第20話:希望的錯覚

川の音がしていた。

水がさらさらと石を撫で、陽の光が表面できらきらと跳ねていた。


兄が何かを指差して笑っていて、母が「遠くに行っちゃだめだよ」と声をかけていた。


たしかに楽しかったはずだ。そんな気がする。


広い河原には他にもたくさんの人がいて、子どもたちは水に足を入れて遊んでいた。

誰も知らなかった、すぐにそれが変わることを。


川の水が泡立ち、沸騰し始めたようにブクブクと音を立てる。

最初は目の錯覚かと思った。陽射しのせいだろう、と。


でも違った。

中にいた人の皮膚が、瞬く間に剥がれ落ち、骨だけになって浮かび上がってきた。


「逃げるよ!」

母が叫び、兄が僕の手を引いて走った。

けれど水は追ってくる。

あっという間に地面を飲み込み、逃げ道はなくなった。

どこにも出口はなかった。


母が見つけたのは、大きな木の樽だった。

古びていて、ところどころ黒ずんでいたけれど、僕はそこに押し込まれた。


「ここで待ってなさい」

兄が蓋を閉める直前、僕を見ていた。


暗くなった。

木の匂いがした。

遠くでざあっと音がしていたけれど、それも次第に遠のいていった。

息を殺して、小さくなって、僕は丸まっていた。


そして、時間が経った。


母と兄が樽を見つける。


「あった、樽がある!大丈夫だ」


その声は少し浮ついていた。


きっと、本当にそう思ったんだ。

無事でいてくれている、と。


蓋を開ける。

中を覗き込む。


そこにあったのは、乾いた骨。

小さな拳を握ったまま、しゃがみこんだ形のまま。

誰のものかは、すぐにわかった。


誰も言葉はなかった。

ただ、風だけが通り過ぎた。

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