その2 気づいたら森の中
頬を優しい風が撫でる。
草の香りと何か甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
裕貴のぼんやりとした頭がだんだんはっきりしてきて、目をゆっくりと開くと視界は未だ真っ白であった。
「う……。」
うめき声が漏れる。身体に痛い所はない。ただ妙に暖かい。
「ミュ?」
「みゅ?……え?……何?」
可愛らしい鳴き声と供に真っ白な視界がうごめく。顔を上げると白いのは毛皮であった。
何か動物に顔をうずめていたらしい。
「君が温めてくれてたの?」
「ミュー。」
ペロリと頬を舐められる。
鼻面は犬のように長いが鼻は兎に近い気がする。もふもふとした白い毛に覆われているが、頭の左右に、上からオレンジ、緑、紫の毛の房が1対ずつ少しずつ小さくなってならんでいる。目は大きくまつ毛も長い。瞳の色は済んだ緑。頭には後ろへ向かって白い角が生えている。角の脇には兎と狐の中間みたいな形の耳がある。
毛は首から胸元が特に長い。どうも横たわっていた裕貴を横から抱き抱えていたようで、先ほどは顔がこの胸毛に埋もれていたようだ。
「ええと、ありがとう。」
「ミュー。」
言葉は通じないと思うが、一応お礼を言って頭を撫でる。理由は分からないが友好的ではあるようだ。
「ここは、どこなんだろう。」
とにかく辺りを確認しようと立ち上がる。
謎の生物も一緒に立ち上がる。大きさは裕貴より少し背が高いくらいだ。胴は長めで後ろ足は犬や猫に近い形状ながら、足先は大きく2本足で立てるようだ。お尻からは長いフワフワの尻尾が生えており、背中には小さいながら鳥のような翼もある。前足は長く、手は指が人より太めで器用には見えない。親指があるので物は掴めそうだが、爪は犬などに近いようで、肉球もある。
見れば見るほど不思議な生物だった。
「この子はいいとして。いや、良くないけどとりあえず置いておいて、どこかの森だよね?」
周囲を見渡す。周囲は大きな樹木に囲まれている。足下は短い草と木の根、岩が苔むしており、ところどころキノコが生えている。
遠くから時折、鳥か獣か、聞いたことのない鳴き声がする。周囲では虫が飛んで行くのが見えるが全く見覚えがない。少なくとも日本ではなさそうだった。
「僕は確か家に帰る途中で、公園を過ぎた辺りで暗くなってきてて……。流れ星?が空から落ちてきて……。」
思い出すと怖くなってくる。
「僕って、死んじゃったのかな?」
「ミュミュウ。」
不安な気持ちを感じ取ったのか、謎の生物が前足で抱き寄せてくる。
フワフワの毛と、毛とは違う柔らかい感触。
「ありが……、えっ?おっぱ!?」
慌てて身体を離す。
「ミュ?」
不思議そうに裕貴を見る謎の生物。胸のフワフワの毛の下は柔らかな房が2つ並んでいるようだ。
「君って女の子?あ、いや。そもそも何の生き物かも分からないのに人の身体と同じわけないよね。」
乳房のようなだけで別な器官かもしれない。それこそ雌雄関係なくついていてもおかしくないのだ。つい人の女性を連想して離れてしまったが、何もかもが謎の生物を女の子扱いするのもおかしな話だ。
「ミミュウ。」
また優しく抱きしめてくる。まるで慰めてくれているようだ。
「ごめんね。君が何を言ってるのかわからないや。」
意思の疎通が出来ているかは分からないが、少なくとも危害を加えてくる様子はない。
たとえ謎の生物でも、友好的な知的と思われる生き物が居るだけで心持は違ってくる。
一人であったらどれほど心細かっただろうか。
「どうしよう。森から出るか、せめて人が居れば違うかもしれないんだけど。もしかして、君がこの辺りに住んでる人だったりする?」
「ミュ?」
話かけてみるものの首を傾げるばかり。理解出来ていないということだろうか。
ガサッ
「な、何!?」
周囲の茂みから聞こえた音にびくりと身体をこわばらせる。
辺りを見回すとガサガサと草をかき分けて、大型犬よりさらに一回りは大きい犬らしき生物が顔を出す。
「お、狼?」
グルルと低く唸りながら次々と顔出してくるそれはとても友好的には見えない。
「囲まれてる。ど、どうしよう。」
とにかく大きな声を出さないように気を付ける。これ以上刺激すればすぐにでも襲い掛かってきそうだ。
熊に遭遇した時は相手の方をみながら、大きな音を出さないようにゆっくり後ずさりしろと何かで読んだ覚えがあるが、狼に囲まれたときの対処は生憎記憶になかった。
「この子だけでも、助からないかな。」
そっと謎の生物を見る。怯えた様子も怒っている様子もなく、平然としているように見える。
もし周囲の狼らしき生き物が、裕貴の知る犬猫と似た性質なら、動く物を先に襲うはずだ。もし自分が駆けだして先に追いかけられればこの謎生物は助かるかもしれない。
裕貴は運動は得意でも苦手でもなかったが、少なくとも全力で走った犬からは逃げられない程度の足の速さだった。ましてこの狼たちならあっという間に追いつかれるだろうし口元から覗く牙は容易く裕貴の肉を引き裂くだろう。それでも迷っている時間は無かった。
「ごめんね。僕が囮になるから君だけでも逃げて。」
そっと謎生物の腕から身体を抜け出し裕貴は走りだそうとする。それと狼らしき生物がとびかかろうとするのはほとんど同時であった。
だが、どちらの動きもかなうことは無かった。
「ミュウウウウウウゥゥゥゥゥゥッ!」
「うわっ!?」
キャウン
謎の生物が甲高く叫ぶ。動き出そうとした裕貴と狼らしき生物たちは二の足を踏んで釘付けとなり、その視界に謎生物の角から発せられる暖かな光が溢れた。
光と声が収まる。
「い、今のは?」
「ミュー。」
聞いたのに答えるように鳴くが、生憎意味は分からない。
周囲を見ると狼らしき生物はすっかり唸り声を止め、耳と尻尾をだらりと垂らし、鼻を鳴らして背を向ける。そのままガサガサと叢を掻き分けてどこかへ消えていった。
「ありがとう。助かったよ。」
「ミュウ。」
お礼を言って頭を撫でると嬉しそうに頭を擦りつけてくる。
「ええっと、名前が無いと不便だよね。何も分からないし、とりあえずミューって呼んでいいかな?」
「ミュー。ミミュウ。」
「えへへ、いいみたいだね。ありがとうミュー。」
「ミュウ。」
嬉しそうに抱き付いてくる。やはり乳房らしき部分が気になるが、そこはぐっとこらえて頭を撫でてやる。
そうやって戯れていると、またガサガサと草を掻き分ける音がする。
「また戻って来た?」
驚いて音のする方を見ると、今度は人影が近づいてくるのが見える。
「驚いた。こんなところに人が居るなんて。」
その人は見えるところまで来るとそうつぶやいた。黒っぽいローブを着て、植物を編んで作ったらしきとんがり帽子に大きな背負い籠を負い、手に木製の杖を持った女性。ブラウンの髪に緑の瞳で色白の美人と見た目は若く見える。その姿はまさに魔女といった風体であった。
「こ、こんにちは。僕は裕貴、
何故言葉が通じるのかは置いておいて、少なくとも意思の疎通が可能なのはありがたい。とりあえず名乗る。
「私はアーシィ。このグラスプ大森林に住んでいる魔女よ。」
胡乱な目で裕貴を見るアーシィ。
裕貴はとりあえず両手を広げ何も持っていないことを示し危害を加える気がないことをアピールする。
「あの、僕気づいたらここに居て。ここがどこなのかも分からないんです。ご迷惑でなかったら教えていただけませんか?」
裕貴がそう言うとアーシィは手を口元に当てて思案顔。
「気づいたらここに?こんな人里離れた秘境に一人で?まさか異世界人?」
「えっ?異世界?」
思わず聞こえた単語を聞き返す。薄々自分の住んでいた世界とは別な世界ではないかと思いはしたものの、現実として受け入れたくは無かった。
「その生き物は?」
「ミュ?」
アーシィの視線はミューに注がれる。
「僕にもよくわかりません。ただ気づいたらこの子が一緒にいてくれて、僕を守ってくれているみたいで。とりあえずミューって呼んでます。」
「ミュウ。」
「そう。少なくともこの森にこんな生き物は居ないわ。そもそも何か強い魔力を感じるし、生き物じゃなくて上位精霊か何かかしら。」
「精霊ですか?」
森に長く住んでいるというアーシィが言うのだから森の生き物ではないのだろう。精霊というのは裕貴が読んだファンタジー系の漫画や物語に出て来たことがあるので、漠然と実体の無い自然の化身みたいなものを思い浮かべたが、ミューは触った感じは普通の動物のようで、裕貴の知識とは噛み合わない。あるいはこの世界の精霊は実体のある動物のようなものなのかもしれないが。
「とりあえず危険な感じはしないわね。このまま死なれるのも寝覚めが悪いわ。いいでしょう。付いて来なさい。」
「ありがとうございます!ミューはどうする?」
「ミュー。」
「付いて来るのかな?それじゃあ一緒に行こうか。」
「ミュウ。」
ミューが頷いているのを肯定と受け取って、アーシィについていく。裕貴の後に付いてミューも歩き出したので間違いでは無かったようだ。案外裕貴の言葉を理解しているのかもしれない。
(とりあえず死んじゃう心配は回避出来たみたいだし、なんとか帰る方法を探さなきゃ。)
裕貴は家族や幼馴染たちの顔を思い出し、一人頷いたのだった。
§
森の中をしばらく歩いて少し開けた場所に出る。
そこには古びた石造りの小屋が経っており、木の柵で囲まれた畑や井戸もある。
「素敵な雰囲気ですね。ここがアーシィさんのお住まいですか?」
「そうよ。ふふ、こんなボロ小屋が素敵なんて変わってるわね。」
嬉しそうに言う裕貴にアーシィは思わず笑ってしまう。その姿に裕貴は少し安堵した。
「アーシィさんはずっとここに一人で住んでらっしゃるんですか?」
「そうよ。ああ、楽に話していいわ。どうせ私たちしか居ないし、秘境暮らしの魔女は礼儀なんて気にしないもの。」
「わかった。そうさせてもらうね。」
裕貴はアーシィの提案に頷き敬語を止めることにする。
「さ、どうぞ。」
「お邪魔します。」
「ミュウ。」
アーシィに促され小屋に入る。
小屋の中は床も石造りで、窓際に竈と石の台があり水瓶も置いてある。反対側にはベッドが1つと、天井からいろいろな葉っぱや木の実、キノコらしきものが蔦に縛られてぶら下がっており、木製の作業台には石の薬研や木匙がいくつも入ったペン立てに石の皿や木のフタ付の入れ物がいくつも並んでいる。
部屋の中央にはテーブルと椅子が1脚だけ。テーブルには植物を編んだテーブルかけがかかっており、木の花瓶に花が挿して置いてあった。
「お客なんてこないから余分な椅子なんてないのよね。少し待ちなさい。」
アーシィは竈の横にある薪を杖でトントンと軽く叩いた。
すると薪がふわりと浮いて組み合わさり、あっという間に2脚のスツールが出来上がった。
アーシィは部屋の端から草を編んだ小さなラグを2つ取って手でほこりを払うと、スツールの上に乗せる。
「さ、どうぞ座って。」
「ありがとう。」
「ミュ。」
裕貴とミューは言われるまま椅子に座る。
「今お茶を淹れるわ。」
言うと今度は杖を軽く水瓶と竈に向かって振る。
窓際に吊るしてあった小さな鍋がふわりと浮き、水瓶から水が空中に浮かんで鍋の中へ。そのまま竈の上に乗ると勝手に竈に火が入り、ほどなくして湯が沸く。
アーシィはその間に作業机に行って、木の入れ物の一つから乾燥させて砕いた何かの葉っぱを木匙で掬い何杯か石の皿へ。
沸いたお湯とその石皿にある葉っぱは、今度は石台に置かれていたポットに入る。そしてポットはふわりとテーブルの上へ。さらに木製のカップが3つテーブルに飛んでくると並び、ポットから中身が注がれた。
「おあがりなさい。口に合うかは分からないけど。」
「ありがとう。すごいなぁ、魔法なんて初めて見たよ!」
「そう?まぁこういう魔法は魔女しか使わないでしょうね。」
少し微笑んで頷くアーシィ。
その様子に安心して、裕貴はお茶に口をつける。さわやかな香りがして苦味も少なく飲みやすい。レモンとミントを合わせて薄めたような不思議な味だ。
ミューも両手でカップを挟んでぺろぺろとカップの中身を舌で味わっている。熱くはないらしい。
「うん、おいしい。」
「そう、それは良かったわ。それで、どうしてあんなところに居たの?」
「ええと、信じてもらえないかもしれないんだけど……。」
裕貴は学校帰りに空から流れ星が落ちてきて、ぶつかったと思ったら、この森に気を失って倒れていたと言う。
「学校ってサマーリン王国の王都にある?」
「うーん、その国の名前は聞いたことがないや。あと、僕の居た街というか、世界で本物の魔女や魔法は見たことがなかったし、想像の産物扱いだったよ。」
「そう。あなたの住んでいた街についてもう少し詳しく教えてくれる?」
「あ、うん。分かることなら……。」
それから街が日本と言う国の何という場所にあるのか、普段の生活や身の回りにあった物、街の様子に家族や幼馴染のことも話した。
「それだけ話がすんなり出てくるなら、完全に想像や嘘とは思えないわね。乗り物や道具も聞いたことが無いしずいぶん発展しているみたいだわ。やっぱり異世界人のようね。」
手を口元に当て、何かを考えるように言うアーシィ。
「その、異世界人って、僕のようにこの世界に来た人が居るってこと?」
「ええ。といってもほとんど伝説のようなものね。遥か昔に世界に危機が訪れた時、神々によって別の世界の人間が招かれ、この世界を救ったという話。おとぎ話のように聞こえるけれど、この世界のほとんどの国では過去の歴史として語られているわ。」
「せ、世界の危機……。」
いきなりスケールの大きな話が出てきて眩暈がする。
「僕もその、何か特別な力とか授かっていたりするのかな?」
「さぁ?それは分からないけれど、少なくとも強い魔力なんかは感じないわね。」
「そっか。森を歩いてきた感じ、身体能力も前と変わらない感じだったし、頭に謎の声が聞こえたりもしないし……。なんにも出来ないのかな。」
「言葉が通じているのがその力の可能性もあるわね。あなたの故郷の言葉と私の話している言葉が偶然同じなわけが無いでしょうし。それにもしかしたら、あなたを守るためにその子が居るのかもしれないわね。」
「ミュ?」
アーシィに言われてミューを見る。2人に見られてミューは首を傾げるが、相変わらず謎の鳴き声しか発しないので何を言っているのかは分からない。
「その、もしかして今この世界は滅亡の危機とかそういうことは……。」
「ないわね。大きな戦争も私が知っている範囲では無かったと思うし、少なくともこの森は平和そのものだったわ。もっとも、こんなまず人も来ないような森の奥では分かることもたかが知れているけれど。」
「それなら安心……なのかな。」
とりあえず危機的状況は脱したと思ってよさそうだが、だからといって事態が良くなったかは微妙なところだ。
「あの、伝説の異世界人って元の世界に帰れたのかな?どうやって戻ればいいか分かる?」
「さぁ?世界を救ったまでしか聞いたことが無いわ。帰ったのか、この世界で暮らしたのか。」
「僕、なんとか帰りたいんだ。きっと家族も友達も心配してるだろうし。」
「そう。そうよね、当然だわ。残念だけど帰り方は私は知らない。古い伝承を調べればそ帰る方法が分かる可能性もあるでしょうけれど、ここから一番近い調べものが出来そうな所は、さっき行ったサマーリン王国の王都くらいでしょうね。」
「その、サマーリン王国の王都ってどのくらいかかるの?」
すぐに帰る方法は見つかりそうもないが、少しでも可能性があるのなら行動したかった。
「近いと言っても、徒歩ならこの森から出るだけでも1週間はかかるわ。私が道案内して休まずに進んだとしてもね。王国内の交通事情は分からないけれど、馬車にでも乗れれば3~4日もすれば王都に着けるんじゃないかしら?」
「少なくとも10日くらいか。歩いて半年とか1年じゃなくて良かったけど、たぶん僕の脚だともっとかかるよね。案外この森って小さいのかな?」
「どうかしら。私にとっては庭みたいなものだけれど、普通の人なら死ぬまで彷徨うんじゃない?1年でこの小屋にたどり着けたら奇跡だわ。」
そう言って笑うアーシィは少し怖くもある。
「あの、その王都まで行きたいんだけど、手伝って欲しいんだ。今の僕には何も対価になるものが無いけれど、出来る限りのことはするから。」
座ったまま頭を下げる裕貴。そんな彼の姿を見てアーシィは少し呆れたように笑った。
「ふふ。あんまりそういう事を言うものじゃないわよ。生きている人間ってあなたが思っているより価値があるんだから。特にあなたのような男の子なら尚更ね。私が善良で親切な魔女かなんて分かりはしないでしょ?」
すると裕貴は首を振る。
「ここまで連れてきてくれて話をしてくれただけでも十分親切だよ。それに見た目もだけど、お話しした感じとか住んでる所の雰囲気とか、すごく素敵な人だなって思ったもの。」
真っ直ぐに言う裕貴にアーシィは面白そうに笑う。
「あなたは真面目で人が良いのが全身から溢れてるわね。いいわ、王都へ案内してあげる。ただしすぐにとは行かないわ。森を何日も歩くなら準備が必要よ。しばらくはこの小屋に泊まって私の言う通り準備すること。いいわね?」
「はい!よろしくお願いします。」
嬉しそうに頭を下げた裕貴を見て、アーシィはまた楽し気に笑ったのだった。
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