第7話 秘密の大冒険

 霧の中から現れたのは――健太だった。


 彼の手には、一冊の古びた雑誌が握られていた。表紙は色あせ、角がめくれたその本には、かすれたタイトルがかろうじて読める。


 ――『秘密の大冒険 vol.3』


 リナが目を見開いた。「……それ、たしか……!」


 カナメが叫ぶ。「旧図書室の裏で見つけた“例の本”……! なんで、そんなものが……!」


 健太はゆっくりと頷いた。


 「これが……“最初の記憶”だったんだ。あの日、誰にも見つからないように、こっそり拾ったこの本。それが、全部の始まりだった」


 彼の言葉に、空気がわずかに揺れた。


 「誰にも言えなかった。笑われると思った。バカにされるって、思ってた。でも……このくだらない雑誌を、誰かと笑い合いたいって……それが、俺の最初の“思い出”だった」


 志乃が静かに近づく。「……それが、あんたの鍵なんだね」


 「うん。俺は、ただ誰かと……バカみたいなことで笑いたかっただけなんだ。忘れられない思い出って、そういうもんだろ?」


 その瞬間、車両全体が淡く光を帯びた。霧が引き、時計の針が正しい時を刻み始める。


 ユウトが叫んだ。「記憶の部屋が――閉じていく……!」


 カナメも気づく。「いや、違う。……塗り替わってるんだ。健太の“今”によって……!」


 健太が志乃とともに車両の中央へ進むと、彼の背後から、記憶の断片が泡のように浮かび、そして消えていった。


 ――旧校舎の裏手、エロ本を見つけて顔を赤らめた日。  ――それを見つけた誰かと、声をひそめて笑ったあの放課後。  ――「おまえ、マジで持って帰ったのかよ!」という冗談まじりの声。


 かつて“孤独な記憶”だったそれは、今、“誰かと分かち合った思い出”へと形を変えていた。


 志乃が微笑む。


 「もう、大丈夫だね」


 健太は力強く頷いた。


 「うん。次は――“本当の”思い出を、つくっていくよ」


 車両のドアが、完全に開かれた。


 そして彼らは、霧の外――記憶と現実の交差点を越え、“今”という名の時間へと踏み出した。



 数年後の春、健太は新しいスーツに袖を通し、自転車でゆっくりと坂を上っていた。行き先は――鬼門第二中学校。


 かつての記憶の旅を終え、自分の過去と向き合った健太は、教師として新たな一歩を踏み出そうとしていた。


 校門の前に立つと、どこかで聞いたようなチャイムが鳴る。空は明るく晴れわたり、遠くで部活動の掛け声が響いていた。


 「ふぅ……」深く息をついて、門をくぐる。


 校舎の古びた壁を見て、どこか懐かしさを感じた。まるで、自分の記憶の中に入り込んだような――そんな既視感。


 校長室で簡単な挨拶を済ませ、案内された教室の前。ドアに貼られた紙には、こう記されていた。


 「2年B組 担任 新任:健太先生」


 中に入ると、生徒たちの視線が一斉に集まる。緊張と好奇の混じった目。その中に、一人の男子生徒がいた。ボサボサの髪に、どこか他人と距離を置くような目――どこか、昔の自分を思い出させる少年だった。


 健太は、軽く咳払いして口を開いた。


 「えっと……今日からこのクラスを担当することになった、三好健太です。まだまだ未熟だけど……皆と一緒に“思い出”をつくっていけたらと思っています」


 その言葉に、生徒たちがざわついた。「思い出って……」「なんだよ、それ」そんな声が聞こえたが――健太は微笑んだ。


 「くだらないことでいいんだ。バカみたいなことで、笑えれば」


 そのときだった。先ほどのボサボサ頭の少年が、ぽつりと呟いた。


 「それ、“秘密の大冒険”って雑誌に載ってた言葉じゃね?」


 健太の目が一瞬だけ見開かれる。


 「……君、あの雑誌を知ってるのか?」


 少年は、にやりと笑った。「うちの兄貴が昔、学校の裏で拾ったんだってさ。くだらねーけど、俺も好きだよ」


 健太は思わず笑った。


 記憶は、めぐる。誰かの思い出が、次の誰かへと受け継がれていく。


 ――そして、新たな物語が、この教室から始まろうとしていた。


 





 


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