第9話 バタフライナイフ

 その翌日、校内に微かなざわめきが広がった。


 津田たち4人が、職員室に呼び出されたのだ。彼らの顔からはいつもの余裕が消え、代わりに不安と戸惑いが浮かんでいた。


 マサはその様子を、教室の窓から静かに見ていた。心のどこかで「これで終わる」と思いたかった。だが、その期待は甘かった。


 放課後、下駄箱の前でマサは突然、後ろから腕を掴まれた。


「お前、なにチクってんだよ」


 声の主は藤井だった。目には明らかな怒りと、何かが壊れかけた焦りが見えていた。続いて山内と木村も現れ、出口をふさぐように立ちはだかった。


「俺たちがどれだけヤバいもん持ってるか、知らねえだろ?」


 津田がポケットから何かを取り出す。マサの目が、その細長い金属に吸い寄せられた。


 バタフライナイフ。


 その銀色の刃は、開かれる前から異様な存在感を放っていた。


「これでちょっと、教育してやろうかと思ってな」


 薄笑いを浮かべた津田が刃をカチリと開いた瞬間、背後から鋭い声が飛んだ。


「そこで何をしている!」


 振り返ると、そこには坂本先生と、生活指導の早川先生が立っていた。津田たちの顔が一斉に凍りつく。


「ナイフ……お前ら、そんなものまで——」


 騒然とする中、バタフライナイフは床に落ちて、無力な音を立てた。



---


  数日後、マサは再び校門の前に立っていた。


  深呼吸をする彼の胸には、重たい空気はもうなかった。


  ただ、静かに、少しだけ強くなった自分がいた。


 ——そして彼は、ゆっくりと校舎へ歩き出した。


 


 健太と大地が桜舞う鬼門神社をあとにしてから、数日が過ぎた。日々は少しずつ暖かさを増し、クラスの空気もほんのり柔らかくなってきていた。


 そして迎えた翌週の土曜日。昼過ぎ、健太が神社の石段を上がると、境内にはすでに数人の生徒たちがシートを広げていた。笑い声が風に溶け、まるで神社が誰かの帰りを喜んでいるようだった。


 大地はというと、少し離れた場所――あの絵馬掛けのそばに立っていた。手には何やら古びた文庫本と、使い込まれた小さなスケッチブック。


「先生、見せたいもんがあるんす」


 そう言って差し出されたスケッチブックを開くと、中には子どもの描いたような漫画風のページが並んでいた。冒険の地図、勇者の仲間たち、そして神社の鳥居をくぐる少年二人の絵。その端には、丁寧な字でこう記されていた。


「“秘密の大冒険 vol.1”――作・相馬タケル」


 大地の兄の名だった。


「兄貴、小学生のころこれ描いてたんすよ。俺には見せなかったけど、雑誌の中に挟んであった。……なんでか、今なら、ちょっとだけわかる気がして」


 健太がうなずこうとしたその時――


「ホッホ、ホッホ」


 どこからともなく、低く落ち着いた鳴き声が聞こえた。


 二人が見上げると、神社の大きな欅の枝に、一羽のフクロウがとまっていた。灰色がかった羽に、まん丸の目。その存在はまるで時間の外からやって来たようで、誰もその姿に気づいていないかのようだった。


「この神社の守り神……だって、兄貴が言ってた。『このフクロウ、何でも見てるんだ』って」


 風がまた桜をさらい、フクロウの羽がゆるく揺れた。まるで過去の断片が、静かに時の隙間から現れたようだった。


「思い出って、時間が経っても、ちゃんとそこにいるんだな」


 大地が呟いた。


 健太は、その言葉に胸を打たれながら答えた。


「そして、きっと誰かがそれを見つけて、次につなぐ。君が、今日そうしたように」


 そのとき、大地の仲間たちが呼ぶ声が聞こえた。


「おーい、そっちに何かあんのかー?」


 「今行く!」と叫んだ大地は、絵馬掛けを一度振り返り、小さく手を合わせてから駆けていった。


 健太はその背中を見送りながら、再び空を仰ぐ。フクロウは静かにまばたきし、まるで彼らの“秘密の大冒険 vol.4”を祝福しているようだった。


――そして、風はまた新しい思い出を運んできた。





 


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