異世界でパパになった俺は、攻略不能な娘と信頼値を稼ぎたい
風葉
第1話 転生したらパパだった
「……うっ……」
重い頭痛と共に、俺、
馴染みのない木の天井。柔らかいが、少しごわつくベッドの感触。そして、窓から差し込む穏やかな光は、俺が連日浴びていた蛍光灯のそれとは明らかに異質だった。
(どこだ……ここ……?)
霞む視界で周囲を見渡す。質素だが清潔な、見覚えのない部屋。壁には狩猟道具のようなものが掛けられ、棚には使い込まれた革製品が並んでいる。まるで……そう、ファンタジー系のゲームに出てくるような部屋だ。
(ゲーム……? そうだ、俺は……)
記憶を手繰り寄せる。
連日の徹夜残業。
鳴りやまないアラート。
上司の怒声。
栄養ドリンクと安物のエナジードリンクで繋いだ体は、とっくの昔に限界を超えていた。
最後の記憶は、デスクに突っ伏したまま、遠のいていく意識の中で「ああ、レベルアップの音がする……」なんて、くだらない現実逃避をしていたことだ。
(死んだ……のか、俺?)
ブラック企業に骨の髄までしゃぶり尽くされ、趣味のゲームに逃避するしか楽しみのなかった、彼女いない歴イコール年齢の冴えない三十五年間。
あっけない幕切れだった。自嘲気味な笑みがこぼれそうになった、その時だった。
「……パパ?」
か細い、しかし凛とした少女の声。
声のした方へ顔を向けると、ベッドの脇に小さな女の子が立っていた。年の頃は五つか六つくらいだろうか。亜麻色の柔らかな髪を揺らし、大きな翠色の瞳でじっとこちらを見つめている。簡素なワンピースを着たその姿は、まるで絵本から抜け出してきたようだ。
(パパ……?)
聞き間違いか? いや、確かに彼女は俺を見てそう言った。誰と間違えているのだろう。俺には子どもどころか、まともに女性と付き合った経験すらないというのに。
「あの……きみ、誰かな? 俺は……」
言いかけて、自分の声に違和感を覚えた。
聞き慣れた自分の声よりも、少し低く、落ち着いた響きを持っている。そして、視界の端に映る自分の手は、見覚えのない、少し骨太で日に焼けた男の手だった。
混乱する俺をよそに、少女はこてんと首を傾げた。
「パパ、どうしたの? まだ眠いの?」
「いや、あの……俺は、パパじゃ……」
「パパだよぉ」
少女はむぅっと頬を膨らませ、俺の手に自分の小さな手を重ねてきた。温かい。その小さな温もりが、混乱した頭に妙な現実味を突きつけてくる。
「ルナのこと、忘れちゃった……?」
不安げに揺れる翠色の瞳。ルナ、というのがこの子の名前らしい。そして、どうやら俺はこの子の「パパ」であるらしいのだ。
(どういうことだ……!? 転生? 異世界転生ってやつか? ゲームのやりすぎで、ついに頭がおかしくなったか? いや、でもこの感触、この子の体温はリアルすぎる……)
頭の中で、これまでにプレイしてきた無数のゲームの知識が駆け巡る。転生特典は? ステータス画面は開けるか? スキルは? アイテムボックスは?
しかし、いくら念じてみても、目の前にシステムウィンドウが開く気配はない。あるのは、不安そうに俺を見上げる小さな少女の姿だけだ。
「……ごめん。ちょっと、頭がぼーっとしてるみたいだ」
なんとかそれだけ言うと、少女――ルナは、少しだけ安心したように表情を和らげた。
「そっか。ママがいなくなってから、パパ、ずっと元気なかったもんね……」
(ママ……? いない……?)
ルナの言葉に、さらに混乱が深まる。状況を整理しよう。俺は田中健二ではなく、この世界では「カイン」という名前らしい。そして、このルナという少女の父親。さらに、ルナの母親、つまり俺の「妻」にあたる女性は、最近亡くなった……と。
(重すぎるだろ、初期設定……!)
ブラック企業脱出は嬉しいが、いきなりハードモードすぎる。交際経験ゼロの俺が、父親? しかも、母親を亡くしたばかりの幼い娘の? 無理ゲーだ。完全に詰んでる。
ゲームなら、キャラクターの好感度やステータスが見える。選択肢を間違えても、ロードすればやり直せる。だが、目の前のルナは、生身の人間だ。何を考えているのか、どう接すればいいのか、まったく分からない。パラメータもなければ、攻略本もない。
俺は恐る恐る、ルナの頭に手を伸ばした。柔らかい髪の感触。ルナは少し驚いたように身をすくめたが、すぐに安心したように目を細めた。その反応に、胸が小さく締め付けられる。
(この子は……俺を「パパ」だと信じているんだ……)
元の「カイン」がどんな父親だったのかは分からない。だが、今の俺は、三十五年間の人生で、誰かと真剣に向き合うことすらしてこなかった男だ。子どもとの接し方なんて、皆目見当もつかない。
これからどうすればいい? どうやってこの子と向き合えばいい? 攻略法のないこの世界で、俺は父親になれるのだろうか?
途方もない不安と責任感が、鉛のようにのしかかってくる。窓の外からは、鳥のさえずりと、遠くで響く市場の喧騒のような音が聞こえてくる。穏やかな異世界の朝。しかし、俺の心は嵐のようだった。
ただ一つ確かなのは、俺の「異世界生活」は、レベル上げや冒険とは無縁の、五歳の娘との信頼関係をゼロから――いや、マイナスからかもしれない――築き上げるという、想像を絶する難易度のクエストから始まるということだった。
(まずは……何か食べさせないと、だよな……?)
ぎこちなくベッドから起き上がり、ルナに向き直る。
「ルナ……お腹、空いてないか?」
尋ねると、ルナはこくりと頷き、小さな声で「うん」と答えた。その小さな返事を聞いて、俺は覚悟を決めた。
逃げることはできない。やるしかないのだ。この異世界で、「父親」として。
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