その8 王都での優雅な生活

 王立魔導研究所を出た後、馬車は大きな通りに面した立派な建物に停まった。


 通りは王宮前から真っ直ぐに伸びた一番大きなもので、中央広場前には大きな門が建っている。道は広場を囲むように円形にぐるりと周って、4方の通りへと繋がっていた。

 建物は王宮と門の間に建っており歴史的な風格を持った佇まいだ。広場側は多くの人で賑わっているのに対し、この通りはやけに人通りが少なく閑静な雰囲気だ。


「広場の方とこの通りだとなんだか雰囲気が違いますね?」

「ええ。この通りは古くから王族や貴族の仕事を請け負う店の通りなのです。平民も利用出来ますが、大店の商人など貴族に近い財力をお持ちの方々だけでしょう。ですのでこちらの通りを歩く方はほとんどいらっしゃいませんし、店の看板なども出されてはいないのですわ。」

「そういう理由だったんですね。どうりで並んでる建物も立派で風格があるなと。」


 説明に感心する裕貴をアクリア姫は建物の中へ導く。

 扉を開くと店の従業員達が並んでお辞儀をし出迎えた。

 中央に居る初老の男性が一歩前へ踏み出し深く礼をする。


「アクリア姫様、裕貴様、ミュー様。ようこそおいでくださいました。」

「ええ。急な来訪への対応、感謝します。」

「もったいなきお言葉。さ、ご準備は万事整えて御座います。どうぞこちらへ。」

「よ、よろしくお願いします。」


 案内されるまま付いて行くと、広い部屋に大きなテーブルと椅子が3脚。

 促されるまま椅子を引いてもらい座る。


「あ、あの。食事のマナーとか……。」

「ふふ、お気になさらなくて大丈夫ですわ。異世界からいらした裕貴様がこの国の食事のマナーなど知らなくて当然ですもの。どうぞ食べやすいようにして下さいませ。」

「あ、ありがとうございます。」

「ミュウ。」

「ふふ、もちろんミュー様もですわ。」


 アクリア姫は裕貴とミューを見て楽し気に微笑む。


 程なくして飲み物の入ったグラスと、野菜と木の実らしきもので出来た上品に盛られたサラダの皿が出てくる。一緒にフォークとスプーンが出されたので、裕貴はそれを手に取る。


 あまりに上品に盛られているので、崩すのが躊躇われる。どう食べたものか思案していると、ミューはそんなことはお構いなしに皿毎両手で持ち上げて、口をつけて食べ始めた。


「ふふ。ミュー様にこの食器は使いづらかったですわね。」

「そうですね。力は強いけど細かい作業は苦手みたいで。」


 アクリア姫につられて裕貴も笑う。肩の力が抜けた裕貴も料理に手を付ける。


 食べ終わると、皿に食器まで下げられ、次の皿と食器が出てくる。この国の料理の形式は分からないが、どうも各皿と必要なカトラリーをセットで出してくれているようで、使うものを悩まなくて良いのはありがたかった。


 それから裕貴は、アクリア姫と話をしつつ、楽しく料理を堪能したのだった。


§


 食事を終えて王宮に戻ると裕貴は、御者や護衛にもよく礼を言ってから宛がわれた部屋へと案内される。


「もうしわけありませんわ。このような狭い部屋しかご用意できませんで。本当は別宅のお屋敷をご用意するつもりだったのですが、魔導研究所での用も出来ましたので近い王宮内のほうがよろしいかと思いましてこちらの部屋にいたしましたの。」

「そ、そんな。十分すぎます。」


 案内された部屋は学校の教室程度はあろうかという広い部屋。テーブルやソファーなど調度品も装飾の凝った立派なものばかりだ。


 その立派なテーブルの上には草で編まれた質素な背負い袋が置かれており、中身は取り出されて全てきちんと並べられていた。ただ、裕貴が着て来た制服だけが無い。


「失礼かと存じましたが、裕貴様のお召し物は手入れするよう命じてあります。お持物は全て置いてありますので、無くなったものがないかご確認下さいませ。寝室は隣の部屋になります。」

「ありがとうございます。」


 木製の食器や水筒。いくつかの草の袋へ分けて入れられているのは森の果実やキイチゴで作ったドライフルーツだ。

 本当ならこの荷物を背負って、今頃はアーシィと森の中を歩いているはずだった。こうして王宮で世話をしてもらっているなど、小屋を出るまでの裕貴には想像もつかなかっただろう。

 今それを思ったところでアーシィには、もちろん元の世界の家族や友人にも、今裕貴がここに居るということを伝える術はないのだが。


 では、今の裕貴に出来ることはなんなのか。気持ちを切り替えてアクリア姫へ向き直る。


「あの、よかったら王宮内を案内してもらえませんか?」

「ええ、よろこんで。」


 笑顔で答えるアクリア姫に裕貴も微笑みを返した。


 それから部屋を出て王宮内を案内される。

 裕貴はまだアクリア姫と最初に話をした部屋に謁見の間、宛がわれた部屋と風呂場くらいしか見ていない。だが、王宮内を移動する間にも多くの扉があったし、そもそも移動するだけでもそれなりに時間がかかるほど広い建物であった。


「こちらはわたくしたち王族が暮らす場所で、普段は使用人と王族以外は謁見の間しか入ることは許されませんの。」

「えっ。それじゃあ僕は……。」

「ふふ、裕貴様とミュー様は特別ですわ。」


 楽し気に笑うアクリア姫に、裕貴は改めてとんでもない待遇で迎えられていることを知る。


「まずは必要なところをご案内いたしますわ。」

「あ、あの。それで、申し訳ないんですけれど、お手洗いってどこにありますか?」


 緊張が緩んだせいかもよおしてしまう。実は図書館で1度行ったのだが、その後は行っていない。これだけ広い建物でトイレの場所が分からないのは致命的である。


「まぁ、わたくしとしたことが申し訳ありません。一番近いお手洗いはこちらですわ。王宮内は各所にございますから周りながらお教えいたしますね。」

「あ、ありがとうございます。」


 案内されたトイレは思ったよりは狭かった。とはいえ裕貴の自室くらいはある。

 驚いたことに洋式トイレの形をしており、すこし厚手でごわついているが、切った紙が置かれていた。さらに台の上に洗面器と水瓶が置いてあり、タオルも用意してある。

 

 実は図書館のトイレも部屋こそ裕貴の良く知るサイズだったものの似たようなトイレになっており、手洗い場もちゃんと用意されていた。しかもスイッチらしきものがあり、押して水洗になっているのが分かった時は驚愕した。タンクが無いので裕貴の世界とは仕組みが違うようだが電気や機械の無い世界には似つかわしくないと思った。


 失礼かもしれないがこの世界にこんなにしっかりとしたトイレがあることに裕貴は驚いた。アーシィの所に居た時は森の中なので気にせず隠れたところで済ませていたのもあるが、街と森の中を比べるものではないだろう。


 用を足した後、気になったので聞いてみる。


「図書館も王宮もトイレは綺麗で素晴らしいですね。この国ではどこもそうなんですか?」

「ええ。我が国では昔、不浄が瘴気の源だと信じられていた時代がありまして、衛生には特に気を使われておりましたの。それは迷信であると分かった後も、綺麗好きな国民性は失われなかったのです。衛生関連の魔法や魔道具はいつも優先対象になっていたくらいで、図書館や王宮のトイレは去年、最新式の魔道具に入れ替えられたばかりなのですわ。」

「そうだったのですね。ちなみに異世界の人が関わったりとかは……?」

「いいえ。勇者様がいらっしゃった古い時代にこのような魔道具は無かったでしょうし、異世界からいらしたのも記録では勇者様と裕貴様しかいらっしゃいませんわ。素性を隠して居た方がいらっしゃらないとは限りませんけれど、少なくとも記録では異世界の方が開発に関わったということは無いはずです。」

「そうですか。」


 アクリア姫の答えはどうにも腑に落ちなかったが、同じ用途で考えられた結果、偶然にたような形と方式に至ったと言うことだろうか。生き物の進化でも同様のことがあると何かで読んだ覚えがあると、裕貴は納得することにした。


 その後は食堂と厨房を見せて貰い、料理や給仕を行う使用人たちに挨拶をした。

 今は丁度夕食の仕込みをしているところで、多くの料理人が働いていたが、水回りこそ水瓶を使っているものの、竈は火ではなく魔道具を用いており技術力に感心してしまった。これもセイジたち魔導研究所の成果なのだろう。


 それから洗濯をしているところへ行き、裕貴の服を洗ってくれている使用人にも挨拶と礼を言う。広い洗い場に何人もの使用人たちが洗剤を用いて丁寧に手洗いしており、風を送る魔道具を用いた専用の乾燥部屋や、魔道具のアイロンをかける部屋などいくつかに別れている上、専門で働いている使用人たちはもはや職人と言って差し支えなかった。

 メイドさんが洗濯をしている程度に思っていた裕貴は自分が恥ずかしくなる程である。


 最後は庭園である。

 建物は庭園を挟んだ反対側にも大きなものがあったが、そちらは王様や貴族たちが執務を行う場所ということで邪魔をしないことにしたのだ。


 庭園は石畳が敷かれ、中央に噴水があるのが見える。手入れされた低木や花壇が並び、多くの花を咲かせていた。


「素晴らしいお庭ですね。」

「ええ。王宮自慢の庭園ですわ。裕貴様のようにお客様をお招きすることもございますの。」


 裕貴が周囲を見渡すと、そこかしこに精霊の気配を感じる。建物の中でもところどころに精霊は居たものの、やはり植物の多い所の方が居るようだ。


「庭師の方にご挨拶したいです。」

「ええ、ご案内いたしますわ。」


 案内されたのは庭園の端にある、高い木に囲まれた建物。遠目には木に隠れて分からないようになっていたのだ。


「こんにちは。少しよろしいかしら?」


 アクリア姫が声をかけると、作業をしていた体格の良い老人が顔を上げる。周囲には中年から若い者たちも働いており、中には女性も混じっている。皆一様に質素ながらしっかりとした作業着らしき服を纏っていた。


「これは姫様。また、お散歩ですかな?」

「ええ。裕貴様がご挨拶したいとおっしゃられたので。」

「それはそれは、庭師小屋へようこそ。私は庭師のまとめ役をまかされておりますガデナと申します。」

「初めまして、裕貴です。ここに来るまでお庭を見させてもらいましたが、本当に素晴らしくて感動しました。」

「お褒めにあずかり光栄です。皆で世話をした甲斐があるというものです。」


 裕貴の言葉にガデナはニカッと人好きのする笑顔を見せた。


「今は何をなさっているのですか?」

「次に植える苗の準備と肥料の用意、あとは庭へ撒く水を用意させております。」


 ガデナの言う通り、大きな木製のプランターから1本ずつ苗を掘り出して、小さな鉢に分けている者、手押し車で肥料を運んでいる者、井戸から水を汲んではいくつもの桶に分けている者がいる。井戸はアーシィの小屋にあったものと違って、上部にレバー付きの大きな蛇口のようなものが付いており、レバーを上下することで蛇口から水が出ている。裕貴の知る手押しポンプ式なのか、もしかしたら魔道具なのかもしれない。


「あの、もしよかったら手伝わせてもらえませんか?」


 もしかしたら役に立てるかもしれないと思った裕貴はそんな提案をしてみる。ガデナはそれを聞くと豪快に笑った。


「もちろんです。助かりますな。姫様も小さい頃はよく手伝って下さったものです。」

「アクリアが?」

「お恥ずかしいですわ。わたくしお花の世話が好きで、よく抜け出してここへ来ておりましたの。手伝っているのか邪魔をしているのかわからないくらいでしたけれど。置く教育係からお小言をいただいたものです。今では部屋で鉢植えの世話くらいしかしておりませんけれど。」

「そうですか。お姫様がそんなことを。」


 少し顔を赤らめたアクリア姫に裕貴は驚く。


「この国は高貴な方々と平民の距離が近いですからなぁ。他の国から来た方は皆驚かれますよ。」

「それは素敵ですね。」


 この国の気質か、平和な証拠なのかは分からないが、裕貴には好ましく思えた。


「ええとそれじゃあ苗の植え替えと手伝っても?」

「もちろんです。こちらへどうぞ。」


 ガデナへ招かれ植え替え作業をしている所へ。作業中の庭師たちに挨拶をする。


「この苗を1本ずつ小さい鉢へ植えかえればいいんですね?」

「ええ。後で庭の各花壇へ運んで植え替えるので、一時窮屈ですが鉢へ入ってもらっておるのです。」

「わかりました。それじゃあすみません、少し離れてもらって良いですか?」

「それは構いませんが、どうかなさいましたか?」


 裕貴のお願いにガデナは不思議に思いつつも作業していた庭師たちに離れるように言う。


「それじゃあ失礼して。」


 裕貴はプランターに植わった苗たちにそっと手を触れ、「1本ずつ鉢に入ってね。」と言って回る。その光景はとても奇妙なものだったが、次の瞬間苗たちが1人でに土から根を引き抜いて、地面を歩いて鉢へ向かうと1本ずつ自分から鉢へ植わっていった。


「こりゃあすごい。」

「まぁ、すごいですわ裕貴様。これは一体?」

「えっと、精霊魔法です。魔女さんに教わったもので、苗に宿った精霊にお願いして移動してもらったんです。」


 庭師たちは驚愕したり感心したりしている。


「精霊たちは対価が無いと言うことを聞いてくれないんですけど、この苗の精霊たちは庭師の皆さんが大切にされてきたおかげで、すぐにお願いを聞いてくれました。」

「それはそれは。皆の気持ちはちゃんと伝わっておったということですな。」


 ガデナが頷くと他の庭師も皆嬉しそうにしていた。


§


 王宮を周った後、また侍女たちに風呂へ入れられ、その後夕食になる。

 裕貴は自分で入れると言ったのだがベテランの侍女たちは有無を言わさず身体や頭を洗い、ピカピカに身支度されてしまった。ミューも洗われていたが全く無抵抗に気持ちよさそうにしており、裕貴もその心持を見習えたらと少し思ってしまった。


 それから食堂へ案内されたのだが、大きなテーブルには椅子が5脚。

 裕貴とミュー、アクリア姫が座った後、なんと王様と王妃様もやってきて卓に着いた。


「いつもご家族で食事されているのですか?」


 恐縮しながらも聞いてみる。そもそも裕貴は自分が王族と食事をしていい物か疑問に思ったが、他ならぬ王様達が用意してくれたのに遠慮するのも失礼な気がした。


「うむ。王族であっても、いや王族であるからこそ家族の絆は大切にせねばならぬ。権力者が身内で争うなどよくある話であるからな。我が国では昔から『夕食はなるべく供にして礼儀や形式を抜きに話をせよ』との教えを守っておるのだ。それ故か歴史上王族間での争いが少ないのが誇りでもあるのだ。」

「それは、素晴らしいことですね。家族を大切にするのは本当に良いことだと思います。」


 王様の話に頷きつつ、裕貴の脳裏には父や母、そして姉の顔が浮かぶ。この世界にきてしまった朝も、当たり前のように一緒に食事をしていたのだ。


 それから順に運ばれてくる料理を味わいつつ、王様、王妃様とも話をする。

 裕貴が帰る手段を魔導研究所のセイジが可能と言ったことを2人も喜んでくれる。

 さらに、裕貴の世界の話には興味津々で、反応がアクリア姫に似ているのも親子らしくて微笑ましく思えた。


 食事を終えて席を立とうというところで、王様が裕貴を呼び止める。


「裕貴殿、1つ頼みがあるのだが、よいだろうか?」

「はい。僕に出来ることでしたら。」

「ありがたい。来週、我が国では祝祭があってな、そこで王族は王都内を周るパレードをするのだ。今年は王子達がおらぬ故、少し寂しいパレードになってしまうかと思っておったのだがな、思いがけず裕貴殿か来て下さった。余らとともにパレードに出ては下さらぬか?」


 王様の提案に裕貴は困惑する。


「ええと、異世界から来たとはいえ、僕が皆様とパレードに参加して良いのでしょうか?」

「パレードと言いましても、屋根の無い馬車に乗って街を周るだけですわ。笑って座っていて下さればいいだけですもの。疲れてはしまうかもしれませんが、特別なことはして下さらなくて大丈夫ですわ。」


 王妃様が優しく言う。しかし裕貴が心配しているのはそういう事では無かった。


「この国の者は皆、幼いころより異世界の勇者様のお話を聞いて育っておりますので、異世界から来られた方は憧れの存在なのです。裕貴様がパレードに参加してくだされば皆喜びますわ。ぜひ、お願いします。」


 目をキラキラさせて言うアクリア姫。もう断るという選択肢は無くなっていた。


「は、はい。僕で良ければ参加させていただきます。」


 喜ぶ王様たちご一家に、裕貴だけはぎこちない笑顔をしていたのだった。

 

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