1.2.4.2 八坂八重 → 虚山無音

 なんだ、こいつは。いや、このアセンブラは。

 八坂は、目の前の光景を信じられない思いで見つめていた。アセンブラの弱点を突き、物理的に無力化したはずだった。だがアセンブラ虚山は骨が皮膚を突き破る腕を、瞬く間に再生させてしまった。「優秀ではない」アセンブラという事前情報は何だったのか。これが太陽の所有者の推薦の理由なのか? 痛みを取り除き、腕を吊り下げるくらいのことならば、どんなアセンブラも一瞬でやってみせるはずだ。しかし、あれほどの規模の肉体の再生は……。体細胞にまで侵襲したソレイナの細やかな認識と解剖生理学的知識の総合芸術だ。

 仕方なく切り札として見せた遠山透子の映像は、彼女を屈服させるためのお守りは、最悪の形で裏目に出ていた。

 少女の怒りが嵐となって具象化し、周囲を破壊していく。この区画一帯が更地になりかねない。まずい。まず過ぎる。自分の経験と計算が、この少女の愛情という非論理的な変数の前で、まったく役に立たない。

 必要なら、この少女は太陽の所有者のいる宇宙ステーションへの攻撃だって試みるだろう。

「遠山透子は完全に無事よ! これは初めてプロのカメラマンに会ったから緊張したんだって!」

 八坂の必死の言葉が、嵐の中心にいる少女に届いたのか、あるいは、彼女の怒りのエネルギーが限界に達したのか。凄まじい勢いで回転していた瓦礫が、ピタリ、と空中で静止し、無垢な自然のままの重力に従って次々と地面に落ちていく。

 その異様な静寂の中、少女は肩で息をしながら、憎しみのこもった目で、ただ真っ直ぐに八坂を睨みつけている。その瞳は、もはや子供のものではなかった。

「……受けるわね? このオファー」

 八坂は、声を絞り出すように言った。それはスカウトではなく、祈りに似ていた。どうかこの言葉がこの制御不能な爆弾の、起爆スイッチを押さないでくれという。

「受けない。帰る」

 少女――無音の返答は、冷たく、短かった。とはいえ、明らかに落ち着きを取り戻していた。

「太陽の所有者の恐ろしさ、ちゃんとわかってるんでしょうね?」

 八坂は、今度は脅しではなく、自分が知る限りの事実を、必死に言葉にした。

「貴女は私の“首”じゃなくて“腕”を折った。それは貴女にも首があって、腕があるから。私の痛みを想像したからよ。でも、あの連中は違うわ。宇宙ステーションでの暮らしに最適化して、もう人の形すら捨てたあの連中は、地球の表面にいる猿のことなんかなんとも思わない。必要なら、躊躇なく、何だってする」

 八坂の言葉に、無音はしばらく沈黙していた。自然ではなく彼女の命令に従って嵐を構成していた瓦礫が、ピシリ、と微かな音を立てた。それがこの爆弾の、停止スイッチを押す音だった。やがて、無音の顔は老人のような深い疲労感と泣き出しそうな幼い子供の顔を合成したような、途方に暮れた顔になった。

「透子と電話したい」

 そのあまりにも人間的な要求に、八坂は再び言葉を失った。化け物かと思えば、ただのガキじゃないか。

「し、したらいいじゃない」

「福祉局の許可がないと通話できない。でも貴女なら飛び越えられる。違う?」

 いや、だからこそ、これほどまでに厄介なのかもしれない。 八坂は内心で舌打ちし、黙って自身の情報端末を差し出した。これで和解不可能な敵ではないと示すことができるはずだ。

 無音はそれを受け取ると、近くの瓦礫にふわりと腰を下ろした。周囲には破壊の嵐の残骸が静止したまま。その異様な光景の中で、彼女は、ただの少女の顔になった。

 コール音が数回鳴り、やがて繋がる。その瞬間、周囲の殺伐とした雰囲気から、彼女だけが切り離されたように見えた。

『八坂さん?』

「わたし」

『無音? なんで八坂さんの電話使ってるの? どうしたの? 八坂さんを重力でぺちゃんこにして奪い取った?』

  受話器の向こうから、明るく、心配そうな声が響く。

「そんなことしない。腕を折っただけ」

『ええ!』

「そんなことより、最近、写真撮った?」

『撮った撮った! 何で知ってるの?』

「……何かされた?」

 その問いに、八坂は自分たちのやり方の非情さを改めて自覚させられた。

『何かって何? プロのカメラマンさんと少し話して、写真撮られただけ。何枚か貰ったよ! 緊張ほぐすの上手いよね、さすがプロって感じ。写真、あとで送るね』

「プロのカメラマン」――太陽の所有者の下請けの下請けの下請けの連中が手配した男だろう。人質を牢獄に入れるのではない。日常の中に静かに侵入し、その喉元に気づかれぬようにナイフを突きつける。それが宇宙に住む奴らのやり方だ。

「うん」と、無音は短く応じた。

『仕事は順調?』

「……正社員になる」

『そうなんだ! さすが無音。私も早く働きたいな』

「……焦らなくていい」

『焦らないのは無理だよ。ずっとお庭見てるだけだし。私もアセンブラなのに。何の力もないから』

「わたしを元気にする力がある」

 八坂は、無音のその言葉に、思わず息を呑んだ。何の飾りもない、ただの事実。しかし、それ以上に強い肯定の言葉を、八坂は知らなかった。

『あはは、でもそれじゃ仕事は見つからないよ』 透子が、照れたように笑う。

「古来、高貴な人間は労働を免除されてた」

 無音は、どこで覚えたのか分からない知識を、不器用な慰めとして口にした。

 八坂は、二人の会話を聞きながら、虚山無音という存在の核心に触れたような気がした。圧倒的な破壊の力。その源は、この「透子」という少女に向けられた、あまりにも純粋で、そして脆い愛情。だからこそ、彼女は制御不能なほどに強く、そして、致命的なまでに弱い。

 やがて、短い会話が終わり、無音は静かに通話を切った。それから、まるで充電が完了した機械のように、ゆっくりと立ち上がる。その瞳には、もう先ほどの憎悪も、子供のような途方くれた表情もない。ただ、全てを受け入れた者の、静かで冷たい光が宿っていた。

 無音は、八坂に端末を返した。その無言の行動が、何より雄弁な答えだった。八坂は、目の前の少女の扱い方を、ようやく、そして痛いほどに理解した。それから、蘇枋ふざけんなと思った。

 煙草を取り出して火を点ける。路上喫煙は懲役もありえる重罪だが、今やどうでも良かった。半壊したビルの偽情報を創作しないといけない。それにはあまりにも口が寂しかった。

「意味あるの、サイボーグのくせに」

「ミュータントにこの意味はわからないわよ」

 別にわかりたくもないらしく、無音は何も言わずその場でふわふわと浮かび、目だけで煙草の煙の行方を追っていた。八坂はクソでかい溜め息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る