たべかす

押田桧凪

第1話

 歯を見たら生活が分かる。フロスの有無、プラーク歯垢カリエス虫歯。押せば音が鳴る楽器のように手に取るように営みが分かるから患者というよりは、軒先に干された洗濯物に近い。

 ひとの顔を覚えたり、正面から見つめたりするのが苦手な私にとって、歯を相手にするのは気楽だった。だから、忙殺されていたい。そうしたら色んなことを考えなくてよくて、良い意味で自分を救えるし、こころの隙間を埋めていくように誰かの健康を祝えるから。それが今の仕事だった。


 抜けた歯はどうしてる、とか、何を食べたら抜けたのとか。何気ない質問からも生活が分かる。タッパーに入れてるよとか、屋根の上に投げたとか。お姫様がぱっと開ける感じのケース(指輪入れ?)みたいなものに保管してるんだよ、と実物を見せてくれた子もいた。それって、確かにテンション上がりそう。プリンセスってみんななりたいもんでしょう、という子のまぶしさに当てられる。歯って見た目は気持ち悪いけれど、宝石のように飾れるなんて最高だね、ってほほえむ。


 オレオを食べてる時に抜けただとか。糸でぴーって引っ張って家で抜いたよ、みたいな聞くだけで痛そうな体験談まで、さまざまな思い出があって、泣いたけど、歯はいつも忘れてしまうものだった。どんなに記憶に歯型をつけても、いつかははんこ注射みたいに埋没するように薄まって消えて見えなくなって。いつ抜けたのー? と驚く親と、健気に歯を見せてくる子を想像する。休日のフードコートの混み方のようなそのまぶしさに、いつの間にか慣れる。

 

 今日の一人目。六歳、定期健診。

 レントゲン画像オルソパントモグラフィー等を映すモニターのトムとジェリーに夢中になっている間に、乳歯を磨いていく。床に届かなくて足をぶらぶらさせ、縁石の上を歩くぐらつき方で椅子にかけている。クリーニングはインターバルが肝心だ。バキュームで吸引する水抜き工程を挟みながら、口腔イリゲーターで水を吐出する。その間はミラーで舌で抑えて水たまりをつくってもらい、早急に洗浄を進める。


 足元のフットスイッチを操作する。おばあちゃんがミシンをふみふみしてパッチワークを作ってくれた光景に似ている。あるいは発表会の足ふみオルガン。ハンドピースのヘッド部を取り外して滅菌、すぐに検査器具キュレットに持ち替える。

 それから、ガブ飲みするかのような勢いで紙コップに注がれた水で、子が口をすすぐのを見守った。うるう年みたいに水滴がこぼれる。


「はーい、よくできました」と(ママもしくはパパの仕上げ磨きが上手でしたよー)という尊敬の意を込めて、うやうやしく礼をしながら見送る。やったー。受付前にあるガチャガチャ専用のメダルを渡して終了。これがいつもの流れ。


 少し年齢が上がれば、ピンクの歯垢染色液プラークチェッカーで磨き残しを見てみましょう、というお得意のあれや、最後は青りんご味のペーストを塗る。これは結構子どもに好評だ(受付でも販売している)。

「手鏡、大事なんですよ。それから歯ブラシはお箸を持つように、そうです」「オイル配合のデンタルフロスを使うといいかもですね。海外製になってくるかもですけど、歯の隙間の通り方が全然違うので」なんてのも教えたり、保護者の方には「フッ素1000ppmの歯磨き粉から選んでみると良いかもしれません」と補足しておく。


 おくちすこやか歯科。地元の歯科医院だ。私は歯科学校時代からの仲の小山内さんと歯科医をしている。あとは日替わりで四人の衛生士。それから、事務の水町さん。ひとが少ないのと、休憩の入れ替わりが早いため、業務時間以外は小山内さんとのピッチトークが主の一日を送っている。


 ちなみに、先の質問に対して、『食べたら歯が抜けやそうな物ランキング』を小山内さんと考えた結果、「とうもろこしが一番歯抜けそうじゃない?」「分かります、齧る系ですもんね」「ちょうど抜けた位置に刺さってそうな」「かわいい」と意見が一致した。

 よって、密かにとうもろこしが一位だと予想している。

「でも、まだとうもろこし、って言えなさそうな時期じゃない?」「とうもころし」「ねえ私、ラムネのことラネムって言ってた!」

 何の話ですか。


 二十八歳、クリーニング。

「フロスとかって、しましたか」「はい」と答える。しかし、私からは目を逸らす。「フロス、やってないですよね……?」「やったと思います」

 私はそうですかと神妙な面持ちで頷く。沈黙、見つめ合い、「あ、ごめんなさい。忘れてました」

 (ですよね……)と顔に出ないようにして、口角を上げながら(これはマスクで見えないが)、「そうですよね。じゃあ進めていきますね」と和解する。お口と、あなたと。後で糸ようじとフロスの違いについてもレクチャーTBIしようと決める。


 小休憩に入ると、小山内さんから「あの時の促し方が更生を願ってます、って感じの表情でしたよー」と言われる。「ごめんごめん、尋問しちゃってた?」「刑事ドラマかと思いました」「患者はフロスをしたと供述しており……」「やめてくださいよー。怖い」「だって、明らかに肉片が挟まってたもん。朝食べてきて、詰まったって感じだったから」「死角だったんじゃないですか、ほら左下四番第一小臼歯とか」「前歯」「あぁ気まずいやつだ」「いや気まずいのこっちよ。たぶん食後四、五時間は経過してるかな。乾き具合的に」「鑑識とかしてました?」「まぁそれなりに」と冗談を言ってみる。

 暴くことは暴かれることと折り重なるように仕舞われていて、ふとした隙に背中から刺される。割り箸の袋から飛び出たつまようじのように、鋭く。立場上、意図せず刺す側に回ってしまっていたのなら、ごめんなさいと心の中で謝る。


「先生、事件です」と内線で衛生士の松本さんから、深刻そうに告げられる。次は、小山内さんに引継ぐ予定のはずだ。

「どうしました?」「嫌だ、あの先生がいいって言って代われなくて」「あぁはいはい。じゃあタオルで目元を覆ってあげて、治療者を特定しないように。で、クリーニングに入れば、最初は小山内さんの姿が見えなくなるまで『したふり』をするといいよ、済んだら三号室のところに行ってください。後が押すので」と一息で伝え、指示を飛ばす。

 そうした院内での出来事を、私たちはトラブルと言わない。事件と呼ぶ。面白いから、そっちの方がワクワクするから。解決したいから。いや、特にそんな理由はない。


 それを傍らで聞いていた事務の水町さんが、「直前までママの携帯で動画を見てて、順番がきて、嫌だ! まだ見たい! って渋るてきなやつですね」と隣で呟く。「ですね」と私は同意する。いずれにせよ、よくある光景だ。


「ところであれって……」と松本さんから休憩時間に訊ねられる。先ほどの対応のことだろう。

「ああ、あれね。小さい子って目の神経と脳がまだ繋がってないらしくて」と補足しながら、知識を披露する。

「ぬいぐるみとか手に持ってるだけで、もう自分のものって意識だから。突然それを横取りすると泣くじゃない?」「誰でも泣きません?」「それが、いないいないばあの要領で、目元を覆ってしまえば、手から引き抜いても?みたいな感じで、何されたか分からないんだって。三歳くらいの子は。目に映らなければ奪われてないっていうか」「対処法がややホラーなんですけど……」と松本さんはそこまで聞いても、あまり納得していないようだった。


「これエモいな、って思うものありますか?」

 小山内さんとの会話は突然のパスから生まれる。瞬間的に被る休憩時間のさなかで。

「じゃあ、はんこBCG注射の日焼けとかって、エモくないですか?」

 自ら提案するスタイルか。日焼けと注射痕の不可逆性の掛け合わせ、ということだろうかと無理やり納得する。

「ま、まぁ。というか我々は人間の肌なんてものは扱わないわけで。歯科医ですし……」「村山先生、お願いします」「はーい今行きます」

 じゃ、続きは後で。と目で合図して私は離席する。

 そういえば、「抜けた歯をばあちゃんちの庭にある、木の下に埋めた!」と言っていた子もいた。あれもエモい、だろうか。タイムカプセルの一種だろうか。

 

 七歳、ぐらぐらしている最中の乳歯の抜歯。

 習い事の帰りなのか、青色のカバンを荷物置きに入れてちょこんと座った。昇降する背もたれにまだ慣れていないくらいの年齢だった。トムとジェリーじゃなくて、この天井に星空でも投影できたらよかったのだけれど、と不意に思った。


 付き添いで入室したお母さんが、ブルブルと抜歯の振動をこらえる膝元をこするように抑える。その手が視界のふちに映る。うっうっと足が空を蹴る。私にはもう届かない場所に、その手はある。治療を終える。帰る時にクローバーがたくさん生えてる場所を教えてくれた。ここから近くの公園だった。


「お母さんのトントンとか、どう?」

 前回までのあらすじをカットして、私たちの会話は始まる。エモいと思うものについて。

「あーエモいですね。あの眠りに落ちてしまうリズムが刻まれる感覚、分かります。あれの音源ってYoutubeにアップされてないですかね? ASMRとか」「さすがにないでしょ」「ですよね」「だって、みんなのお母さんってことになるじゃん。なんで寝かしつけ代表が誕生してんのって」「みんなのお父さんもいるんですかね?」

 何の話だ。

「先生、お願いします」「はーい」


 五歳、定期健診。

 コンポタージュ缶の持ち方だと思った。花束みたく、ぬいぐるみを両手で抱えたその子は、小さい時の私なのかもしれなかった。存在しない幼少期の記憶を刺激され、舌を噛む。それは授業中に眠くなって、でも先生に怒られないように睡魔を断ち切るために私が編み出した悪い癖だった。


「ちょっとチクっとして痛いかもだけど、大丈夫だからね」


 たんぽぽの綿毛と違って、いたいの、は飛んでいかない。だから痛い時に握りしめるための、ぬいぐるみだった。採血の時に親指を内側にして握りこぶしを作るみたいなコツがあればよかったんだけれど、と私は思った。


「ひとつ気になってて。なんで、名前を『おくちすこやか歯科』にしようと思ったんですか?」と小山内さんから訊かれる。

「リスペクトしてる名前の歯医者さんで、『おなかぽんぽん歯科』っていうのがあって」「かわいいですね」「あれぐらいじゃないとなぁって。歯医者って嫌いな人多いし」「でも、おなかではなくないですか? 歯科なら」「念願のって感じだよね、うちは」

「なんでみんな怖がってるんですかね、歯医者。飛行機とかの方が怖くないですか。バッドエンドの映像を最初に見せられて、離陸するとか恐怖しかないじゃないですか。私、心配性すぎて、緊急時のマニュアル熟読してますもん」と小山内さん。

ドリルエアタービンで削られる感じじゃない?」「あぁそれはわかります、響く感じですよね」


 四十四歳、銀歯金銀パラジウム合金の剥がれ。

「問診票に書いていただいたように、別の医院に診てもらったということですね」「はい。そうです」

 あそこはヤブだった、と不満そうな顔だ。そして、セカンドオピニオンとしてうちを選んだんだな、と察する。

「では治療を行っていきますね。まずは全体的な強度、ぐらつきがないかなどをチェックさせていただきます」

 品定めされる瞬間にあって、私は自然と背筋が伸びる。こういう方もたまにいらっしゃる。丁寧に歯肉の状態を見ていく。


 先ほど十三歳を担当した小山内さんと合流する。

「保湿しときますねー、でワセリンを塗ったら『俺、植物かよ』って思われてないか心配なんですけど」

「あー、気孔をふさぐ実験で理科に出ますよね」「むしろ心配されるくらい唇カサカサしてるんだ、ってなってはいるかもね」「一応なんで、一応」

「でも大丈夫ですよ。それで言ったら歯周病予防とかでマウスウォッシュ勧める時なんか『臭かった?』って不安がられるようなものだし。いやそうではなく、って心で思ってるし、態度で示してるし」「ですよね。お口拭いときますね、も、そもそも機械が飛ばした水だし」「そうそう、よだれ出てますよーってわけじゃないし」


 どの部分から聞いていたのか不明だが、「それ言い出したら、口に挿しこんでるときに、はい、って答える必要のある質問しちゃって、『ファイ』ってなっちゃうのとかって、申し訳なくないですか?」と松本さんが入り込んでくる。

「Wi-Fiの発音とかあの時言わせたら完璧なんじゃない?」と小山内さん。「え、なに言ってるの?」「村山先生呼ばれてます」「ふぁい」私の出番だ。


 十歳、矯正マウスピース中。夜寝る時だけ装着するタイプナイトガード

「矯正器具は入れ歯みたいなものです。なので、実際つかう洗浄剤もそれと同じ市販のものを使ってくださいね」「夜、痛い時が、あります」彼の言葉に頷く。

「寝てる時でも、歯は動いてるからそれを抑えるために今つけてもらってるんだよね。痛いのは先生もわかるんだけど、痛くて眠れない時もあるよね。本当に痛いときは、外してもいいからね」

 装着型の子には、そう言える。安心してもらう。頑張ろうねと声をかける。私の幼少期の実体験と重なるぶん、その気持ちが痛いほど分かる。


 私は外せないタイプのワイヤーも三年程したが、最初の一週間は辛かった。それでもワイヤーを希望する子は多い。痛いけど意味はある。集団行動の整列なんかより、意味はあるはず。そう勝手に信じている。


「お医者さんごっこはあるのに歯医者さんごっこってないですよね」「歯に興味ないでしょ、子どもって、まず」「確かに。幼稚園の時とか歯磨きの時間二秒の子とか、いましたもん」「それはひどいね」「あぁその子、しっかり虫歯になってました」「幼稚園で初、虫歯……」「二秒でやるっていうのがかっこいいと思ってたみたいで」「村山先生」「はい」


 八歳、歯の浮き上がり上顎前突の相談。先月は定期健診を受けている。

「うちの子、少し前歯が突き出てて……」「これから生えてくる歯を考慮して、スペース的にはまだ収まってない部分もあるので、とりあえず様子見ですね。この歯がもっと出るかはまだわからないと思います」「……先生、二号室お願いします」


「歯磨きの歌、とかないんですかね」

 これは、さっきの話の続きだと頭の中で判断する。ここまでに十秒くらい要する。

「たぶん、ないね」「じゃあ、歯磨き体操とか流行らせたら虫歯になる子を減らせると思うんですけど」「啓発動画ね。それはあるかも」「歯磨き体操第二! みたいな」「第何番までやるつもりなの?」 「三じゃないですか?」「本家にならってるんだ?」「当たり前体操」「それはまた話が変わってきますけど」「村山先生」


 水町さんに呼ばれて、受付に出向く。せんせい、と呼ばれた方を振り返る。担当したばかりの子だった。会計を済ませ、今から帰ろうとしていたタイミングで、似顔絵をもらう。受け取る指先が、こわばる。「あり、がとう」「いーよ」

 まさか私が、そんな物をもらう側になるだなんて思いもしなくて、なぜか、恵まれていると思った。これを手放しに喜んで、いいの? 小さい時の自分はきっとこの瞬間にたどり着けなかった。あまりにも夢だった。


 例えば、「人間の体で一番かたい場所は歯なんだよ」って言われる。「じゃあ逆に一番やわらかい場所は……」と私は返そうとしてしまうから、口を噤む。私はそういうコミュニケーションで、誰かと友だちになれた試しはなかったから。こころの内側では、ネックレスをあてがう時のような鏡の向こうのほほえみでいるのに、にらめっこに負けて悔しがっているみたいな恥ずかしさを私は抱えていた。


 クレヨンやクレパスを使って描かれたその絵を見て、五十色の色鉛筆とかカラフルなものが好きだったことを思い出した。あの、セロハンを貼りあわせたような虹色の傘をさして登校していた私に今、これを渡したい。マスクの下を、きれいに、補ってくれてありがとう。この子はAIに負けないと思った。


 空中で輪郭をなぞりながら、採光のよい院内で一番日の当たらない壁面に貼り付ける。この間、別の子にもらったはなかっぱと、けろけろけろっぴのシールを同じ場所に貼る。クッキー缶に保管していた折り紙も取り出した。折り紙の手裏剣(それは角を丸めて作ってくれていて、たぶん怪我しないようにしてくれていたのだけれど、『お前はほんものの手裏剣じゃない』と言われてるみたいだった)の角を戻して、私は飾った。


 少しだけ診療の間に空きができて、キッズスペースのボックスチェアに腰を下ろした。隣には本棚を設けていて、そこに置く絵本を決めるのは楽しかった。おしいれのぼうけん、ねないこだれだ、大ピンチずかん、りんごかもしれない……。学級文庫の選書をする先生ってこんな気持ちだったのかなあなんて思ったりしながら、一冊を手に取って、パラパラと覗く。ぱさ、と一枚の紙が落ちる。


 公文のプリントだった。関係は無いが、なぜかヘンゼルとグレーテルがちゃんと家に帰れているか不安になった。たぶんカバンを持っていた、夕方のあの子ではないだろうかと思い立って、すぐに電話をかける。それからプリントを事務の水町さんに託して現場に戻った。虫食い算の問題だった。


 席に着くと、「どうしました? ぼーっとしてましたよ。昼食べました?」と松本さんがやって来た。

「私は、もう一度生まれ直すのなら、常在菌でいいよって考えてた」と言ってごまかそうとすると、「またですかー?」と笑われる。

 (また、だっけ?)と一瞬考えて、あぁ松本さんはスルースキルがうまい。変な顔ひとつせず、私の発言を受け流せる。たぶん、この人ならシャボン玉だってさわれそうだと思った。


 だけど、しばらくして、松本さんは抜歯後に綿をはむはむ噛んでいる時のような表情で、「じゃあ、私は生まれ直すなら、歯ブラシの間に挟まったネギです。生まれ変わる、じゃないんですよね? なら、ネギ。あ、でも挟まってるのが未練だとすれば、そのネギを絡め取ってる毛先でもいいです」


「なんか、真剣に考えさせちゃってごめんね?」

 私は笑った。たべかす役だなんて、と。つられて、松本さんも笑った。きれいな歯列弓アーチだと思った。ストーブに手をかざした時のような、遅れてくるあたたかさだった。

「いえ、常在菌とかずるいなーって思って。ずっと居れるじゃないですか。だから、歯ブラシとかになれば、思い悩んでる村山さんと一緒に居れるかと思って」「良いひと」「ありがとう、ございます……?」


 小学校の時、落ち葉とか、花びらをポッケに忍ばせて教室に混入させる係、を私はやっていた。もちろん、非公認。先生に見つかりでもしたら怒られるのは承知の上で、小さな季節を飾りたかった。それだけだった。


 大抵、それをするためには教室に一番最初に入るか、一番最後に出るかのチャンスしかないから、機会を窺っていたら、一度だけ見られたことがあった。バレた、人生終わったと私は思った。「かおりちゃん~」なんて、無邪気に話しかけてくるもんだから、敵だった。私は、クラスメートから「村山さん」としか呼ばれたことがなかった。

「わたしも、混ぜて」

 一度も話しかけたことのなかった彼女から、そう言われ、戸惑う。先生やみんなにバラされるのが怖かった。 

「うん」

 弱みを握られたのだから、承諾するしかなかった。「いいの?」目を輝かせて、私を見つめる。私は目を逸らす。

「逆に、いいって言うしかないじゃん」「逆に? あのね、わたし、やりたかったんだ」「え」「逆に」今度は私の口真似をするように、そう呟いた。

「逆に?」「逆に」

 お互い、顔を見合わせて笑った。初めて友だちができた瞬間だった。今、その時のことを不意に思い出した。


 そこに、小山内さんが合流する。

「あ、さっきの話に戻っていいですか?」「もちろん」

 それがどの話を指すのか、テーマが混線していて把握できていないが。それでも、話は続く。画面の中でトムとジェリーが暴れ回っているうちはどこまでも、たぶん。健康な歯があるうちはどこまでも、たぶん。

 そうやって一日は続く。

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