第10話 寝起き
目が覚めた。
しかしいつもの天井はなく、それどころか部屋は真っ暗で何も見えなかった。
ここはどこだ?
なぜ何も見えない?
何が起きた?
そう一瞬混乱したとき、僕は右手の感触に気が付いた。
それは手の感触だ。
誰かに手を握ってもらっているという感触。
それが誰なのか考えた時、寝る前までに起きた出来事を思い出した。
自殺しようとビルの屋上に行ったこと。
そこでツバキという吸血鬼の少女に出会ったこと。
彼女の眷属となり、この家に来て一緒に寝たこと。
僕が今手を繋いでいるのは、僕の主人であるツバキであること。
それらを思い出して、僕は安堵のため息をつく。
昨晩の出来事は夢ではなかった。
僕は死んでもいないし、もうあの家に囚われてもいない。
夕凪椿姫の眷属として、いまここにいる。
「安心したけど、それはそれとして……何も見えないな」
この部屋は窓がない。
吸血鬼のツバキは、寝ている間に日光が来ないように、窓がない部屋を寝室としているのだろう。
おかげで外からの光が全く入ってこないが、そのため部屋の灯りがなければこの部屋は真っ暗で何も見えなかった。
ツバキはこの闇の中でも見えるのだろうか。
吸血鬼ならそういうのもできそうだ。
だが眷属とはいえ人間でしかない僕は何も見ることはできない。
この暗い闇のなかでは下手に動いたら危険だろうか?
寝室とはいえ物はあるだろうしな。
リモコンを探して部屋を明るくすれば見えるようになるだろうが、それではツバキを起こしてしまうことになるし。
じゃあこのままベッドでこうしてじっとしているか?
なんか、じっとしているのは落ち着かないな……。
「ん?」
そうこうしていると、隣から可愛らしい声が聞こえてきた。
「シキ。起きたの?」
「うん。今起きたとこだよ」
「おはよう。待ってね。今灯りをつけるから」
リモコンを使うと部屋が一瞬で明るくなった。
真っ暗闇に慣れた目に光が一気に入ってきて、眩しくて目を細める。
時間が立ち、だんだんと明るいところに目が慣れて、目を開ける。
「おはよう。シキ」
声のした方を見る。
目の前にはパジャマ姿の寝起きのツバキがいた。
「おはよう」
寝起きのツバキは少し髪が乱れているが、それを差し引いてもまだその妖艶な美しさを維持している。
美人は寝起きでも美人だ。
僕はツバキの姿を見てそう感じた。
「今は何時?」
「今は――」
ツバキに尋ねられて、僕は時計を探す。
部屋の端に時計がかかっており(この時計もなんか豪華だった)、それは4時を示していた。
「4時」
昨日寝たのが確か3時半くらい。
つまり僕らは30分しか寝てないってことになるのか。
って、さすがにそんなわけないか。
時計が一蹴して、今は午後4時なのだろう。
「ということは、12時間も寝たってことか……!」
昨日の睡眠時間に自分で驚愕する。
そんなに寝たのなんて生まれて初めてだよ。
「シキは昨日疲れてたものね。それくらい寝るんじゃない?」
「ツバキも同じくらい寝ていたけど、昨日は疲れてたの?」
「吸血鬼は人間よりも睡眠時間は長いの。12時間程度なら、普通の範囲内よ」
「そんなに寝るのか……」
吸血鬼は睡眠時間が長い。
意外な生態だが、たしかに日があるところでは活動できないのだから、そういう生活にも納得である。
「今の時期だったら、まだ太陽はあるわね。私は日が沈むまでここでもうすこし寝ているわ。シキは起きてもいわよ?」
「僕は」
そのとき、ぐーとお腹が鳴った。
は、恥ずかしい……!
頬に熱が集まり火照るのを感じる。
そういえば、昨日は昼から何も食べていなかった。
夜には死ぬつもりだから何も食べる気が起きなかったんだ。
「お腹減ったの?」
ツバキは首をかしげて尋ねる。
「あ、ああ。うん。ちょうどいいや。僕は下で何か食べてくるよ」
そう思って財布を探して周りを見るが、よく考えると僕は財布を持っていなかったことに気づいた。
「そういえば財布もってなかった……。申し訳ないけど、冷蔵庫にあるものを食べてもいいかな?」
「冷蔵庫は好きにしてもいいけど、飲み物しかないわ。食べ物はない」
「そうなんだ。もしかして、ちょうど冷蔵庫の中がなくなっちゃったとか?」
「いいえ。いつもないわよ」
「えっ、じゃあ普段ご飯とかどうしているの? 全部外食?」
外食オンリーなんてそんな……。
いやでも、お金持ちのツバキはそれでも別に構わないのか。
でも栄養が偏ってしまわないか?
「シキ、忘れちゃった? 私は吸血鬼よ」
ツバキに指摘されて、僕はハッとする。
「栄養は血を飲めばそれで賄えるから、食べ物は食べなくていいの」
「そういえばそうだね……」
いかんいかん。
寝起きと空腹と、お腹が鳴った羞恥でボケていた。
ツバキは吸血鬼。
食事は全て血液だ。
「あれ、でもじゃあ、飲み物は普通にとるの?」
「ええ。これも特に必要って訳じゃないんだけどね。吸血鬼にとって必要な栄養源は人間の血液で、それ以外の食べ物も飲み物も全部栄養にはならないの」
「じゃあどうして?」
「栄養にはならないけど、味は楽しめるわ。単に娯楽のためね」
「娯楽、か……」
味を楽しむ。
娯楽。
確かに美味しいものを食べることは喜びの一つではあるので、それを考えてみれば納得だ。
僕ら人間だって、体に悪いものを味がいいからと食べたりしているし。
「ツバキは娯楽で何か食べたりはしないんだ」
「ジュースとか紅茶とかは飲むけどね。食べ物は……付き合いで時々食べる程度かしら」
「それはなんだかもったいないな。せっかくお金持ちなんだから、美味しいものをいっぱい食べればいいのに」
「そう思う? でもねシキ。吸血鬼は美味しいものはいっぱい食べられるのよ?」
ツバキは僕に近づいてきた。
息が当たるくらいの距離。
キスできそうなくらいの距離。
ツバキは僕の首元に自分の口を寄せてくる。
「人間の血液は、食べ物なんかよりもずっとずっと美味しいの。他の物なんてくらべものにならない。特にシキの血液はすっごく美味しいから、私はこれだけあればそれで満足」
ツバキは体に腕を回してぎゅうっと抱きしめたあと、僕の首を甘噛みする。
血はでない。
そこまで深く噛みついていない。
「飲まないの?」
「今日はいい。毎日飲んだらシキが貧血になってしまうから」
「じゃあ……今日は他の人のを飲むの?」
「嫉妬しちゃう?」
ツバキはからかうように尋ねてくる。
「はいはい。嫉妬する。すごく嫉妬するよ」
「ふふふ。かわいい反応」
ツバキはまた首元に噛みついた。
血は出ない。
食事ではなく、ただ親愛の証として噛んでいるだけとわかった。
つまりただイチャつきたいだけなんだろう。
「心配しなくても今日は誰の血も吸わないわ。吸血鬼はね、毎日血を吸わなくてもいいの。一週間に一度くらいで十分」
「ずいぶん腹持ちがいいんだね。人間とは大違いだ」
「そうでしょう。無理のない範囲で眷属だけの血を味わうことができるの。よくできてるわよね」
「そうだね……。でも確かに、そうやって眷属の血だけを吸っているなら、周囲に吸血鬼の存在をばれなくてすむ」
手当たり次第に毎日誰かの血を吸っていたら、吸血鬼の存在なんてすぐ社会にばれちゃうだろう。
それが起こらないのは、頻度が少なくて特定の人間の血を吸っているだけだからなんだろうな。
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