私と心先生のしょうもない日常

りつりん

第1話 私と心先生

「先生! 急患です!」

「わかった! 今日は酒飲まない!」

「その休肝じゃありません! あと、この後飲みに行く予定、なしってことですか? 了解です! 家に帰って自分だけの時間大事にしますね!」

「ごめん! ふざけてすみません!」

 そんなやり取りを交わしながら、私たちは病棟内を駆けていく。

 私、看護師の千夏とその横を走る息も絶え絶えな医者・心先生。

 二人は割と仲良し。

 これはそんな二人のしょうもないお話。

 ううん、お話にすらならないただの日常の記録。



「うあぁ……。今日もしんどかったぁ……」

「はいはい。先生はもう業務終了ですけど、私はまだなんで邪魔しないでくださいね」

 心先生はいつも自分の勤務時間が終わると、必ずナースステーションに来る。

 空いている椅子を見つけて座り、一時間ほど喋り倒していく。

 ただ、今日はそれだけじゃなく、この後私と飲みに行くので私のシフト終わり待ちというのもある。

 本当は先生と同じ時間に終わる予定だったのだけれど、私の後に入る後輩が遅れるとのことだったので、急遽勤務時間が伸びてしまったのだ。

 少しでも後輩が来るまでに仕事を片付けようと、私はせかせかとステーション内を動き回る。

「あ、茶柱立った!」

 どうやら先生は勝手に茶を入れたらしく、そこに立った茶柱を見て嬉しそうに頬を弛ませる。

「はいはい、よかったですね」

 私は適当に返事をする。

「…………」

「……ん?」

 急に静かになってので、ちらりと先生の方を見ると、真剣な表情をしていた。

 こんな時の先生はろくなことを言いださないので、ろくでもない。

「ねえ、茶柱ってさ、このままストローで吸えば運気を効率よく吸収できるとかあんのかな?」

 ほらきた。

「いや、茶柱って立った時点で運が良いってものですよね? ストローで吸うとか絶対関係ないですって」

「いや、やってみないとわかんないじゃん!」

 先生はそう言うと、どこからともなくストローを取り出した。

 そして、端を口にくわえ、その反対側で茶柱に慎重に狙いを絞る。

「心、行きまーす!」

 ぎゅんとストローに吸い込まれる茶柱。

 と、入れたてホヤホヤの激熱なお茶本体。

「あっじゅい!!!!!」

 先生は茶のあまりの熱さに吹き出してしまった。

「でしょうね」

「あ、あ、あ、あ、あ、いちゃい。いちゃい」

 赤くなってしまった舌を少しだけ露出させながら、先生は悲しそうに瞳を潤ませる。

 先生は仕事終わりはどうにも脳の働きが低下するらしく、こんな感じでアホなことを必ずやってしまう。

 仕事を全力で頑張る分、それ以外が駄目になってしまう典型。

 それが心先生だ。

「ほら、これ飲んで冷やしてください」

 私は休憩室の冷蔵庫に置いていた水を取り出し、先生に渡す。

「あ、ありひゃと」

 こくこくと喉を鳴らす先生。

「おいしい! でも、舌冷やすの忘れてた!」

「なぜ」

 先生はビールよろしく喉を潤してしまったらしい。

「痛いぃ……。茶柱の嘘つき……。運気良くならないじゃん」

「私の助言を無視した罰じゃないですか?」

「え? 千夏って運気的な路線だと茶柱より上位存在なの?」

「それは知りませんが、今の先生よりも冷静な判断ができるのは確かです」

「酷い……」

 そんなやり取りをするうちに、気が付けば時間が来ていたらしく後輩が元気よくナースステーションへと入ってきた。

「じゃあ、あとはよろしく」

「はい!」

 後輩とバトンタッチをした私。

 そのまま更衣室で着替えを済ませて外に出ると、瞳をキラキラさせた心先生が待っていた。

「じゃあ行こっか?」

 元気よく私の手を引く先生。

「はい。じゃあまずはその白衣を脱いで着替えて、バッグをとってきてください」

「え?」

 疲れ切った先生は、もはや脳が機能していないのだろう。

 病院内の格好そのままに外に出てきてしまっていた。

 バッグすら持っていない。

「このままじゃ、ダメ?」

「駄目です」

「コスプレ……」

「駄目です。それにバッグもないんじゃ電車にも乗れないし、家にも帰れないじゃないですか。飲みにだって行けませんよ?」

「んー、じゃあ千夏の家で宅飲み……」

「嫌です」

「なんでそこだけ嫌って言うの!?」

 先生は不満そうに頬を膨らませる。

「もう、駄々こねてないで戻りますよ。私も手伝いますから」

 私は億劫そうに伏し目がちになる先生の背中を押した。

 それでも抵抗を諦めない先生は、背中をうにうにと左右に揺らす。

 私はそんな背中を見ながら小さくため息を漏らす。

 やれやれ。

 飲みに行くのはさらに遅れそうだ。


 


 

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