私と心先生のしょうもない日常
りつりん
第1話 私と心先生
「先生! 急患です!」
「わかった! 今日は酒飲まない!」
「その休肝じゃありません! あと、この後飲みに行く予定、なしってことですか? 了解です! 家に帰って自分だけの時間大事にしますね!」
「ごめん! ふざけてすみません!」
そんなやり取りを交わしながら、私たちは病棟内を駆けていく。
私、看護師の千夏とその横を走る息も絶え絶えな医者・心先生。
二人は割と仲良し。
これはそんな二人のしょうもないお話。
ううん、お話にすらならないただの日常の記録。
☆
「うあぁ……。今日もしんどかったぁ……」
「はいはい。先生はもう業務終了ですけど、私はまだなんで邪魔しないでくださいね」
心先生はいつも自分の勤務時間が終わると、必ずナースステーションに来る。
空いている椅子を見つけて座り、一時間ほど喋り倒していく。
ただ、今日はそれだけじゃなく、この後私と飲みに行くので私のシフト終わり待ちというのもある。
本当は先生と同じ時間に終わる予定だったのだけれど、私の後に入る後輩が遅れるとのことだったので、急遽勤務時間が伸びてしまったのだ。
少しでも後輩が来るまでに仕事を片付けようと、私はせかせかとステーション内を動き回る。
「あ、茶柱立った!」
どうやら先生は勝手に茶を入れたらしく、そこに立った茶柱を見て嬉しそうに頬を弛ませる。
「はいはい、よかったですね」
私は適当に返事をする。
「…………」
「……ん?」
急に静かになってので、ちらりと先生の方を見ると、真剣な表情をしていた。
こんな時の先生はろくなことを言いださないので、ろくでもない。
「ねえ、茶柱ってさ、このままストローで吸えば運気を効率よく吸収できるとかあんのかな?」
ほらきた。
「いや、茶柱って立った時点で運が良いってものですよね? ストローで吸うとか絶対関係ないですって」
「いや、やってみないとわかんないじゃん!」
先生はそう言うと、どこからともなくストローを取り出した。
そして、端を口にくわえ、その反対側で茶柱に慎重に狙いを絞る。
「心、行きまーす!」
ぎゅんとストローに吸い込まれる茶柱。
と、入れたてホヤホヤの激熱なお茶本体。
「あっじゅい!!!!!」
先生は茶のあまりの熱さに吹き出してしまった。
「でしょうね」
「あ、あ、あ、あ、あ、いちゃい。いちゃい」
赤くなってしまった舌を少しだけ露出させながら、先生は悲しそうに瞳を潤ませる。
先生は仕事終わりはどうにも脳の働きが低下するらしく、こんな感じでアホなことを必ずやってしまう。
仕事を全力で頑張る分、それ以外が駄目になってしまう典型。
それが心先生だ。
「ほら、これ飲んで冷やしてください」
私は休憩室の冷蔵庫に置いていた水を取り出し、先生に渡す。
「あ、ありひゃと」
こくこくと喉を鳴らす先生。
「おいしい! でも、舌冷やすの忘れてた!」
「なぜ」
先生はビールよろしく喉を潤してしまったらしい。
「痛いぃ……。茶柱の嘘つき……。運気良くならないじゃん」
「私の助言を無視した罰じゃないですか?」
「え? 千夏って運気的な路線だと茶柱より上位存在なの?」
「それは知りませんが、今の先生よりも冷静な判断ができるのは確かです」
「酷い……」
そんなやり取りをするうちに、気が付けば時間が来ていたらしく後輩が元気よくナースステーションへと入ってきた。
「じゃあ、あとはよろしく」
「はい!」
後輩とバトンタッチをした私。
そのまま更衣室で着替えを済ませて外に出ると、瞳をキラキラさせた心先生が待っていた。
「じゃあ行こっか?」
元気よく私の手を引く先生。
「はい。じゃあまずはその白衣を脱いで着替えて、バッグをとってきてください」
「え?」
疲れ切った先生は、もはや脳が機能していないのだろう。
病院内の格好そのままに外に出てきてしまっていた。
バッグすら持っていない。
「このままじゃ、ダメ?」
「駄目です」
「コスプレ……」
「駄目です。それにバッグもないんじゃ電車にも乗れないし、家にも帰れないじゃないですか。飲みにだって行けませんよ?」
「んー、じゃあ千夏の家で宅飲み……」
「嫌です」
「なんでそこだけ嫌って言うの!?」
先生は不満そうに頬を膨らませる。
「もう、駄々こねてないで戻りますよ。私も手伝いますから」
私は億劫そうに伏し目がちになる先生の背中を押した。
それでも抵抗を諦めない先生は、背中をうにうにと左右に揺らす。
私はそんな背中を見ながら小さくため息を漏らす。
やれやれ。
飲みに行くのはさらに遅れそうだ。
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