第31話 約束の場所
「小説を書かせてくれないって……確かに勉強は大事だけど、クラウはプロだろ? それに、今回のテスト勉強は入院中だったし……」
「だから中学のときも、赤点だけは取らないように頑張ってきたんだけど、今回は……」
あんなに優しそうだった人なのに、実はとんでもなく厳しい人なのか?
小説家としてプロになるには、出版社と契約が必要で、未成年の場合は親の同意がいる。それに、もしかしたらその許可は、赤点を取らないことを条件にした“契約”だったのかもしれない。
そんな不穏な空気を破るように、ノックの音がしてドアが開いた。
「赤点って聞こえたけど、もしかして……?」
「お、お母さんっ。こ、これは――!」
お菓子と飲み物を乗せたトレーを手に現れたのは、クラウの母・橙子さんだった。
橙子さんの視線は、すぐさまテーブルに広げられていたテスト用紙に向かった。
「あら。素敵な点数ね、クラウちゃん」
「あ……う……」
その一言で、クラウの顔色がさっと青ざめる。
どうやら、母親にはとても頭が上がらないようだ。
「あ、あの! クラウはちゃんと勉強してたんです! でも、入院もあったし……点数がこうなったのは仕方なくて――」
「なんのことかしら?」
「えっ……だって、赤点取ったら小説は書かせてもらえないって、さっきクラウが……!」
「ふふ。私、そんなこと言ったかしら?」
「えっ……じゃあ、どういう……」
話が違う。
赤点なら小説は禁止――クラウはそう言っていたはずだ。
だから橙子さんは、テスト結果を見た瞬間、小説執筆を止めさせると思っていたのに。
「それを言ったのは、中学生の頃の話でしょ? それに今はもう何巻も出してるプロよ。今、手を止めたら、あなたの本を待ってる読者はどうなるの? 赤点だろうが何だろうが、小説を出すのが、あなたがやるべきことじゃない」
「お、お母さん……そうだったんだ……」
つまり、クラウの中にだけ残っていた、過去の約束。
それが今でも有効だと、ずっと思い込んでいたということだ。
「良かったね、クラウ」
「うん……よかっ――」
「でも、赤点なら追試があるわよね? そこで六十点以上取らなかったら、許さないわよ」
「…………へ?」
そういえば、クラウが入院中に話していたことがある。
橙子さんの実家は、相当に格式の高い家柄で、フリッツさんが婿養子として入ったのだとか。
そのため、幼い頃から橙子さんは英才教育を受けて育ち、頭も相当良かったらしい。
けれどクラウは、小さい頃から心臓の病気で体が弱く、習い事などは一切していなかったという。
「だって追試なのよ? どんな問題が出るかも予測できるし、集中して勉強すれば十分いけるわ」
「す……すなお…………っ」
橙子さんの厳しさに、クラウは汗をにじませながら俺の方を見た。
けれど、俺も赤点常習犯だから、協力できるような立場ではない。
と、そこでふと記憶がよみがえった。
文芸部の部室で、皆のテスト結果を話し合っていた時のこと。
『バーン! 赤点の数は六教科! どうだ!』
『あー、テスト難しい~』
るいるいとちまりも、まったく勉強ができていなかった。
どちらも、複数の教科で赤点だったはずだ。
『さすがに作家目指す人としてはやばくない? せめて国語くらいは高得点取ろうよ』
椎木先輩にそう言われ、俺たちは気まずく笑うしかなかった。
「クラウ……勉強しよう!」
「え……でも……」
俺の学力を知っているクラウは、訝しげな顔をする。
「ほら、庵野さんとか、あと……真幌も呼ぼうよ。あいつ頭良いし。るいるいとちまりも赤点だったし、みんなでやれば対抗心も出て捗るかも!」
つまりは、勉強会だ。
二人きりじゃなく、複数人で。
講師役が二人いれば、効率も上がる。
部活がある庵野さんに加えて真幌の名前を出したけど……ちょっと気まずいかもしれない。
「はぁ…………わかったわよ」
「うん、そうしよう!」
「ふふ。話はまとまったようね。なら、追試については私からはもう何も言わないことにするわ」
クラウはじっと俺を見つめてきたけれど、最終的にはうなずいてくれた。
橙子さんも納得したように微笑みながら部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
そして数日後。
大勢での勉強会が始まった。
会場は俺の家。
家の広さと集まりやすさを考えて、自然とそう決まった。
もちろん、勉強会とはいえトラブルは色々あったのだが、それはまた別の話。
そんなこんなで勉強を続け、ついに追試当日がやってきた。
「やったー!」
その日、先生は追試を即日採点して返却してくれた。
一番最初に声をあげたのは、るいるいだった。
「ねえねえ、クラウディアちゃんはどうだったー?」
「えっと…………」
空き教室でテスト用紙を広げるクラウ。
そこに並んでいた数字は、すべて六十点以上。
「良かったぁ……っ」
クラウは安堵の表情を浮かべた。
母に言われていた基準を、無事にクリアしていた。
ちなみに俺も、ほとんどの教科で八十点以上を取ることができた。
本音を言えば、百点とりたかったが、これが今の限界。
ちまりもなんとか良い点数を出せて、無事、俺たちは追試を乗り越えた。
◇ ◇ ◇
「クラウディアちゃん、おはよっ!」
教室に入ると、真っ先に駆け寄ってきたのは庵野さん。
赤い髪を揺らして、クラウをぎゅっと抱きしめた。
この日、クラウは約二ヶ月ぶりに自分の教室へと戻ってきた。
クラスメイトたちは、彼女の姿にざわざわしながらも、次々と彼女の席に集まり、言葉をかけていった。
クラウは少し困惑していたものの、以前よりずっと打ち解けた様子だった。
クラウの席は俺の隣。
しばらく空いていたその席が埋まったことに、不思議な懐かしさを感じた。
授業中、ちらりとクラウの方へ視線をやる。
彼女の横顔が目に入る。黒板を見つめる瞳と、太陽の光を受けて輝く金髪。
俺の視線に気づいたのか、クラウがこちらを見て、不思議そうに首をかしげながら口元を動かした。
――な・あ・に?
そんな風に、言っているように見えた。
ほんの少し前までは、ツンとした表情ばかりだったのに。
今では、こんな柔らかい表情を見せてくれるようになった。
お互いに過去を話し、理解し合えたからこその変化。
それに、俺とクラウは――
「――――」
言葉を口にしたが、クラウには届かなかったようだ。
小さく首をかしげたあと、彼女は前を向いて再び授業に集中した。
――綺麗だよ。
バレないように、素早く口を動かした。
◇ ◇ ◇
「素直、ちょっといい? 一緒に寄ってほしい場所があるの。だから今日の部活は――」
「うん。わかったよ」
今日の授業が終わると、クラウが静かに声をかけてくれた。
俺は特に疑問も抱かず、彼女の後に続くことにした。
歩く道は、俺がいつも使っている帰り道だった。
つまり、よく知った道。そう思った理由も明白だった。これは、俺が普段から登下校に使っている道だったからだ。
「もしかして、俺の家に行く……とか?」
「ううん。違うよ。でも、素直の家の近くの場所」
クラウはそう言って笑ったが、目的地はまだ教えてくれなかった。
けれど、歩を進めるごとに、なんとなく心当たりが浮かんできた。
「――ここだよ」
「そっか。ここで……俺たちは……」
それは、小学二年生の頃、俺とクラウが出会っていたという場所だった。
俺の中では記憶がすっぽり抜け落ちているけれど、クラウの中にはあの頃の記憶が残っている。
そのことがなくても何度もこの場所に来ていたから、公園の景色はとてもなじみ深かった。
「あそこに行こう」
「あっ……」
クラウはそっと俺の手を取って、先に立って歩き出す。
屋根のついた木陰、そこには木製のベンチがあって、彼女は俺をそこに座らせた。
時刻は午後四時。
公園には、遊具で遊ぶ小学生や子ども連れの母親たちがいて、思ったよりもにぎやかだった。
あの頃も、こんな風景が広がっていたのだろうか。
「ほら、あそこ……ちょっと広めの地面。あの場所で素直はよくボールを蹴ってたんだよ」
「うん……わかる。ボールを蹴ってたことは、ちゃんと覚えてる」
サッカーがうまくなりたくて、できる時は一人でも練習していた。
相手がいなかったから、リフティングばかりしていたけれど、それでも夢中になって練習していた記憶がある。
そんな時。
「わーっ!」
元気な声が響いた。
どうやら、小さな男の子が友達とボールを蹴って遊んでいたらしく、キックミスで俺たちの方にボールが転がってきた。
俺は立ち上がって、そのボールを足の裏でぴたりと止める。
「ねえ、ちょっとだけいい?」
「えっ、おにーちゃんサッカーできるの?」
「あー、うん。ほんの少しだけね」
「じゃあ、リフティング見せて!」
無邪気な笑顔に頼まれて、俺は軽くうなずいた。
「クラウ、少しだけ見てて」
そう告げて、俺は足元のボールを転がして、軽く蹴り上げた。
足の甲でポン、ポンとリズムよく弾ませながら、三回、四回、五回……徐々に回数を伸ばしていく。
「素直……すごい……っ」
「おにーちゃんすっげー! みんなも見てみろよ!」
子どもたちが次々と集まり、俺のリフティングを囲んで歓声をあげていく。
その声に乗せられるように、今度はヘディングを加えたり、背中で受け止めたりと、少しだけ難しい技にも挑戦してみる。
さすがにローファーでは限界があって、最後はぐだぐだになったけれど、子どもたちは満足そうに笑ってくれていた。
「ふう……ローファーでやるもんじゃないね。汚れちゃった」
「家に帰ったらちゃんと綺麗にしないとね。でも、カッコよかった!」
「はは、ありがと。やった甲斐があったよ」
子どもたちの時間を奪ってしまったけど、それでもクラウにかっこいい姿を見せたくて、つい張り切ってしまった。
「昔より、ずっとうまくなってたんだね」
「うん。それなりに真面目に練習してたから……」
「懐かしいなぁ……」
クラウが懐かしそうに空を見上げる。
だけど、俺の口から出たのは――
「ごめん。やっぱり、まだ思い出せないや……」
思い出せていれば、クラウに向ける感情も、少しは変わっていたのかもしれない。
クラウのことは、美人で、可愛いと思っている。
でも「好きか」と聞かれたら、その感情の意味が、まだはっきりとわからなかった。
「ううん。いいの。今日は思い出させようとか、そういうつもりで連れてきたわけじゃないから。ただ、私が素直と一緒にこの場所に来たかっただけ」
思い出せる思い出せないにかかわらず、今ここにいることに意味がある。
クラウは、そう言いたいのだろう。
「たまにこうして、一緒にこの場所に来たいな…………来て……くれる?」
「うん。いいよ。なんだか俺も、この場所が心地いいような気がしてきたから」
「ありがとう」
クラウはそう言って、そっと俺の手を握ってきた。
彼女の手の温度が伝わってきて、思わず顔が熱くなる。
「思い出せても、思い出せなくても……私は……私は……ずっと変わらずに、素直のことが…………っ」
ふわりと、右頬に柔らかい感触が残った。
一気に体温が跳ね上がり、顔が真っ赤になっていくのが自分でもわかる。
「ク、クラウ……っ!?」
「あぁっ……真幌があんなことしたから……私もって、頑張ったんだけど……ダメだ。やっぱり恥ずかしいっ」
「えっ、なっ……」
口にキスしておいて何を言ってるんだ――そう言いたかったけれど、クラウはバッと立ち上がってしまった。
「じゃあねっ! また明日っ!」
そして顔を赤くしながら、公園の出口へと、一目散に駆けて行ってしまった。
まさか、これからは体を使って積極的に俺を――……な、わけないか。
俺はしばらくベンチに座ったまま、頬に残る感触を反芻するように目を閉じた。
まだ高校生活は始まったばかり。
けれど、すでに色んなことがあった。
クラウと真幌。
おそらく、これからも二人に翻弄される日々が続くだろう。
文芸部を通して小説家を目指していくという目的もある。
それに父のことだって――。
自分の気持ちも、まだ曖昧なまま。
だからこそ、これから少しずつでも、自分の本当の気持ちを見つけていきたい――そんなふうに思い、ベンチからオレンジ色の夕焼けを見上げた。
―――――
ここまで本作品を読んでいただいてありがとうございました。
ひとまず第一章ということで、本作品は一区切りとさせていただきます。
今後の本作はコンテストへと出したいと思います。もし続きを書くとしたら、その後になりますので、その時までお待ちいただければ幸いです。
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ラノベ作家になったドイツ美少女の初恋は俺らしい。 藤白ぺるか @yumiyax
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