ダンジョン演習1
その日、僕たちはいつもの教室ではなく、学園中央棟の講堂に集められていた。
──高等科一年、1〜5クラスの合同授業。6~10は別日に行われるらしい。
広々とした講堂の席が、生徒たちのざわめきと好奇心で満たされている。壇上には数名の教師が並び、その中心に立つのは──僕らのクラス担任でもある、レオネル先生だ。
長身で黒いローブをまとい、鋭い目をした中年の教師。普段の授業では口数が少ないが、今は視線一つで講堂全体を静める。
「──静かに。今から説明する内容は、君たちの魔法使いとしての第一歩となるものだ」
レオネル先生の低く響く声が、緊張と期待を同時に煽った。
「明日の授業は、フィールドワーク。高等科生として初の実地演習を行う」
「おぉ……!」
講堂のあちこちでどよめきが起きる。
前の方に座っていたルーデンスが、目を輝かせて拳を握っていた。
壇上の黒板には、魔力で浮かび上がる文字が一行──
第23番国家管理異素洞穴
バラトルム(初層)
「異素洞穴──通称“ダンジョン”の一つ。王国により厳重に管理されており、魔力量、魔物生態、地形の変動、すべてが記録されている。今回、君たち高等科一年の演習対象となるのは、このバラトルム初層だ」
「バラトルム……」キリヌスは小さくその名を口にした。聞き覚えのある名前だった。入学前の資料にもあった国有ダンジョンのひとつだ。ダンジョン、国によって“管理指定”されている魔力異常地帯であり、古代より魔法文明を支えてきた存在。
その第23番、
「バラトルム初層は、王国と学園によって共同管理されている。内部には光源と進行路が整備され、魔力濃度も低め。魔物の危険性は限りなく低く、安全確認済みだ。演習の目的は“魔物の観察”──特に、初層にのみ生息するペス・モベンスの生態記録が中心となる」
その言葉に、一人の生徒が勢いよく立ち上がった。
「先生! ペスモベ捕まえたら、飼っていいですか!?」
ルーデンスだった。椅子ごとガタンと音を立てて立ち上がった彼の顔は、子犬のようにきらきらしている。
「論外だ」
となりの席から即答したのは、ネロだった。無表情で、口元すら動かさず、だが鋭さだけは残っているその一言に、クラスの数人がくすっと笑った。
レオネル先生は一瞥しただけで言葉を続けた。
「生体の持ち出しは禁止。観察・記録・報告、それが任務だ。演習後に提出するスケッチブックと報告書も評価対象となる。くれぐれも浮かれすぎないように」
キリヌスは、拳を軽く握りしめた。
(……いよいよ、魔法使いとして“現場”に立つんだ)
隣の席では、パウルスが既にスケッチブックを手にしてわくわくとページをめくっていた。
「すげぇ……ペスモベってほんとに動くのかな。てか、光るって噂もあったよな? 描けるかな、俺」
僕は、心臓の奥が少し早く鼓動するのを感じていた。
フィールドワーク。初のダンジョン。──そして、魔物。
「(僕も……少しは、やれるかな)」
その隣で、ヴァージルは変わらず静かに座っていた。窓から差し込む光の中で、金髪がわずかに揺れる。
──揺らぎも、焦りもない。ただ、静謐な湖面のような冷静さ。
(……やっぱりすごいな、ヴァージルは)
そんな風に、思ってしまうのだった。
翌日。
雲ひとつない快晴の空の下、僕たちは校舎を離れ、バラトルムの入口へと向かっていた。
「見えてきたぞ、バラトルム!」
ルーデンスの声が響く。
その先、岩山に空いた巨大な裂け目──それが、第23番国家管理異素洞穴、《バラトルム》の入口だった。自然のものとは思えない、まるで何かが“地面を食い破って”生まれたかのような黒い亀裂。空間がひずんでいるような、独特の圧を感じる。
「ここが……」
隣を歩くパウルスが、思わず足を止める。
「写真で見るより、ずっと……異様だな」
「ダンジョンの中って、本当に“世界が違う”って言うよな」
改めてダンジョンを眺める。
ダンジョンとは、“地上にあって地上にあらず”。
王国の学術機関によって“異素洞穴”と命名されたその存在は、ウィア・オムニス──全なる魔の胎動の脈が地上に刻まれた痕跡とも、自然発生的魔力の圧縮によって生じた歪みとも言われている。
だが誰にも正体はわからない。ただ一つ言えるのは、これが魔法文明を支える重要な供給源であるということ。
「おーこわ……」
整備済みの初層とはいえ、やはり本物のダンジョン。
その入口に立つだけで、空気が違って感じられる。
教師たちは入口前に展開された簡易の結界の前で生徒たちを整列させると、再び注意事項を伝えた。
「これより、バラトルム初層に入る。ダンジョン結界を一時的に解除するが、初層と外部とをつなぐ転移結界は常に展開中だ。危険を感じたらすぐ教師に知らせ、無理はするな」
レオネル先生が目を細めて言った。
「“初層”は安全区域だ。整備も行き届いている。が、油断は禁物だ。あくまで“魔力異常地帯”──常に自分のマナの状態を意識しておけ」
「結界、解除します──」
学園側の術者が印を結ぶと、洞口に走っていた薄い光の膜が一瞬だけきらりと揺れて、ふわ、と消えた。
いよいよ、生徒たちは小グループに分かれて、順番に“初層”へと入っていく。
「おぉお……思ってたより……広い!」
「なんか、空気が澄んでるっていうか……不思議」
バラトルム初層。整備された道、壁面に並ぶ発光石、そして淡く揺れる空気の膜。洞窟というより、神殿のような印象すらある。
「──いたっ!!」
ルーデンスが、通路の端で叫んだ。
「ペスモベだ!! 本物!! かわっ……!!」
「本当に、歩いてるんだ……」キリヌスが呟いた。
そこにいたのは──
モコモコとした苔のような緑の塊。
四足でも二足でもない、曖昧なバランスでよたよたと歩いている。
マナの結晶のような小さな突起が背中から生えており、たまにそれが光る。
「こいつら、生活魔法の干渉でも反応しないんだって」パウルスが横で言う。「完全にマナ由来の生物。体は植物だけど、行動パターンは動物寄り。まさに境界生命体……だっけ?」
「スケッチ、しておこう」ネロが早速スケッチブックを広げ、ペンを走らせ始めた。
キリヌスも負けじと観察を始める。
指輪を軽くなぞりながら、
マナの流れがペスモベの動きに沿って視える。
(……なるほど。これが“生きている魔力”か)
「追跡用の刻印も仕掛けとくかー」
ルーデンスはお得意の刻印術で、小さな紙片をペスモベの足元にぺたり。
「よーし。これで、こいつがどこを歩いたか完璧に追えるぞ!」
「論文にでもすんのか?」ネロが素っ気なく言う。
「論文じゃなくて……記録映像? あ、でも音声も拾えたら──」
「それ、もはや観察じゃなくて盗聴だな」
パウルスが笑いながら、そっと別の個体にスケッチを始めた。
ダンジョンに入ってから、およそ一時間が経過していた。
初層は、神秘と秩序が不思議なバランスを保った空間だった。人工的に整備された石畳の通路、規則的に設置された光源装置、目印となる標識──そして、苔むした地表をふわふわと歩く“ペスモベ”たち。
キリヌスたちは各々にスケッチブックを手に、観察と記録に勤しんでいた。にぎやかに笑い、語り合いながら、魔法を用いてペスモベの挙動を追う。
ペスモベたちのもふもふとした群れが、ぴょこぴょこと歩いていく。その中の一匹に貼った刻印札が、まるで気にされる様子もなく風に翻弄されながら揺れていた。
「……うーん、貼ったはいいけど、追跡精度ひっくいなコレ」
ルーデンスが頭をかいて言った。彼は刻印がペスモベの体毛に埋もれてうまく作用していない様子を見て、肩をすくめている。
「まあ、素材が苔だしな。マナ伝導率も低いだろ」
ネロが冷静に答える。彼はスケッチブックを脇に置きながら、指先でペスモベの出す微弱なマナ振動をなぞっていた。
「ふむ……やはり本能レベルで動いてる。意識と呼べるものは、無いな」
「……癒されるけど、戦力にはならないってことか」
「それがどうした。癒し枠は貴重だ」
パウルスが微笑みながら、スケッチブックに「ペスモベ(小)」と書き込む。
ヴァージルは、ただ一人、静かに立ち止まっていた。
(……何だ?)
足音がない。声もない。ただ、空気の揺らぎだけが、彼の周囲を流れていく。
わずかに、耳鳴りのような感覚があった。
マナの波。その“濃度”ではなく“歪み”が、ごく微かに肌を撫でてくる。
ふと、耳の奥に、遠くから水音のような、あるいは風のうねりのような──言葉にならない“音”が届いた気がした。
周囲に異常はない。空気も、マナの流れも整っている。整備された初層の中にあって、危険と呼べるものは見当たらない。
(なのに……)
彼はわずかに目を細めた。胸の内側がざわつく。それは恐怖でも不安でもなく、もっと曖昧な──「導かれている」感覚。
(……呼ばれているような)
自分の中に浮かんだその言葉に、ヴァージルは首を振った。
(気のせいだろう)
そう口にした瞬間、身体が自然と歩き出していた。
何かを探すわけでも、何かを避けるわけでもない。ただ、自然と、足がその方向に向かっていた。本人は、どこかぼんやりとした意識の中で「少し歩けば気のせいだと分かる」と思っていた。
整備された石畳を外れ、岩壁の細道へと進んでいく。目の端で、ペスモベが一匹、跳ねるように隠れていった。
「お、ヴァージル発見!」
ルーデンスの声が後ろから響く。
「おーい、見て見て! こいつ、俺の刻印を食った!」
言いながら、もふもふのペスモベを腕に抱いて追いかけてくる。
「いや、やめろ。そいつら無理に抱くと痒みが残るぞ」
ヴァージルは振り返らずに答えた。
「マジか!? やっべ」
ルーデンスはぴょんとペスモベを放すと、ヴァージルの歩調に合わせて横に並ぶ。
「で、どこ行くんだよ?」
「……少し、風の通りが変だ。見てくる」
「風ってお前……」
さらに、レクトゥスがどこからともなく現れて、ぴたりと後ろについた。
「ヴァージル、単独行動は危険だと──」
「ついてくるな」
「ついているわけではない。同じルートを取っているだけだ」
「それを“ついてくる”って言うんだ」
「ムッ...」
そんな言い合いをしている二人を見て、キリヌス──僕は少し遅れてついていく。
(なんか、珍しい組み合わせだな……)
でも、ヴァージルの歩き方が、いつもより硬いように感じたのは、僕の気のせいだったのだろうか。
「おーい、みんなどこ行くのー?」
パウルスが走って付いてきた。その後ろにぴったりとくっついていたのはネロだった。
──それは、まるで誘われるように。
6人は、気づけば、整備された通路から離れていた。
そして──それは唐突だった。
ギシッ……
不自然な音。次の瞬間、足元の岩がバキリと音を立て、崩れた。
「うわっ──!?」
「っな──!」
「待て、足場が──!」
ルーデンスの叫び、レクトゥスの警告、僕の悲鳴が重なった。
「ヴァージル、戻れっ!!」
「……遅い」
その言葉と同時に、足元が崩落した。
視界が傾く。重力に引きずり込まれる感覚。
誰かの手が触れそうで触れなかった。白い光が遠ざかり、岩とマナに包まれた暗闇がすべてを覆っていく。
「──っ!!」
音が消える。光も、声も。すべてが、飲み込まれていった。
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