第3話 刺客

「うーん」


 研究部屋で一人、腕を組む。

 頭を悩ませているのは、主に二つの疑問だ。


 一つ。ティナは何者なのか。

 もう一つ。魔術書に記された魔法陣の役割とは。


「面白くなってきた」


 前者は、本人の記憶が曖昧な以上、今はどうにもならない。

 ならば、後者。魔法陣のほうがまだ手がかりはある。

 転移、あるいは召喚。予想どおりではあったが、喚び出した理由や意味となると話が違ってくる。

 そもそも、ティナに記憶がない時点で、こちらの前提が間違っている可能性すらある。


 復元時に得た魔法陣の原理を手がかりに、思考の海へと身を投じようとした、そのとき。


「ごしゅじん!!」


 勢いよく扉が開いたかと思うと、金髪の少女が飛び込んできた。


「うわぁっ!」


 そのまま跳びつかれ、椅子ごと後ろに倒れ込む。

 背中を床にぶつけて息が詰まる。


「あははは! おもしろーい!」


 こちらの状況など知らず、上からのしかかるティナは無邪気に笑っていた。


「ごしゅじん! ごしゅじん!! もう一回!!」

「もう一回は難しいかな。危ないしね」

「えー」


 唇をとがらせるティナの背後から、遅れてメリアが現れた。


「ダメですよ、ティナちゃん。邪魔しちゃ」


 軽く息をつきながら室内に入り、倒れたウォルトに手を差し出す。


「ウォルトさん、大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫」


 問題ないと答えつつ、手を借りて立ち上がる。

 するとメリアが気を利かせるように口を開いた。


「そうだ。ウォルトさん、これからティナちゃんを連れて街まで買い物に行ってきます。お留守番、お願いしますね」

「急だな。何か足りないものでも?」

「ええ。ティナちゃんのお洋服、私のお下がりしかなくて。サイズも全然合わないですし、このままじゃ転んで怪我しちゃいそうで……」


 ティナを見ると、案の定、袖が余りすぎて手は出ておらず、スカートも引きずっている。

 そんな姿でぴょんぴょん跳ねているのだから、心配にもなるだろう。


「お金は――」

「へそくりでなんとかなると思います」

「……それ、使っていいやつ? 俺も出すけど」


 基本的な金銭の管理は彼女がしているのだが、身銭を切らせてしまうような状況なのだろうか。そう思い、ここ一カ月の生活を振り返るが、まともに依頼をこなしていなかったことに気が付く。


「ウォルトさんは早く次の依頼を受けてきてください」

「あ、はい……すみません……」


 反論の余地などなく。

 メリアには頭が上がらない。


「それでは、行ってきますね」

「いってきます!!」


 ティナの元気な声が響く中、二人は連れ立って買い出しに。

 残された自分は、依頼者を待ちながら留守番ということになったのだった。


--- ---


 リビングのテーブルに魔術書を広げ、様々な考察をしながら留守番をしていると、珍しく玄関の扉が開き、呼び鈴が鋭く鳴り響いた。


「魔術を専門とする酔狂な店と聞いたが……ここで間違いないか?」


 低く、威圧感のある声だった。

 入ってきたのは短く刈られた金髪に三白眼、軍服に身を包んだ初老の男。


「酔狂かはともかく、魔術専門店であることは確かです。何かご依頼でしょうか?」

「いや、買い物に来たわけではない」


 冷やかしか――そう思いかけたが、言葉を飲み込み、周囲の置物などに目を走らせる男の様子を静かに見守る。


「探している者がいてね。黒い装束の男だ。

 目撃情報では、このあたりに来ていたらしい。見ていないか?」


 嫌な予感めいたものが、警鐘を鳴らす。

 まずい。関わるべきではなかったと直感が囁いている。


「見ましたが……すぐに帰っていかれましたよ」

「そうか。協力に感謝しよう」


 そう言って男は踵を返し、扉へと向かう。


 何事もなく終わった――そう安堵しかけたその瞬間、男が扉のノブに手をかけたまま、ふと振り返った。


「ああ、そうだ。これはただの興味なんだが……この店は普段から魔法陣を扱っているのか?」

「ええ。魔術専門ですので。魔術に関するものであれば」


 なんの変哲もない、ただの受け答え。

 何を言われても焦る必要などない。

 そう思っていたが、次の一言がすべてを変える。


「では、庭に描かれていた魔法陣も?」

「――ッ!?」


 男の指先にマナが収束していくのが見えた。

 直後、空気を裂くような衝撃音が響く。


「……危ないな。お客さん」


 展開した簡易魔法陣から出現した石盾に、深々と突き刺さった針を見ながらそう口にする。


「今の魔術は指先にマナを集中させて、極小の魔法陣を展開することでできた芸当か。面白いことを考える」

「なるほど。例の店主の噂は、嘘ではなかったようだ」


 噂という言葉に若干のひっかかりを覚えたが、今は気にしている場合ではない。興味はすでに、男の魔術の方へと移っていた。


「人体を貫くには十分な威力。だが極小な分、威力は物足りないと見えるな」


 暗殺の様な奇襲としては完璧な魔術だが、石盾で防ぎ切れていることから真正面から敵を殺せる訳ではない。


「では、これはどうだ?」


 男は魔法陣を指先から掌へと拡張し、鉄の棘を撃ち出してきた。

 即座に二枚の石盾を構築し、合わせ、できた角を使って鉄棘の軌道を逸らす。

 逸れた棘は背後の壁に激突し、勢いそのままに貫通していった。


「あー……」


 修繕費が頭をよぎる。メリアに怒られるのは確定だ。


「これすら防ぐか」


 男は感嘆の声を上げ、すぐさま次の魔法陣を展開する。


 今度の術式には移送魔術が混じっているのが視えた。

 軌道の単純だった棘が、空間を跳ねるように複雑に弾け、四方八方から襲いかかってくる。


 だが、すでに地面に仕込んでいた迎撃魔術が散らばった瓦礫を浮かせ、次々にそれを撃ち落としていく。


「……驚いたな。ここまでとは」

「もっと魔術を魅せて欲しいところだが、これ以上店を壊されるのは困るな……」

「まだ店を続けられると思っているのか?」

「魔術書の話も、まだ聞けてないんだ。続けるさ」


 ──ただ、報酬だけは、前払いにしておくべきだった。


 そんな後悔を余所に、男は再び魔法陣を展開する。今度は加速魔術。その動きに目を奪われそうになるが、違和感が走る。これはカモフラージュ――本命は、


「……投射魔術か。珍しいものを使う」


 魔法陣から何かが射出されるのを察知し、即座に正面と背後に石盾を展開。

 間一髪、飛び出した鉄棘を防ぎ切る。


「指先の魔法陣からもう一つを投射。背後の壁に刻印し、挟み撃ちで意識の外から奇襲を成立させる訳だな。よく考えられてる。実に器用なやり口だ」

「坊主、見抜きすぎだ」


 種を明かされた悔しさか、それとも通じなかった苛立ちか。男が声を荒げる。


「ったく……酔狂な魔術店の主の実力は本物ってことか。

 自慢の技が見切られ続けるなんて、嫌になる」

「そんなことはないだろう。展開の速さ、マナの通し方、意識の誘導に至るまで、すべてが洗練されている。寧ろ誇るべきだ。自信があったというのものも頷ける」


 多少の才能や努力で到達できる域ではない。途方もなく積み重ねた経験がなければ、ここまで無駄を削れない。


「……そうかい。そこまで賞賛してくれるなら、大人しく当たってくれると助かるんだがな?」

「無理な相談……と言いたいところだが、まだ奥の手を隠してるだろ?

 それ次第では、死んでもいい」


 おそらく軍属、それも魔術を主に扱う方の。

 そんな彼が持つ全力の魔術――魔術を扱う者として、見てみたいと思った。

 死にたくはない。だが、魔術師の生涯が詰まった奥の手に触れる機会はそう多くない。

 そして何より、魔術の深淵を覗けるかもしれない。

 そんな期待に胸を躍らせていると、男は深くため息を吐いた。


「はあ……死に急ぐ若者を見るのは、堪えるね。

 だが、お望みなら見せるとしよう。仕事なんでな。恨んでくれるなよ」


 そして、低く、重い声で詠唱が始まる。


「刻み貫きしは罪人の咎。顕現せよ。黒鉄フェルム・ニーグルム・墓標アクス


 詠唱の終わりと同時に、周囲の空気が変わった。マナが物質化する、異様な気配。


「……まずいッ!」


 即座に身を翻し、先ほど開いた壁の穴から外へと飛び出す。

 直後、家の中から轟音が響く。そして――

 幾本もの黒鉄の針が、壁を突き破ってきた。


「っ……! 俺の店が……!」


 飛来する針を迎撃魔術で撃ち落とすも、家は見る間に崩れていく。

 魅せてくれなんて、口にするんじゃなかった。


「これは、怒られるだけじゃ済まないかもな……」


 後でメリアに何を言われるか。想像するだけで背筋が冷える。


「脱出の判断も早い。追い打ちも当たらない。

 ……坊主、本当に何者だ?」


 崩れ落ち、砂埃の舞う我が家から、男が姿を現す。


「酔狂な魔術店を営む、ただの一般人だよ」

「――ただの一般人に見切られて堪るかってんだがな」


 男の目に、明確な敵意が宿る。

 先ほどまでの余裕は消え失せ、格下扱いしていた相手に対するものではない。

 全力で命を取りに来る覚悟――その意志がひしひしと伝わる。


「悪かったな、坊主。魔術を修める者だというのに、敬意が足りなかった。

 これよりは、我が全霊を以て臨むとしよう」


 言葉と同時に、男の周囲に黒鉄の針がいくつも浮かび上がる。

 そして、腰の剣を抜き、こちらへと構える。


「我が名はディエゴ。クラーレン王国六騎士の一人」


 突如、男はそう名乗りを上げた。


「六騎士……?」


 詳しくは知らないが、この国を守る六人の騎士がいる――そんな話をどこかで聞いたことがある。


「坊主。名を聞こう」


 律儀に名乗りを上げたディエゴに倣い、こちらも応じる。


「ウォルトだ」

「ウォルト……? どこかで聞いた名だな。まあいい、覚えておこう。

 ――では、征くぞ」


 宣言と同時に、浮かんでいた針が一斉に射出される。

 迎撃のため地面に手を突き、土の魔術を起動させる――が、


「っぶない!」


 突き出した針が地面から飛び出し、頬をかすめる。

 一か所にとどまる迎撃魔術は、早くも封じられた。

 地中からも空中からも、迫る針の雨。


「――面白い!!」


 迎撃を諦め、即座に駆け出す。

 すぐ背後で、針が地面を穿つ音が次々と響く。

 このままでは追いつかれる。地面を蹴る瞬間、魔術で土を爆発的に隆起させ、推進力を得て加速する。


「速度が上がった? ……成る程、そういうことか」


 感心したように呟き、ディエゴは針の射出速度をさらに引き上げる。

 一度でも被弾し、速度を落とせば即死は免れない。


「ッ―――!!」


 前方の地面から、虚を突くように針が飛び出す。

 微かなマナの違和感から、咄嗟に身をひねり、直撃を回避する。が、それで終わりではなかった。

 数歩ごとに、地面から新たな針が飛び出すようになり、もはや時間の問題だと悟る。


 刹那――


「―――ッ!?」

「―――取った」


 視線を逸らしたほんの一瞬で、ディエゴが距離を詰め、首を狙って剣を横薙ぎに振り払う。


「な――」


 だが、剣が斬ったのは、大きく隆起した土の塊だった。


「自棄にでもなったか!?」


 空へ跳んだ標的を見上げ、ディエゴが叫ぶ。


 緊急回避とはいえ、逃げ場のない宙へ飛ぶのは悪手。

 それは誰の目にも明らか。

 だが、それでも――敢えて跳ぶ。


「もっと魅せてくれ―――!!」


 ディエゴの魔術。その真髄を、その全てを。


「魔術狂いめ……」


 吐き捨てるように呟き、ディエゴは数百の針を出現させる。

 浮かぶ針のすべてが宙を舞う標的へと照準を合わせ――


 そして、完全に静止したその瞬間、全てが同時に射出された。


「ああ―――」


 なんと壮観な光景だろう。

 時間が止まったかのような世界の中で、ただ一人、そう思う。

 無数の黒鉄の針――その一本一本に魔術的な意味があり、ディエゴの意思が宿っている。

 魔術の構造自体は決して効率的とは言えない。だが、経験によって洗練された魔術は、別種の美しさを纏って輝く。


「――最高だ」


 思わず漏れたのは、賛辞とも陶酔ともつかぬ声。

 願わくばもっと見ていたい。その欲望を振り切るように、迫り来る針の大群に対処する。


 落下の最中、魔術を紡ぐ。


「風よ。我が力となりて彼の者を討ち払え。

 ――― テュエッラ・旋風インペトゥス!」


 大気が震え、風が咆哮を上げる。

 周囲の風を巻き込み、荒れ狂う旋風へと変えて、眼下の針の群れに叩きつける。


 旋風が針の列を切り裂き、空いた隙間を縫ってディエゴの懐へと飛び込んだ。


「坊主ッ!!」


 一瞬の出来事だった。

 ディエゴは油断していなかった。自身の魔術が破られる可能性も織り込み済みで、常に剣を構えていた。

 実際、着地の瞬間、迷いなく剣を振り下ろしている。

 だが、その瞬間。地面からせり出した石槍が剣の軌道をわずかに逸らした。


 刹那の隙が生まれる。


「俺の勝ち、だな」


 空中で掴んだ一本の針を、ディエゴの喉元へ突きつける。

 勝敗は、ここに決した。


「まさか、本当に俺が負けちまうとはな……。

 俺もそろそろ引退かね」

「そうか? 最後まで隠し通した魔術を使っていれば、勝敗は分からなかったと思うが?」


 彼には、まだ切り札がある。

 最後まで使われることのなかった奥の手。


「……そこまで見破られてるなら、上の言う通り、使わなくて正解だな。

 どうせ、使っても負けてただろうからな」


 ディエゴは淡々と敗北を受け入れる。

 本気で殺し合っていたら、どちらかは死んでいた。

 そんな命を賭けた戦いの中、彼が繰り出す魔術は、どれほどの輝きを見せたのか。


 考えるだけで、胸の奥から欲望が込み上げてくる。


「なぁ、もう一度。仕切り直して、本気の勝負ってのはどうだ?」

「はぁ? 冗談でも勘弁してくれ」

「そう言わずに。ちょっと、見せてくれるだけでもいいんだ」

「おい、針で首をつつきながら言うな。刺さってる」


 奥の手は奥の手。

 やはり最後まで見せるつもりはないようだ。


「はぁ……」

「露骨に溜め息を吐くんじゃない。命をもっと大事にしろ」


 そう言いつつ、ディエゴは地面に腰を下ろす。


「本当に何なんだ? 酔狂にも限度ってもんがあるだろ」

「そうか? 別に普通だろ」

「はぁ。今回ばかりは変な任務を引いちまったな………」


 ぼやきながら、いつの間にか赤く染まった空を、ディエゴは静かに見上げた。


「そういえば、襲ってきた目的は何だったんだ?」

「あぁ、まあ。言ってもいいか。関係者の抹殺と、厄介な品の回収だ」


 思ったよりもディエゴの口は軽く、面倒なものを引き取ってしまったという予感は、確信へと変わった。


「気をつけろよ。今回、下請けの俺が失敗したせいで、圧力をかけてきた隣国が本格的に動き出すぞ」

「……隣国って、まさか……」

「その通り、魔術王国だ。執行部隊の〈狩人〉がお前を地の果てまで追いかける」

「それは……困るな」


 魔術王国が誇る精鋭の魔術師で構成された執行部隊・狩人。

 大罪人の処理や、常人では対処不能な案件を請け負う魔術王国最強の部隊だ。

 本気で追われることになれば、逃げ切れる可能性は極めて低い。

 隠居生活に別れを告げなければならない寂しさと同時に、狩人が使う魔術はどれ程のものか、好奇心が湧いてくる。


「狩人か。面白くなってきたな」

「おいおい、正気か?」

「……いや、少し冷静さを欠いていた。狩人とやり合うのは、謎が解けてからだな」


 魔術書とティナにまつわる謎。それを解明するのが先だ。

 そう考えていると、遠くから戻ってくるメリアとティナの姿が見えた。


「あれは坊主の家族か?」

「まぁ、そんなところだ」


 徐々に姿が鮮明になっていくにつれ、ディエゴの表情が引きつっていく。


「なぁ……もし違ってたら悪いんだが、その坊主の家族はよく顔が怖いって言われないか?」

「失礼な話だ。普段は優しい顔をしてるよ。ただ、怒ったら怖いだけで」

「ってことは、今は怒っている訳だな?」

「ああ。かつてないほど、怒ってる」


 眼光だけで人を殺しかねないほどの形相。

 後ろに広がる崩壊した家の有様を見れば、怒るのも当然だ。

 問題はどうやって言い訳をするか――。


「ウォルトさん。何があったのか、説明してもらえますか?」


 考える暇もなく、到着したメリアの冷たい声が耳に届いた。


「私、留守番をお願いしますって言いましたよね?」

「……はい」

「それがどうして家が消し飛んでるんですか?」

「……」


 有無を言わせぬ圧。

 ディエゴとの戦いですら、ここまでの緊張感はなかった。


「もう一度言います。何があったのか、説明してもらえますか?」


 その声には、はっきりと怒気がこもっている。

 一歩でも対応を誤れば――死は確実。

 ここは冷静に、事実だけを述べよう。


「そこに座ってる人に襲われました!」

「――ッ!?」


 鋭い視線が、ディエゴを貫く。


「事実ですか?」

「……間違っちゃいない」

「そうですか」


 淡々と事実を確認したメリアは、崩れた家へと向かい、瓦礫の中から一振りの剣を拾い上げて戻ってきた。

 鞘を引き抜き、白亜の刀身が夕陽を反射する。

 一歩、また一歩と近づくたびに、あたりの空気が凍りついていく。


「不味い……」

「お、おいおい。嘘だろ……」


 むき出しの殺意が、ディエゴに向けられる。

 次の瞬間、メリアが一閃。ディエゴとの距離を瞬時に詰め、剣を振り下ろす。

 ディエゴはそれを受け止めず、体を横にずらして躱すが――


「魔剣!?」


 躱したディエゴの背後で、氷の斬撃が山肌を切り裂き、巨大な爪痕を刻む。

 受け止めていれば、今ごろ氷漬けになっていたのは想像に難くない。


「なんて一家だ……」

「存外、しぶといのですね」

「おい! 坊主!! 見てないでなんとかしろ!」


 悲鳴混じりの救援要請がディエゴから飛ぶ。

 だが、こうなってしまっては、もう手出しできることは限られていた。

 どうするべきか考える間もなく、メリアの攻勢が終幕を迎える。


「くッ……!」


 二度、三度と繰り出される剣筋を捌ききれず、右腕と右足を凍てつかされたディエゴは、膝を突き、無念の表情で左手を上げた。


「言い残したこともないでしょう。では、さようなら」


 降伏の意思など、意に介さない。

 冷酷に、機械のように。

 メリアは剣をその首へと振り下ろそうとする——


「そこまでだ」


 振り下ろす寸前、後ろからその手首を掴んで止める。


「……どうして止めるんですか?」

「もう十分だと判断した。命を奪う理由はあるが、必要性はもうない」


 怒る理由も分かる。命を取る正当性も理解できる。

 だが、それでも、ここまでだ。


「家のことは悪かった。俺の落ち度でもある」

「本当ですよ。死んでたらどうしようかと思いました。

 生きてるなら、家ぐらい守ってください。なんのための留守番ですか」

「この流れで俺が責められるのか……」


 なんという理不尽。

 しかし止める代償がこの程度の理不尽だけであれば、御の字というもの。

 束の間の沈黙のあと、メリアがディエゴを見据え、静かに問いかける。


「どうして襲ったのか、説明してもらえますか?」

「……黒装束の男が坊主の店に寄っていくのを見た、という報せがあった」

「それで?」

「庭に描かれていた魔法陣が、知らされた魔法陣の大枠と酷似していた。

 そのため抹殺対象と判断だと判断した」


 そこまで聞いたメリアが、すっとこちらに顔を向ける。

 その眼差しは鋭く、呆れと怒りが入り混じっていた。


「やっぱり厄介ごとに巻き込まれてるじゃないですか!

 私、言いましたよね。仕事は選ぶべきですって」

「はい……」


 結果として面倒ごとに巻き込まれた。それも、メリアを含めて。


「すみません」

「謝る前に、これからどうするか考えてください」

「……どうやら彼の話によると、狩人が本格的に動き出してるらしい」

「狩人ですか……厄介ですね」

「この場所ももう割れている。家も壊されたし、移住しようと思う」


 この地を捨てるのは惜しい。だが、留まる理由も、もうなくなった。


「分かりました。では、そうしましょう」


 異論はない。追っ手が来ると分かれば、すぐに動くしかない。


「荷物取ってくるから、少し待っててね

「わかった!」


 家の少し先で待機していたティナを呼び寄せ、メリアは崩れた家屋の中へと向かう。


「というわけだ。助かったな」

「あぁ……死を覚悟したがな。

 ……ここを発つ前に、氷をなんとかしてもらえないか?」


 ディエゴは氷漬けとなった右腕と右足を見せる。


「助けたいのは山々だが……後が怖い。直に溶けるから、しばらく耐えてくれ」

「勘弁してくれ……」


 嘆くディエゴの隣に、興味を惹かれたのか、ティナが小さく首をかしげながら氷の足元に立つ。


「カチカチだね」

「カチカチだな……」


 氷が溶ける様子はまだない。

 ディエゴは重いため息を吐いて呟いた。


「……間違いなく、俺の任務史上、最悪だ」


 別れ際、ディエゴのそんな言葉を聞きながら。

 メリアの荷支度が終わり次第、西へと旅立ったのだった。
















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