燃ゆるマニア

子柄 文字(しがら ふみあざ)

燃ゆるマニア 上

◆ 一


『Closed』の看板を引っさげ、店内の灯りを消していく。店じまいの準備をしている。都市の中心部から外れた郊外付近、歯車師と呼ばれるこの男、グラナージは、今は亡き父から受け継いだこの店を細々と経営していた。


店の名前は『cog』。歯車の歯を意味するこの単語がこの店の代名詞だ。この店は社会にとって小さな役割を担っているに過ぎないが、欠けてはならない存在だ。店の看板を眺める度に、グラナージはかつての父の言葉を思い出す。


一階の受付の部屋を掃除し、カウンターの奥の仕事部屋へ潜り込む。ランプに触れ、机の表面を照らす。乱雑に置かれた歯車や工具を隅に追いやっては、スペースをつくり、客から預かった壊れた部品を一つ、棚から取り出す。椅子に深く腰を据えたかと思うと、部品の修理に取り掛かる。乱雑な仕事机と綺麗な棚からは、彼の無頓着さとプライドが醸し出ている。


仕事が終われば、二階の居住部屋へと進む。部屋の灯りをつけ、一番奥のロッキングチェアに深く腰かけ、パイプをふかしゆらゆらと煙を揺らす。好物のココアを飲むため、水が沸騰するのを待つ。ココアを待つ間、ロッキングチェアで揺れる癖は、子供の頃から健在している。ココアをお湯に溶かし、マドラーをクルクルと回す。生憎の猫舌で、ココアが適温になるまで、しばし現を抜かしていた。


彼の部屋は目に余る乱雑さだ。趣味の機械いじりが悪さして、完成未完成問わず、棚には歯車仕掛けの道具がひしめき合い、仕事の為(自分の趣味の為でもある)に買った雑誌は部屋の端っこで山を成している。相も変わらず机には年季の入った工具やら歯車やらが置かれ、どっちが仕事部屋なのか、いよいよ判然としなくなる。


だが、そんな乱雑な部屋の中でたった一つ、たった一つだけ綺麗な秩序を保った空間がある。それは部屋の中心の丸テーブル、そこに椅子が二つ。本来なら彼が食事をするはずの場所に、堂々と我が物顔で居座る少女がいた。


いや、それは少女ではなかった。赤いワンピースを身にまとった、等身大の大きな人形であった。


きっかけは一年ほど前のことである。知り合いの人形作家や歯車師の複数人で、人形をモチーフにした共同個展を開くから参加しないかと誘われたことがある。人形作家は等身大のドールを、歯車師はからくり人形を。無論彼もからくり人形を数体ほどつくり、公衆の面前に披露した。


個展の中、椅子に深く腰掛けたドールに目を奪われたのを、彼は鮮明に覚えている。その少女は、大衆の目を恐れていなかった。むしろ自身の美貌を見せつけてやらんと堂々とした佇まいをしていた。

動き出すはずもない。それは分かり切った事実だ。だがそれでも今にも椅子から立ち上がりそうな、喋りかけてきそうな気配がして、彼はその少女から目が離せなかった。

人形の一挙手一投足の機微から放たれる生々しい生の躍動に、彼は圧倒されるばかりだった。


個展も終盤にさしかかる頃、一人の人形作家が彼に話しかけてきた。やはり、からくり人形はいい。軽やかな手足の動きや所作を眺めていると、人間と同じように生きている気がしてならない。変わらないはずの表情も、なんだか変わって見える。命が吹き込まれたようだ。


歯車師を羨む作家の言葉に、彼はただ黙って苦笑した。作家は所詮、歯車の幻影に騙されているに過ぎないと。からくり人形の内部構造を知り尽くした自分からすれば、あれのどこに、感情が宿るというのだろうか?


茶運び人形が歩き始めた。内部のカムが回ったからだ。歯車が正常に作動していれば、からくり人形は徹頭徹尾同じ挙動を繰り返す。カタカタと音を鳴らし、人形はお客に茶を勧める。キリキリと、歯車が回る。人形に宿った命をすり潰すかのごとく。空になった茶碗を受け取ると、人形は踵を返し、元にいたところまで戻っては、ピタリと動かなくなる。


彼はまたもや苦笑した。あれが命を吹き込まれた人形なのだろうかと。ゼンマイを巻かれる事が人生にならないように、歯車の回転が感情にはなりえない。それと比べて、あの動かぬ少女が、どれほど見事に生きていることか。


服を脱がせば一目瞭然である。少女にはなまめかしい肉体がある、おがくずからなる内蔵がある、骨格も、関節まで揃えている。からくり人形にあるのは、歯車だけだ。人間らしい肉体と挙動を、そして感情を有しているのはどちらの方か、比較するまでもないはずなのに。


◆ 二


それからというもの、彼は等身大のドールの制作を始めた。彼の趣味は機械いじりから人形制作へと移り変わった。骨格を作り、内蔵や肉体を取り揃える。目や毛髪、顔や服に至る全てを自作しては、ゆっくりと時間をかけ、およそ一年。


彼なりに拘り抜いた等身大のドールが完成した。そして等身大の人形であるその少女を、彼は誰にも打ち明けることはなく、ただ自室に飾っていた。ココアを一口すすり、ロッキングチェアを揺らす。彼はドールの扱いに、どこか思いあぐねていた。ドールの方へ顔を向ける。彼女と目が合う。しばし見つめ合う。彼は大きなため息をついた。


何かが違う。何がおかしい。どうして、後ろの少女は何も話しかけてこない。歩き出そうとしない。個展の時に見かけたあの少女と、一体何が違うというのだ? 分からない。足りない。あの生き生きとした機微が、生々しい躍動が、ない。あれは、私の作品だ。


彼は嘆いた。自身の技術の拙さを。事実、時間をかけたとはいえ、経験のない初心者の手から生まれた処女作としては、少女は申し分ないクォリティである。それは世間が、いや彼も認めている事実だ。だが彼の心情は違う。彼の内なる野望が目指すものは、生き生きとした人形ただ一つ。少女は、そんな存在としては遠く及ばない。


壊そう、一から別の人形を作り直さねば。冷め切ったココアを飲み干し、少女のそばへ歩み寄る。そっと手を差し伸べ、少女の頬を撫でる。人肌以下の冷たい感覚が指を這う、その事実にため息がでる。そんな人形らしい人形を、バラして解体しようと少女の腕に手にかけたその時である。


仏頂面でしかない少女の顔が、どこか歪んだような……そんな錯覚に陥った。彼は黙って少女から距離を取る。気のせいか? いや……気のせいか。少女をまじまじと見つめ直し、彼は錯覚をただの錯覚として受け入れた。だが、彼の壊す意志は急にどこか弱気になり始めた。


罪悪感が芽生え、急速に彼の心を侵略する。それに呼応するように、少女の顔もどこか変わり始める。仏頂面から、死に怯える顔へ。死に怯える顔から、命乞いの顔へ。命乞いの顔から、死を覚悟した顔へ。だめだ、騙されるな。変わっているのは彼女じゃない、私の心だ。彼はひたすら少女を睨み続ける。


意志が揺れる。迷いが生じる。無口だったはずの少女が、こうも訴えかけてくるとは。そんな彼の心を見透かすかのごとく、少女もまた、どこか強気になっていく。私を殺す気なら、どうぞ殺してください。私はここから一歩も動きませんから。


いつしか少女の顔が、いや全身が、彼の心を挑発する。あなたじゃ私なんて殺せやしないと。事実、彼ももはや彼女を壊す気などとうに失せていた。彼女がより躍動するよう、部分的に作り直そう。そんな思考へと切り替わっていたからだ。


少女は、どこか勝ち誇っている。そんな風に見える。一種の悔しさを胸に、彼は再びロッキングチェアに座り直す。あの生意気な少女をどう作り直すか。そんな明瞭とした悩みを種に思索にふける。そんな彼の後ろ姿を、少女は微動だにせず眺めている。


ランプを消し、月明かりのみが入る。少女に近づき、両手で顔にやさしく触れたかと思えば、自分の顔も近づけ、少女の口に息を吹きかけた。


人形の口に息を吹きかけると、人形に意志が宿る。いつの日か耳にしたおまじないである。そんなおまじないをしたかと思えば、彼は早々にベッドに寝転げ、いびきをかいた。


少女がどんな表情をしていたのかは、誰も知らない。

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