第5話 アルラウネ
リナが“記憶の部屋”に足を踏み入れたその頃、志乃は列車の最後尾の車両で、一人タブレットを操作していた。
「やっぱり……出てきた、“アルラウネ”の名前」
彼女が検索していたのは、学園七不思議の“第七の話”に関連するとされる、古い文献。そこにだけ、小さく注釈のように記されていた一節があった。
> 《七つ目の怪異――“アルラウネ”は、記憶を喰らう花。
その根は学園の地下に、蔦は生徒の精神に。
枯れるには、“最初に真実を記した者”が必要》
志乃は息をのんだ。
「記憶を……喰らう?」
車両の端、窓の外をふと見ると、景色の中に奇妙なものが映り込んでいた。枯れた線路沿い、黒い霧の中に――巨大な蔓のようなものが、駅の構内を這っている。
「……これが“アルラウネ”?」
彼女はタブレットをさらにスクロールさせ、別の画像を表示する。そこには古びたモノクロ写真があった。
旧校舎の地下、壁一面を這う蔓。中央には、“花のような顔”を持つ少女が映っている。
> 《被写体:シノ・S。記録係/観察者/“アルラウネの苗床”》
志乃は凍りついた。自分の名前――それも、「S」で終わる苗字が記録されている。
「嘘……これって、私……?」
彼女は立ち上がり、自分の手のひらを見つめる。
その時――掌に、小さな緑色の蔓が浮き上がるように出現した。
「私も……“記憶の部屋”に触れてる?」
その瞬間、タブレットの画面がひとりでに切り替わる。
> 《アルラウネは、最初の“鍵”を喰らい、偽りの記憶を広げた》 《次に狙われるのは、“観察者”――真実に触れようとする者》
「私が……狙われてる?」
志乃は恐怖とともに理解した。この“花”の正体は、記憶の中で育ち、誰かの思い出を喰らいながら増殖する存在。つまり、健太の死も、リナの喪失も、文化祭前の空白も――全部、アルラウネが“食べた”記憶だったのだ。
そして今、それはリナの入った“記憶の部屋”を通じて、本体を蘇らせようとしている。
「止めなきゃ……リナが喰われる……!」
志乃は車両のドアを開け、幻のホームへと駆け出した。
背後で、誰かの声が囁いた。
> 《志乃。君は、“最後の記録者”だ。真実を書くか、花に喰われるか――選べ》
志乃はホームに降り立つと、空気が変わったことにすぐに気づいた。まるで記憶の深淵に足を踏み入れたような、粘り気のある空気。時折、空間が揺らめき、聞いたことのない誰かの声が反響する。
「リナ……!」
彼女は声を張り上げて駆け出した。その先、ホームの奥にはかつて存在していたはずの“旧校舎の階段”が、ねじれた蔓に覆われて浮かび上がっていた。
志乃は蔓をかき分けて進む。手のひらの模様が疼くたび、蔓がざわめき、何かが呼応しているのがわかる。
やがてたどり着いたのは――“記憶の部屋”。
中には、リナがいた。だがその姿は、まるで“記憶”に囚われたように、動かずに立ち尽くしていた。
彼女の周囲には無数の花が咲いていた。どれも人の顔のような形をしている。健太、教師、見覚えのある級友たち――彼らの面影が、花びらに焼きついているようだった。
その中心に咲く、最も大きな“アルラウネ”が、志乃の方へとゆっくりと顔を向けた。
「記録者……ようやく来たのね」
それは、志乃自身の声だった。
「私の記憶を……使って育ったの?」
志乃が問うと、アルラウネは静かに頷いた。
「君たちが忘れたくて閉じ込めた記憶。その痛み、その嘘、その罪。それが私の養分」
リナの目が開いた。彼女の目は、かすかに緑に染まっていた。
「やめて……リナを返して!」
志乃が叫ぶと、掌の蔓が激しく輝いた。
次の瞬間、足元に落ちていた一冊の本がひとりでに開いた。
それは“野木書房”発行の『vol.5』だった。
そこに記されていたのは、志乃が知らないはずの過去。健太の本当の死因――青酸カリによる毒殺。そして、“記憶の部屋”が、真実を隠蔽するために作られた人工的な“神話”であること。
ページの最後には、震える文字でこう書かれていた。
> 「記録者へ。君がこの本を読んでいるなら、次は君が“真実を書く番”だ。アルラウネを枯らせる唯一の方法は、全てを記すこと。誰の罪も、誰の嘘も、隠さずに」
志乃は、ポケットから取り出したメモ帳に手を伸ばす。
蔓が襲いかかる。花が泣き叫ぶ。リナが「やめて……見ないで!」と叫ぶ。
だが志乃は、震える手でペンを走らせた。
> 《第一の真実:健太の死は事故ではなかった。犯人は――》
世界が震えた。
アルラウネの花弁が、少しずつ色を失い始める。
志乃は続けて書く。その一文字一文字が、“記憶の部屋”に風を通していく。
やがて、花は崩れ落ち、リナの目から緑の光が消えた。
「……しの……?」
彼女の声が戻ってきた。
志乃は微笑んだ。
「大丈夫。君を忘れたりしないよ。私は――“記録者”だから」
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