第20話 顔合わせの約束

「や、やだ」


 お母さんは焦ってスマホを隠す。動揺しているのがはっきりと伝わってきた。


 身体に冷たさが広がるのを感じた。このまま、無防備でいたら傷ついてしまうだろう。防衛反応のように、心の中で「何でもないこと」と思い込もうとした。


「……お母さんはさ、板川さんのこと好き?」


 頭で考えず、つい口が滑って、そんなことを聞いていた。

 深い意味はないはずだった。


「うん。大好きよ」


 お母さんが躊躇いもなく答える。嘘偽りのない答えだとすぐにわかった。


 そっか。……お母さんが幸せなら良いや。私は何も言えない。


「……そっか。良かったね。お母さん」


「うん。ありがとう」


 お母さんと最後に出かけたのはいつだっけ。覚えてないや。

 あれ、でも、一緒にラーメン屋に行ったのが最後だったかな?


 人がまばらの店内で、カウンターで肩を並べて、二人してラーメンを食べたっけ。何の話をしたのだろう。確かあの時、お母さんは泣いていた。「ごめんね。ごめんね」と何度も謝っていた。


 私はどんぶりに入った麺を、1本残らず食べようと、じっと器を見つめていた。お母さんの顔を見ることができなかった。だけど今は、正面から向き合うことができている。これでいいんだ。


「それじゃ、龍二と会うのは次の日曜日の21時。このアパートで良い?」


「えっ?」


「お互い都合がつく日がそこしかなかったの。夜遅いけど……良いでしょ?」


 日曜日の22時に南雲さんと会うから別の日にしてほしいとは、さすがの私も言うことができなかった。


 ……そもそも、このアパートで会うの? そういう顔合わせって、飲食店などで行われるものじゃ……。


 それに、お母さんに悪いけど彼氏であっても見ず知らずの人を、この家にあげて欲しくない。


 お母さんが幸せなのは良いことだけど、私はとんでもないことに賛成してしまったのではないかと焦った。


「……それなら、嫌だ」


「えっ?」


「その条件だったら会いたくないかも」


 自分でも思ったよりもはっきりとした声が出た。


「まず時間帯……日曜の21時なんて、次の日学校があるし、夜も遅いしで非常識だよ。それに、お母さんの彼氏であっても初対面の人と、このアパートで会うのは気が引けるかも……」


「そ、そうよね」


 私が真剣に言ったからだろうか。お母さんが、たじろいだ。顎に手を当てて考え込んでいる。


「日時をズラすことは検討してみるわ。だけど、龍二が私たちの暮らしている環境を見てみたいと言っているの。最初はどこかのレストランで顔合わせをしても良いけど、結局その日に、ここに来ることになるかもね。だったら、最初からアパートで会う方が良くない?」


 お母さんの言っていることは一理ある。


 だけど私は高校の友達を家に呼んだことがないほど、他人を自分の内側にいれるのが嫌だった。


 しかも付き合って1ヶ月というのも、気が早い気がした。もう一緒になる計画を立てているというのだろうか。


 そもそも数ヶ月前までは他人だった二人だ。私をさておき話が勝手に進んでいる様子が怖かった。


 子どものように「嫌だ」と反発したかった。しかし、お母さんの顔を見たら、——瞳が潤んでいる気がした。下唇を噛んで、じっとこちらを見ている。それはずるいよ。


 顔合わせは1時間くらいだろうか。ある程度、時間が経ったら、自分の部屋に行ったり、どこかに出かけたりしてもいいのかな。ここまで考えたら、言うべきことは決まっていた。


「わかった。それで良いよ」


 諦めとも聞こえる言葉が、自然とこぼれていた。


「本当? ありがとう」


 テーブルの向こう側から乗り出して、私をギュッと抱きしめた。高校に入ってから、こんな風にお母さんに抱きしめられたことがあっただろうか。


 理由が、板川さんと顔合わせの件であることが複雑だった。


 後日。お母さんは板川さんとの顔合わせの日時を決めてきた。「次の月曜日の18時。このアパートで」と言っていた。


 憂鬱だったけど、日曜日に南雲さんに会える予定は、しっかり押さえることができた。それだけを支えにして、毎日をやり過ごしていた。

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