その23 破滅の使者

 空が割れている。


 魔界の曇り空に、空間そのものがひび割れ、名状しがたい区間が覗いている。そしてそこから真っ黒で巨大な頭が見え、爪がすでにひび割れのこちらへ掛かっていた。

 真っ黒な鱗で覆われた身体はまだ全身が見えておらず、長い首に居だな顎、並ぶ牙やのぞく舌さえ真っ黒で、目はもはや瞳というより全てを吸い込まんとする穴のようであった。

 まだ肩がチラリと見える程度の穴ではあるが、空間のヒビは少しずつ広がっており、時おり穴の向こうに翼膜らしきものまで見える。


 もし、あの化け物が解き放たれたら……。


「魔王様、次元獣ってなんですか?」

「次元獣は世界を危機に陥れた存在。魔界、人間界、異世界の全ての壁を破壊した元凶だ。」


 忌々し気に言う魔王の言葉に誰も何も言えない。ただそのこの世の終わりのような光景に目を奪われていた。


「ブリード!闘技場と周辺の住民を避難させろ。奴が這い出してくればどこに逃げようが同じかもしれんが、少しでも安全を確保するのだ。軍も出動させ、住民避難が完了次第ここへ部隊を終結させよ。」

「は!ただちに!」


 魔王ゲイルがそう声を張り上げると、呆けていたワーウルフの側近、ブリードはハッと気が付き、いつもの引き締まった表情に戻って駆けだした。


「我らは闘技場の結界の制御室へ。場所がここであったのは好都合だ。多少は時間が稼げるかもしれん。」

「魔王と言ったわね。私にも協力させて。」


 ゲイルが指示すると、美琴が舞台から降りてくる。結構な高い位置であるのに平然と飛び降りて駆け寄ってきたのに裕貴は驚いたが、ゲイルにはそんなことは分からない。


「お前は裕貴の知り合いか?」

「僕の姉で美琴といいます。姉さん、こちらはこの国の魔王でゲイル様。僕が帰る方法を探してくれて、いろいろお世話になってるんだ。」

「初めまして。残念だけど、ゆっくり挨拶している暇はなさそうね。これでも私、異世界から自力でここまで来る程度の力はあるの。役に立てると思うわ。」

「わかった。正直できることはなんでも試すしかない。いくぞ。」


 頷くゲイルが先に立って走り出す。裕貴と美琴、ミューやゼピュアもそれに続く。


「私たちも行きましょう。何もできないかもしれませんが。」

「そうだな。こんなとこに突っ立ってるよりはましか。」

「何か手伝えることはあるはずですわ。」

「貴方たちはどうする?」


 舞や勇、アクリア姫が頷き合う中、アーシィはミストラルとモンスーンの方を向いた。


「うむ。状況は分からぬが俺達も魔王様に続こう。」

「そうだな。戦いになれば役に立てるだろう。」


 2人も頷き、6人も裕貴たちの後を追った。


§


 闘技場の結界制御室。

 観客席のさらに上、闘技場全体を見渡せる部屋にそれはあった。


 闘技場全体の見取り図にいくつかの小さな光が灯っており、それが結界の装置の場所のようだ。見取り図で色が変わっている場所が結界の効いている箇所で、今は闘技場の中央部が赤くなっている。


「結界の制御はここから出来るのね。」

「ああ。結界の有効範囲を闘技場の上部にし、次元獣が抑えられるか試してみる。少しでもこちらへ出てくるのを遅らせられれば、準備をする時間稼ぎにはなろう。」


 見取り図前には紫の水晶らしきものが埋め込まれ、スイッチや摘みらしきものが並んだパネルがあり、ゲイルはそれを動かし始める。


「このパネルは結界の操作用よね?」

「ああ。結界発生装置そのものは闘技場の各場所へ設置されているが、ここから全ての装置を制御することが可能になっている。出力や効果範囲、効果も物理や魔法でのダメージ軽減率など多少は操作可能だ。」


 美琴の質問に操作を始めたゲイルが答える。


「お詳しいんですね?」

「まぁな。元々魔界にこういった技術者は居なかった。異世界人の力を借りて我も制作に携わったのだ。もっとも、あの頃より幾度も改良を重ねてすでに原型はとどめていないがな。」


 舞の言葉に頷きつつ操作を続けるゲイル。そこへ美琴が手に持った白い本を開きつつ近づく。


「結界装置を少し見せて貰っていいかしら?次元の壁へ干渉できるように変更すれば、あの化け物をもっと効果的に抑え込めるかもしれない。」

「そんなことが!……いや、お前たちは裕貴を追って自力でここまで来たと言っていたな。分かった、まかせよう。結界の構造についてはなんでも聞いてくれ。」

「ええ、お願いします。」


 2人が頷き作業に入る。


「さて、私たちは今の所することがありませんので、ここまでの情報共有をしておきましょう。」


 軽く手を叩いてゼピュアがそう言う。残りの皆がそちらへ向くと、ゼピュアは裕貴の方を見て頷く。裕貴は頷き返し、改めて皆の顔を見た。


「ええと、いろいろと聞きたいことはあるけど、まずは僕の方から。元の世界から来てしまって魔界まで来た経緯を簡単に説明するね。」


 皆が黙って頷く中、裕貴は口を開く。


 元の世界で学校帰りに流れ星が落ちてきて、気が付いたらグラスプ大森林の中に居たこと。

 アーシィと出会い、彼女と生活しながらサマーリア王国を目指す準備をしていたこと。

 サマーリア王国へ突然転移してしまい、その後王国の強力で帰る方法を探してもらいつつ王宮で生活していたこと。

 突然現れたフレアに連れられ竜の巣へ行き、竜妃様から女神様の導きを受けたこと。

 魔界へ転移し、魔王様が女神との交信準備をしている間、魔王城で世話になっていたことを話した。


「ずいぶんとあちこち行かれたのですね。大変だったでしょう。」

「たしかにいろいろ驚いたし大変なこともあったけれど、どこに行っても皆親切で、お世話になってばっかりだったよ。僕が帰る方法を探してくれて、生活の面倒をみてくれて。冒険とはちょっと呼べないかも。」


 心配そうな舞に苦笑する裕貴。何の不自由もなかったわけではないが、どこへ言っても皆出来る限りの助力をしてくれていた。感謝は尽きず、不満などまったくなかった。


「僕の方はそんな感じ。それより皆、特に舞と勇はどうやってこっちへ来たの?たぶん姉さんのせいだろうけど。」


 裕貴がそう言って2人を見る。頷いて口を開いたのは勇だ。


「裕貴が居なくなった後、裕貴の親父さんが実は異世界から来たって言ってな。裕貴もそっちの世界へ行ったんじゃないかって話になったんだ。」

「えっ!お父さんが?なにそれ……。」


 いきなり衝撃の事実を聞かされ、目を丸くする裕貴。勇は苦笑しつつ話しを続ける。


「まぁそんな反応になるよな。裕貴が居なくなって、異世界へ行ったみたいだって分かってから、舞の全面協力で美琴さんがこっちの世界へくる装置を作り上げたんだ。たった一週間で。とんでもないよな。」

「あー。まぁ2人が協力したら大抵のことはなんとかなりそうだとは思ってたけど、まさか異世界に自力で来ちゃうなんてすごすぎるよ。」


 裕貴は半ば呆れ顔だ。


「それだけ裕貴を心配していたということね。ただ美琴が規格外の人間だったってだけで。」

「そうですわね。わたくしももし大切な家族が突然居なくなったりしたら、出来ることはなんでもして探しますもの。」

「そうだね。裕貴を連れてっちゃったこともある私が言うのも何だけど、美琴は本当に必死だったもん。」


 アーシィの言葉にアクリア姫とフレアが深く頷く。周りの皆も同様だ。


「裕貴さんは本当に大変な目に合われて、それでもご家族や友人のお力でやっと再会できたのですわね。」

「見知らぬ世界をあちこち点々として、裕貴は本当によく頑張ったな。」

「再会できて良かったなぁ。」


 優しく微笑むゼピュアに、涙を滲ませつつ何度も頷くミストラルとモンスーン。しかし、ゼピュアはミストラルとモンスーンへじっとりとした目を向ける。


「それで、ミストラル様とモンスーン様はなぜ決闘などと?」

「あぁ、広場に彼らが現れた時偶然居合わせてな。何せ武装しておったものだから、戦いにでもなって街に被害が出てはイカンと思ってな。」

「うむ。話しの流れでつい腕試ししたくなってしまってな。まぁ力比べをして打ち解けることなどよくあることゆえ、一戦交えてから話を聞こうと思ったのよ。」


 苦笑しつつそういう2人にゼピュアはため息を吐く。


「事情は分かりましたし、善意でなされたことなのは分かりました。しかし結局はご自分たちの楽しみを優先されただけでしょう。きちんと事情を説明してからでないと、魔界が野蛮なところと誤解されてしまうかもしれなかったのですから、きちんと反省して下さい。」

「いや、本当にすまなかった。」

「面目ない。反省しておる。」


 笑顔で怒りを滲ませるゼピュアに、ミストラルとモンスーンは大きな体を縮こまらせて頭を下げた。それを見て皆苦笑する。


「まぁ裕貴が近くに居るかもって焦ってた俺達も悪いんだし、こちらこそ申し訳なかった。」

「そうですわね。きちんと話してみれば、お優しい方達だと分かりましたし。こちらこそすみませんでした。」


 勇と舞も頭を下げる。アーシィとアクリア姫、フレアもそれに習う。


「それにしても、あの次元獣って一体?」

「それについては我より話そう。」


 いつの間にかゲイルと美琴がこちらへやって来ていた。


「そちらは大丈夫だったんですか?」

「大丈夫よ。瘴気を使ったシステムだったし、割と自由度もあって構造に詳しい魔王様も居たから、多少効果を変えるだけなら簡単だったわ。」


 裕貴に答えたのは美琴だ。


「これを簡単と言える美琴の技術力は大したものだ。これで次元獣はしばらく出てこられぬはずだ。こちらからも手出しは出来ぬが……。いや、それより今は次元獣についてだな。対処を考える為にもまず我が知っている限りの事を話そう。」


 ゲイルの神妙な面持ちに、他の皆も固唾を飲んで見守る。


「次元獣とは、その昔魔界と人間界の壁を破壊した存在だ。その力は裕貴たちの異世界へも及び、神々の力を借りてようやく封印することが出来たのだ。」

「次元獣っていったい何なんですか?」


 裕貴の言葉にゲイルは首を振る。


「あれが何であるかは我にも分からぬ。ただ、あらゆる世界の外側にいて、世界の壁を破壊する力を持っているということは分かっている。先代魔王はあれが出てくるのを阻止するために戦い、力を使い果たして亡くなったのだ。」


 ゲイルがそう言うと沈黙が訪れる。するとそこで裕貴が口を開く。


「もしかしてその……、僕が世界を超えてしまったせいで、封印が解けてしまった……とか?」

「それを言うなら無理やり世界を渡って来た私の責任だわ。」


 恐る恐る言った裕貴の言葉を遮るように美琴が言う。しかしゲイルは首を振る。


「それは無いだろう。女神が世界を隔てる壁を修復した後も、不安定な場所から別な世界へ行ってしまうものや、多少魔力や瘴気が他の世界へ漏れだすこともあった。それが原因とは思えぬ。むしろ次元獣が目覚めることを察して女神が裕貴をこの世界へ呼んだ可能性もある。」


 ゲイルはそう言ったが、それでも裕貴の顔は曇ったままだ。


「でもそれなら、僕はどうしたら……。」

「案ずるな。以前、次元獣が現れたときも異世界人が直接次元獣をどうにかしたわけではない。裕貴の力が必要になる時はきっと来るだろう。」

「はい。僕に何が出来るか分からないけれど、出来る限り頑張ります。」


 裕貴は決意の籠った眼差しでそう言う。


「それで、どう対応するの?以前に封印できたというならその方法もあるのでしょう?」


 美琴の言葉にゲイルは唸る。


「ううむ。以前の次元獣との戦いの時、我は避難していた者たちを守っておった故、その顛末については後より知ったのだが……。その時はすでに人間界と繋がってしまっており、双方の世界から戦える者を手あたり次第集めての総力戦であった。最後は女神の力を借りて封印したとのことだ。幸い、裕貴の事について神と直接交信する準備は出来ておるが、本体を放置して向かうわけにもいかぬだろう。」

「それなら僕が行きます。魔王城の方に聞けば分かりますよね?」


 裕貴の言葉にゲイルは頷く。


「そうだな。裕貴にならまかせられる。」

「それならば私がお送りいたしましょう。竜籠か馬車があれば早いですが、ブリード様や闘技場から避難する方が使われているかもしれません。」

「私が送って行きたいけど、戦力的に残った方が良さそうだもんね。」

「ゼピュアさん。裕貴をよろしくお願いします。」

「お任せください。」


 ゼピュアの提案に美琴は頭を下げる。たしかに古代竜のフレアに送って行ってもらうほうが早いだろうが、神の力を借りるにしても弱らせなければならないというなら、古代竜の力は必要だろう。


「それとゼピュア、裕貴を送った後か、途中で誰かに伝令をさせてもかまわぬ。技術開発局へ応援要請を出せ。魔物駆除用の兵器でもないよりはマシだろう。」

「承りました。そちらもただちに。」

「やることは決まったわね、あとは……。」


 美琴が話そうとした瞬間、ドンという音と地震のような振動がする。しかも大小の音と振動は断続的に続いている。


「次元獣が動き出したか!」


 ゲイルの言葉に皆が制御室の窓に駆け寄り空を見上げる。


「何か出てきてる!」


 裕貴の言う通り、次元獣から黒い何かがばら撒かれ、それが闘技場や地面に当たってそれらを怖し、大きな音と振動を立てている。


「迎撃に出るぞ。放置するのは不味い!」

「俺達の出番だ!」

「おう!腕が鳴る!」


 ゲイルに続くミストラルとモンスーン。


「俺達も行こう!多少は力になれるはずだ!」

「ええ。」


 制御室に居た全員が外へと駆けだした。


§


 割れた空から飛来する無数の黒い物体が辺りを手あたり次第に破壊していく。物にぶつかって破壊しながらも自由にあちこちを飛び回りまるで意思でもあるかのようだ。


「あれは鱗か?」

「みたいね。本体は結界で抑え込んでるけど、ヒビ割れが広がってるし鱗全部は抑えきれないわ。」


 勇の言葉に美琴が頷く。飛来しているのは剥がれた鱗のように見える。


「結界が持つ間本体には手だし出来ぬ、まずは鱗の迎撃に集中せよ。」


 ゲイルは指示を出しつつ赤い雷撃を放って鱗を迎撃する。

 皆それぞれに鱗を攻撃しているが、撃ち落としてもすぐにまた跳び上がってくる。完全に破壊するのは難しいようだ。


「まずいですわ。闘技場の外まで飛んで行っています。裕貴さんたちは大丈夫でしょうか?」


 舞の懸念通り、鱗は闘技場だけでなく街の方へも飛来していた。


「何かおかしくないか!何もない所にもぶつかってるぞ!」


 勇が言う通り鱗は何もない虚空にもぶつかっている。


「次元の壁そのものを壊そうとしてるの?」

「やばば!」


 アーシィの言葉に、フレアは竜の姿になり、虚空にぶつかる鱗へ炎の息を吹きかけ撃墜する。しかしあまりにも数が多すぎて対処しきれない。


「まずいですわ!他の空にもヒビがはいっています!」

「何か止める方法はありませんの?このままでは他の世界に繋がってしまうかもしれません!」


 舞とアクリア姫も魔法を撃ち続けているがまったく数は減らない。

 そのうち次元獣が居るのとは別の虚空が割れ始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る