地を蹴る。

 その身に纏うは、黒金の重装甲。両腕には大型の戦斧を備え、脚部からは熱蒸気を噴き出していた。

 シバタ勝家。

 本能寺が誇る、最強の戦闘型サイバネティック侍。いや、“鬼”と称されるにふさわしい存在だった。

「……光秀。貴様の“理”を、ワシは捻じ曲げてやるぞ……」

 声はもはや人のものではない。

 低く歪んだ振動が、周囲の建物の窓を震わせる。

 一方、光秀は小さな茶屋に腰を下ろしていた。

 空の明かりが、彼の顔に陰影を落とす。

 差し出された茶はすでにぬるくなっていた。

「……チッ、本能寺の犬が動き出したか」

 光秀は湯呑を持ったまま、静かに立ち上がる。

 その目は遠くの闇を睨み、すでに迫り来る殺気を感じ取っていた。

 どこかで金属が擦れるような音。続いて、地面が微かに震える。

「この足音……あいつか」

 外れかけた障子を指で押し開けると、夜の風が吹き込んだ。


 風に乗って、鈍く光る赤い粒子が一つ、闇に瞬く。

 その瞬間、茶屋の前の道が爆ぜた。土煙と瓦礫が舞い上がる。

 その中心から、鋼鉄の巨影が一歩ずつ姿を現す。

「……柴田勝家。貴様、地獄から這い出てきたか」

 全身を黒鉄の装甲に覆い、肩には「鬼」の紋章。

 その眼は、まるで怨霊のように紅く燃えていた。

「光秀ィ……その首、秀吉様のためにもらい受けるぞォ!」

 柴田が吠えると同時に、地面を砕きながら突進してくる。

 光秀は湯呑を軽く空中に放り投げ、その軌道に沿って一歩踏み出した。

「ならば……死人同士、骨の一本でも折り合おうか」

 柴田の巨腕が唸りを上げて振り下ろされた瞬間、光秀の姿が霧のように掻き消える。


「——斬影拳・陽炎」

 斬影拳の中でも、最初に叩き込まれる技法。

 だが、単純な技ほど恐ろしく鋭い。

 特に、力任せに突っ込んでくる敵には、絶大な効果を発揮する。

 光秀の身体が一瞬、陽炎のように揺らめいたかと思えば、次の瞬間には五つの残像を残して左右に分裂したように見えた。

「なっ……!?」

 どれか本物かを見極める前に、横合いから鋭い拳が一撃。

 重厚な顎の装甲がへこみ、柴田の首がぐらついた。

 追撃が入る。背後、腹、肩、側頭部——的確に急所を狙った連打が次々と打ち込まれ、重装の巨体がじりじりと後退していく。

「ぐ……ぐおおおおッ……!」

 柴田が吠えると同時に、全身の熱源が急上昇。

 彼のサイバネボディが自己修復機構を起動し、破壊された部分を補強し始める。

「この程度で——倒れると思うなァ!」

「再生させる暇は与えない」

 光秀の声が低く響き、まるで戦場の風のように冷徹だ。

その言葉が終わると同時に、光秀は一歩前に踏み出した。

「——斬影拳・疾風」

 鋭い一閃が繰り出されると、柴田の目の前に次々と現れる光秀の残像。

 その速度は、もはや柴田の反応を超え、彼のサイバネティックボディに刻まれた反射神経すら追いつかない。


 光秀の右手が再び、まるで稲妻のように一気に伸びた。

 その瞬間、まるで空気そのものが引き裂かれ、圧倒的なスピードで切り裂かれた音が響いた。

「ぐっ…!?」

 柴田は再生機構が働く前に、またもや背後から強烈な一撃を受ける。

 その衝撃で、彼のサイボーグの構造が一時的に歪み、修復が間に合わない。

 光秀の目は冷徹に、まるで獲物を狙う猛禽のように、柴田の動きを鋭く追い続けていた。

 確かにこちらが優勢ではある。だが——妙だ。

 動きが鈍いのは重装ゆえかと思った。だが、反応速度すら鈍い。

 まるで、何かのタイミングを待っているかのように。

 柴田の咆哮と同時に、その胸部装甲が四方へ弾け飛んだ。

 内部から伸びた無数の導線が瞬時に空気を焦がし、中心から巨大な砲身がせり上がる。赤黒いエネルギーが脈動しながら収束し、空間そのものを歪ませ始めていた


「——零流化乃ン(れいりゅうかのん)……っ!」

 光秀の目が鋭く細められる。

 見たことのない兵装、それも異常なまでの出力一発撃てば自壊することすら厭わぬ、まさに“一撃必殺”の重装砲。

「遠距離で放てば貴様は躱す……だから引きつける可能性があったのよ!」

 柴田の叫びと共に、砲口に集束したエネルギーが脈動を速める。建物の壁面が揺れ、空気が焦げるような熱と圧が周囲を包み込む。

「まさか、そこまで計算ずくで……!」

 光秀の表情が僅かに動く。

 追い詰めたはずの敵が、実は自らの間合いへ誘い込むための“囮”だったと気づいた時には、すでに砲撃準備は最終段階に入っていた。

「喰らえェェ!! 零流化乃ン・臨界撃!!」

 眩い閃光とともに、凄絶なエネルギーが発射される。

 大気が震え、直線状の空間が一瞬にして焼失した。

 だが——光秀の姿は、そこにはなかった。

「やりましたぞ!光秀のやつは木っ端微塵に消し飛びましたぞ!やりましたぞ!秀吉様!」


「……見切ったぞ」

 その声は、戦場の喧騒に反して静かだった。だが確かに、柴田の背後から響いた。

「なッ——!?」

 振り返るより早く、光秀の影が、黒い疾風のように柴田へと迫る。

「“斬影拳・朧”」

 言葉と同時に、空気がねじ切れた。

 光秀の拳が、まるで分身したかのように幾重にも重なりながら、柴田のサイバネ装甲の継ぎ目に鋭く打ち込まれる。

「がッ……あ、あああッ……!?」

 砲撃の反動で内部の安定が崩れていた柴田の身体が、内側から爆ぜるように火花を散らす。

 零流化乃ンの発射システムが暴走し、エネルギーの逆流が柴田の躯を蝕んでいく。

「み、見切られた……と……?」

 燃え崩れる身体を地に伏しながら、柴田の唇からこぼれたのは、驚愕でも憎悪でもなかった。

「……やはり……明智光秀、貴様は……」

 その声は、静かに途絶えた。

 光秀は無言で拳を引き、落ちる柴田の姿を見届けると、ただ一言だけ、口を開いた。

「……お前の覚悟、見せてもらった」

 重い沈黙の中、彼の表情には微塵の変化も見られなかった。

 周囲に漂う荒涼とした空気の中、彼の目はただ前を見据えている。

「だが、俺には関係ない」


 冷徹な言葉が放たれると、明智はその場を後にする。彼の背中には、過去のしがらみも、未練も、何もかもが切り離されたような、ただ冷静な決意だけが見える。

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