1.2.3 診察

 都市の一角に、内務市民委員部が指定した医療機関はひっそりと存在していた。虚山無音は2週間に1回以上かつ月に2回以上の受診を命じられていた。案内表示も控えめなその建物の一室は、壁も床も、そしておそらくは空気までもが漂白されたかのような、機械的な白い空間だった。窓は大きく取られているが、磨りガラスのように霞んでおり、外の景色はぼんやりとした光の滲みにしか見えない。ソレイナのアクセス権購入費を節約するためだろう。

 部屋の中央、床から数センチ浮いたところに、無音は静止していた。虚空の一点を見つめている。帰りたい。

 白衣を纏った中年女性の精神科医は、デスクに向かい、手元の光る端末を操作していた。部屋には端末のかすかな駆動音と、空調の低い唸りだけが響いている。やがて、彼女は無音に視線を移さぬまま、独り言のようにつぶやいた。

「最近、優秀なアセンブラが次々と“死んで”るの。まるで狩りみたいに。あなたも気をつけて」

 無音は微動だにしない。その声は、まるで水面に落ちた小石のように、無音の意識の表面を滑っていく。彼女は精神科医より催眠術師になるべき人材だった。

「優秀じゃないから平気」

 女医は、くすり、と喉の奥で笑った。その指先は滑らかに動かし、端末に何かを打ち込み続けている。

「あなたは重力に縛られないから、死にも縛られないかしらね」

「それに金食い虫が死んでみんな喜んでる」

 アセンブラ制度は、その維持に福祉予算としては法外なコストを要した。個々のアセンブラの能力開発、特殊な生活環境の提供、そして何よりも彼らが引き起こす可能性のある空間的・時間的「歪み」を修正するためのリソース。そのため、アセンブラの死は、ネット上の一部ではコスト削減として歓迎されていた。ちょうど日本国政府が消滅するに伴い生活保護制度が消滅したことを喜ぶ人々の層と、それは一致していた。無音の言葉は、その事実をただ事実として述べているに過ぎない。

「でも、大量の日本人戦争帰還兵が暴れて法執行機関の人間が死ぬよりは、アセンブラに働いてもらったほうがトータルで全然安いのよ。それに、このアセンブラ制度は太陽の所有者の肝いりだからね。そう簡単にはなくならないわ」

 その言葉に、無音の視線がほんのわずかに女医の方へ動いた。感情のない瞳が、初めて何かを捉えようとしたかのように。

「太陽の所有者の? 総裁政府じゃなくて?」

 女医は、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべ、人差し指を唇に当てた。

「あら、知らなかった? ……まあ、これ以上言ったら私、帰り道で不慮の交通事故にでも巻き込まれて、あっけなくお陀仏よ。だから内緒」

 数秒の沈黙が、白い部屋を満たした。彼女は端末から顔を上げ、窓の外の霞んだ空に目をやる。その表情からは先ほどの戯けた様子は消え、どこか遠くを見るような、あるいは何かを警戒するような色が浮かんでいた。

「ねえ」と、彼女は独り言のように、しかし無音に聞かせるように言った。

「アセンブラって、見た目は普通の人と変わらないのに、どうやって狩るのかしら。名簿でもないと無理よね」

 無音は壁にかかったシンプルなアナログ時計に視線を移す。秒針が刻むコチ、コチ、という音が、やけに大きく部屋に響いた。 「先生が流したんじゃないの」

  淡々と、事実を告げるような口調だった。

 女医の肩が一瞬、硬直した。しかし次の瞬間、彼女は堰を切ったように笑い出した。最初はくぐもった笑いだったが、やがてそれは「けらけら」という乾いた音に変わり、白い部屋に反響する。

「真顔で面白いこと言うわね。それをやったら、私もう太陽の所有者に処理されてるわよ。跡形もなくね」

 ひとしきり笑うと、女医はふっと息を吐き、真顔に戻った。その切り替えはあまりにも早く、彼女の感情の深層を窺い知ることは難しい。探るような、それでいて何かを試すような目で、浮かんでいる無音を見据えた。

「ところで無音ちゃん、最近は重力操作時にどんなビジョンを見た?」

 無音の表情は変わらない。視線も動かない。まるでその問いが自分に向けられたものではないかのように、彼はただそこに在る。 「世界の終わり、を。これ、重要?」

「さあね」

 女医は再び口元に皮肉な笑みを浮かべた。デスクの引き出しから小さな白いメモ用紙を取り出し、指先で器用に弾く。無音がソレイナを介して環境情報を書き換えると、メモ用紙は重力の影響を受けないかのように、ふわりと宙を舞い、無音の胸元あたりで静止した。

「でも、私って、これでも精神科医だから。クライアントの、あるいは、もっと大きな誰かの見たいものを提供するのが仕事なのよ。フロイト派の精神科医だからさ」

「絶滅危惧種」

「というよりは亡霊かしらね」

 メモ用紙には、震えるような、それでいて確信に満ちた筆跡で、こう書かれていた。

「重要。太陽の所有者が一番知りたいこと。制度維持の本当の理由」

 白い部屋の静寂が、二人を包み込んだ。無音は寒気を覚えた。

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