第2話 少年の眼に宿るもの

 手が震えていた。


「新しい力……これなら、いける__」


 ようやく進展が見えた。


 状況からかんがみて、あのとき発生した現象は『時の鈍化』。周りの時間がスロウになって、俺と接している人物は対象外。


 この力があれば__母さんを助けられる。


 初めて、俺は勝機というものを得たような気がした。


 幾度となく絶望と共に見上げたスタート地点を、絶望を切り裂く一筋の希望と共に、見上げる。


 そして。


「は__?」


 世界に、白いひびが入っていた。


 窓ガラスを強く殴りつけたような、夜空に走る幾つかの線


 その罅は百七十九回のやり直しの中で、一度も見たことのない事象だった。


 時をやり直す力を今日突如手にしてから、今まで、俺が何かの行動を起こさない限り、世界の条件が変化することはなかった。


 何もしなければ母さんは時計台の広場で死ぬ。


 逃げたり、抵抗することで少しだけ変わる。


 それまでは何も変わらないはずなのだ。


 このスタート時点で、俺はなんの行動も起こしてない。


 なぜこのタイミングで__?


 少し考えてから、徐に足が罅の方向に動いた。


 そして、その感覚に焦燥を感じ始める。理解より先に、体が動く。


 幾度となく、全速力で向かったその場所に、体が無意識に動いているのだ。


「まさか」


 白い罅が浮いている場所は、時計台の真上に位置する場所だった。


 __かつてないほどの速さで、時計台の麓までたどり着いた。


 時計台の広場にいる市民たちは皆空を見上げながら騒然としていて、衛兵や記者なんかも集まっていた。


「こちらはオスリー時計台広場です!


 空に現れた謎のヒビ! これは世界でも稀に見る自然現象、『境界』発生の予兆だと専門家は__」


 


 時計台の直上に存在する罅は、さっきよりもやや伸びて広がっているような気がした。


 けれど、俺はこの現象を全く知らない。

 対処しようがない。


 ひとまず、集まる野次馬たちを掻い潜って、麓からその罅を見上げる母さんを見つけた。


 人混みに紛れて殺されていないことに安堵し、声をかけた、その瞬間だった。


「母さ__」


 ビキビキビキッ!という、殻を毟るような音とともに、罅が瞬間的に広がり。


「なッ」


 恐ろしいほどの速さで街全体を包むように走った無数の罅は、あっさりとその細い線を保てなくなり、崩壊。


 夜空が割れ始めた。


「なにが起きてるんだ?!」


「に、逃げたほうがいいの?!」


「どけ!止まってんじゃねぇよ!」


 面白半分で近寄ってきた人々が血相を変えて逃げ出し、陥落した夜空に背を向けて走り出した。


 人が人を押し除け、我先にと動き出す。


 騒然が、絶叫に一変した。


 俺はその空を眺めながら、頭がパンクしていた。


 ようやく見ず知らずの暗殺者を倒せると思いきや、次は夜空が壊れた。


 ここまでぶっ飛んでいると、もはや笑い話だ。


 もう、どうしろっていうんだ。


 まとまらない思考のまま、とりあえず母さんに避難を促そうと、顔を見た。


「__かあさ__ん?」


 返事がないとは、思っていた。


 そして、自分の声が自分に聞こえるくらいには静かになっていることにも、若干違和感を感じた。


 母さんは、時が止まったように空を見上げたまま静止していた。


 周囲もそうだ。誰も逃げない、叫ばない、動かない。


 何もかもが動きを止めていた。


 ついでに、色が失われていた。


 自由に動ける俺以外の全てが、モノクロになっている。


 ふと、俺がついさっき得た『鈍化』の力にどこか似ているなと、思った。


 時の力を得た俺以外の時間が、止まっている。


 このことから導き出せる推論は一つ。


「俺のせい__?」


 灰色の世界でそう呟くと、環境音が失われているため声はよく響き、些細な小言ですらどこまでも届くと気づいた。


 この世界では誰もが地獄耳になりうるだろう。


「まぁ、概おおむね正解だよ。ノト・リンクス」


 どこからか、掠れた低い声がした。


「__?!」


 誰もいない部屋から声がしたように、俺は背筋に青白い恐怖を走らせて飛び上がっていた。


 探る、探る。どこからの声だ!? 


 と、首をブンブンと振っていると、肩に手が置かれた。


「やぁ」


「やああああああああああああああ?!」


 灰色の世界に、絶叫が果てしなく広がった。


 俺の背後には、黒髪に不揃いの髭を生やして、でかいクマを目元に抱えたおっさんが笑顔で立っていたのだから。


 驚くあまり咄嗟に逃げ出そうとしながらも足を絡ませて地面に転がった。


「驚かし甲斐のあるやつだね。上位者冥利に尽きるよ」


「んなッ、なんだアンタは! なんで動いてる!」


 男にも、色があった。


 紳士服に身を包んだ男は確かにモノクロではなく、肌の色も、服についたバッジの緑色も、活き活きとこの空間に存在していた。


「生き物が動いて何が悪い、僕らはこの『境界』に負けるほどヤワじゃないんだ」


「きょうかい__」


 聞き覚えがある。というか、学校で習ったことがある。

 まともに先生の話は聞いてなかったけど、教科書にある写真を見て、それがしばらく頭に残っていた。


「なんだい、『境界』を知らないのか? やはり君はあまり真面目なタイプではないようだね、ノト」


「ど、ど忘れだ__ってかなんで俺の名前を?」


「境界とは」


「聞いてねぇ……」


 俺の言葉がまるで届いていない男は、人差し指を立てながら聡明な教授ぶってうろうろと歩き始めた。


「原因不明の自然現象。

 空に浮かぶ罅が何かを境に突然発生し、そしてまた突然、決壊する。


 その結果ドーム上の白と黒の結界を発生させ、範囲内にいた人は出られず、外からも限られた人間しか入ることはできない。


 あくまで突発的な空間異常で発生する自然災害であり、対処はできない。


 それが、現代の教義だったかな?」




 どこかで聞いたことのあるような解説が並べ立てられて、俺は朧げな授業の記憶を拾いながらなんとか追いつく。


 自然現象。対処のしようがない。それくらいはなんとなく知っていた。


「そ、そうそう。そんな感じ」


「違う」


「は? そっちが言ったんだろ?!」


「今述べたのは学校で教わる『境界』の話。

 実際の境界の原理は、全くもって違う。

 原因不明でもなければ自然現象でもなく、ましてや、対処不能などでは全くないんだなこれが」


 少々鼻につく調子で語る見ず知らずの男は、俺が考え初めて少し黙りこくると、「じゃあ原因はなんだ?」と聞いて欲しそうに腑抜けた手招きを始めた。「聞いて、聞いてきてよ」と、うざい囁きが聞こえる。


「じゃあ、原因はなんなんでしょうか」


 そう聞くと、男はずっと立て続けていた片手の人差し指を、横に倒した。

 そこには、時の止まった母さんがいた。


 俺は尻尾を踏まれた猫のように声を上げる。


「母さん?! ありえないだろ!」


 俺の声に反応はしないまま、男の指は母さんから俺に向けられた。


 理解が、捻じ曲がった。


「ど、どういうこと?」


「君の母親と、君の行動のせいで、この『境界』は生まれた」


「__だ、だから、どういう」


 男の言葉に嫌な予感がして、もう少し深掘ろうと聞くと、男の目が、ギロりと俺を刺すような視線に変わった。


 さっきまでの抜けた調子からは考えられない目に、思わず口をつぐむ。


「君、何度もやり直してるだろ」


「……?!」


 知られている。なぜか、俺以外の記憶が引き継がれないはずのタイムループを、知っている。


「母親の死を回避しようと、何度も何度も何度も何度も。

 時空を弄んで、運命に刃向かっている。

 幾度となく死に、目の前で母親を失いながら、ざっと百八十回ってところか?

 その精神力には感嘆するよ。

 普通であれば諦めてるころだ、いや、普通であれば、やり直すチャンスすらないんだがね」


 まるで全てを見てきたように、男は語り切った。


 皮肉混じりに俺のここまでの苦労を一息で。


 彼の顔がもともと朗らかな整い方のおかげか、口調が変わっても恐怖より、なぜ?という疑問が勝つ。


 ひと呼吸だ。冷静になれ。


「俺がやり直してるからって、境界ができる理由にはならないだろ__」


「境界は、世界が誤った進み方をする時。

 すなわち『運命』の壁が突破されてしまう時のための防衛システムのようなものだ。一定範囲の時間を止めて、原因が死滅するまで運命外の干渉を受けないよう保存する」


「んなこと__っ」


 できるわけない、なんて、幾度となく時を巻き戻した俺が言えるわけもなく、口を閉じる。


「君も薄々気づいてるだろ?

 君の母親、エマ・リンクスは今日この夜、殺される『運命』だ。

 君には酷だろうが、これは変えてはならない一つの『歴史』なんだ」


「……」


 頭に血が昇る。


 地面についた手に力が入る。


 何が運命だ。


 何が歴史だ。


 どうしてそう淡々と、他人の親の死を語れるんだ。


 わかった気で、世界を俯瞰したような物言いで。


 やり直せるものなら。


 救えるものなら。


 時間を巻き戻して変えられるものなら変えようって、誰もが思うはずだろうが!!


「……運命だのボーエイシステムだの、それがどーしたってんだよ」


「__やめとけ、少年」


 立ち上がって、男を睨みつける。


 眼に熱を溜める。


 不思議と__いいや、数を重ねたから当然かもしれないが、この眼の力に順応してきたように感じる。


 明暗順応ならぬ、時間順応。


 自分の視界に映るものが青い輪郭を帯びる。


 これがおそらく、『鈍化』の力を使える対象__


「今回はアイツを倒せるはずだったんだ!」


「あぁ、力が進化してきてるんだろう、だから世界が君をし、境界が発生した」


「母さんを助けられるはずなんだ!」


「もう諦めろ、このまま続けても意味はない」


「俺は続ける、何百回でも、何千回でも__邪魔するなら、アンタをぶん殴ってでも!」


「あぁもう、若さってやつはどうしてこう……一昔前の不良か?」


 拳を固めて、走り出す。


 計算はこうだ。

 男の時間をして、その間に殴りまくる。そのあとは、母さんを連れてどこかに逃げ出す。


 カンペキな計算だ__ケツの穴引き締めろ!


「うおおおおおおおおおっ!」


「はぁ……リゼル、あとはよろしく……」


 __男に向かって殴りかかる俺の上から、影がかかった。


「え__」


 咄嗟に見上げて一番に目にしたものは、綺麗な靴裏。

 それが、俺の顔面を踏んだ__その上で、ターンしてゴリゴリと捻られた。


「があああああああっ?!」


 鼻が捻じ曲がり、血が噴き出た。


 そのまま俺は地面まで押し潰され、なんとか首の骨折は免れたが、視界が歪むほどの激痛にしばらく悶え続けた。


「これが今回の『逸脱者』ですか?」


「そうだ」


「特別危険指令が出された割に、ひ弱ですね」


「危険なのは彼ではなく、彼のに宿った力だからね」


 俺が地面で苦しんでいる間に背後でとてつもなく失礼な話をされている。


 でも、実際そうだ。俺は別に百七十九回戦ったわけじゃ無いし、勝っていない。

 別に強くない!


「っ……なんなんだよお前ら__俺をどうしたいんだよ。

 俺の何が、そんなに気に食わないんだよ!」


 負け犬の遠吠え。


 何も考えたくなくなってしまった俺は、叫びながら起き上がると、目の前に、鋼の刃を持った金髪の女性がいた。


 少し俺の鼻血が付着した黒いブーツ、それと相対した、真っ白い騎士制服のような、手袋を含め肌の露出がまるで無い服装。


 腰まで垂れた、長いブロンドの髪。


 まさに女性騎士、そんな風貌。


 女性の姿を確認し終えた時、刃の先端が、俺の顎下にあることにようやく気づいた。


「貴様は自分が何をしたのか、まだわかっていないのか」


「お、俺は……誰も、傷つけてない。


 守ろうとしたんだ、理不尽に殺される母さんを、救おうって__」


「その結果、境界を生み、このオスリー街に住む人々の時を止めた。


 何十万人という人々を、たった一人のためにをこのまま石のようにして、放っておくつもりか?」


 ……。


 俺が、おかしいんだろうか。


 母さんを助けたい。それは、間違ってない、はずだ。


 でも、街のみんなは境界に閉じ込められる。


 俺のせいで。


 仮に母さんを助けられても、他のみんなの未来は奪われる__


 そんな天秤は____俺が決めるには、重すぎる。


 母さんならきっと、私はいいからとか、他の人を思いやれとか。

 そういうことを言うんだろうけれど。


 俺は、母さんを救いたい。


 救いたいのに。どうしてこの世界は__


「__」


 涙は、枯れない。でも熱い雫は、目元からこぼさないように必死に抑え込む。


 男がいつの間にか隣にきて、俺の肩を叩いた。


「ノト・リンクス。おとなしく投降して、我々についてきてくれ」


「我々って__アンタらは誰なんだ……」


「僕はレックス。そして彼女はリゼル。


 運命の逸脱を防ぐための境界衛護きょうかいえいご組織__『ネクサリウム』という組織に属している」


 ネクサリウム。聞いたことのない言葉だ。


 本当に実在するのか聞こうとした直前に、


 男__レックスが、細い短剣を紳士服の内ポケットから抜き出して、鉛筆を使うようなスタイリッシュさのない動きで空を切った。空中を、まるで紙でも裂くかのように切り込んだ。


 空間は細い白の歪みをそしてその亀裂から、紫色の光が漏れ出した。


 俺は唖然としたまま、話そうとしていた言葉は頭の中から吹き飛んでしまう。


「我々の本部に来てくれ、君にとって美味しい話がある」


 美味しい話がある。なんて言われてノコノコとついていく奴がいるのかという疑問は置いておいて。


 気になることがあった。


「__俺がそっちに行ったら、境界は消えるのか?」


「あぁ。綺麗さっぱり……」


 そうか、だとすれば必然的に。


「母さんは、死ぬんだな」


「あぁ。運命通り、ね……」


 レックスの気まずそうに目をそらす回答を聞いて、俺は一度だけ、紫色の光から目を背け、後ろを振り向く。


 母さんが、夜空を見上げて立っている。動かずに、立っている。


 母さんなら、夜空に入った白い罅でさえ、きれいね〜なんて言うんだろうな。


 声を聞きたい。動いているところをみたい。もっと感謝を言っておけばよかった。もっとこの出来損ないを育ててくれてありがとうと言っておけばよかった。


 後悔ばかりがとめどなく溢れかえる。


 あれだけやり直すチャンスを与えられて。

 まだ後悔を浮かべる自分に、呆れかえる。


 __あぁくそぉ……。


 表情には出さない。


 別れ際に、悲しい顔なんてしない。


 ただ、あり得ないほどの涙を、時の止まった世界に落として。


「守りたかったぁ……」


 そんな情けないことを口にしてから、涙を袖で拭いて、拭き切って。


 それでも溢れる涙を見られないように、目は逸らしながらレックスに向き直る。




「もう、いいのか……まだ時間はあるが」


「いい……早く連れてけよ、どこにだって行ってやる」


「__そうか、じゃあここをくぐってくれ。話はそれからだ」




 レックスに案内された紫の光の前に、足を運ぶ。


 入る前に、もう一度母の顔を、と思ったけれど。


 もし、もう一度見てしまえば、離れたくなくなってしまいそうで。


 十五歳にもなって親から離れるのが嫌だと言うのは、さすがに自分でも考えモノである。




 だから見ずに、別れる。




「またね、母さん」




 俺は、この日初めて親離れをした。


 そして同時に。


 『運命』というものに対するどす黒い復讐の覚悟。


 それを密かに胸中で固め、光の中に飛び込んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る